第4話 一夜明けて


「僕の妻になっていただけませんか。」


 私は予想外の展開にうなずくこともできず、瞬きして彼を見返してしまった。

 けれど、その言葉は本当だと思えた。本気でそう言ってくださっているのだと。


 その後は早かった。

 もともとこの結婚は、双方に利益のある政略結婚。双方の誰かが結婚で結びつけばそれでいい。

 父と義父の話し合いが終われば、教会で式が執り行われ、次に領主館で披露宴となり。


 式は余韻も何もなかった。とういうか気づいたら終わっていた。

 半分は安堵のあまり、半分は事態を把握できなくて、呆然としていた。

 でも、これは嬉しかった。新しいブーケが用意されたから。それを、新たな花婿である彼が渡してくれたから。


 披露宴では、私はただ言われるがままに歩いて座って、そこに居て。やっぱり呆然としていた。

 あまりの急展開に、どうしたらいいかわからない。たくさんのドレス姿と礼装をただ眺め、会話も音だけが流れていった。

 でも、花婿の彼は隣にいてくれた。言葉を交わす暇もなかったけれど、時々気づかうような視線を、私に向けてくれた。


 それが終わって次はどこかと思ったら、領主館の二階の奥の部屋。着替えに、湯あみに。

 そして私は、用意された寝室にいた。

 寝衣を着て、ベットの上に座り込む。

 初夜とか何とか。今日初めて会った人と。などと思い煩うこともできないほど。眠いという言葉も思い浮かばなかった。

 ただぼんやりと頭の中を言葉がよぎる、どうしよう……と。


 そこで私の記憶は途切れる。




 目が覚めた。

 次に、見知らぬ部屋だと思った。

 窓は明るく、陽が高い。

 ずいぶんと頭がすっきりしている。気分も軽い。よく、寝たのだと思う。

 そう、寝てしまった。


 その時、そっとドアが開いた。入ってきた若い侍女が驚いた顔をする。

「奥様、お目覚めですか?」

 ……奥様と、呼ばれてしまった。


 侍女はすぐ出ていき、代わりに入って来たのはあの彼だった。お名前は……、何だっけ?

 彼の表情は、昨日と同じく心配そうで。


「シェリル、大丈夫ですか、体調は?」

 ベッドに起き上がったままの私のそばに彼が来て、私の顔をのぞき込む、顔色を確かめるように。

 ちょっと恥ずかしい。結婚したのだから当然なのかもしれないけれど、かなり恥ずかしい。

 そして、あなたのお名前は?


「顔色は良くなっていますね。安心しました。」

 そして彼は、ベッドに浅く腰かけた。

 距離が近い。寝室でこんなに近い。何か恥ずかしい。結婚したのだから当然かもしれないけれど、やっぱり恥ずかしい。

 そして改めて名前は聞きにくい、どうしよう。

 

「突然こんなことになって、驚いていると思いますが。」

 彼がいたわりに満ちた眼差しで私を見る。だから、思わずこう言ってしまった。

「それは、あなたも同じではありませんか?」

 だって、予想外に急遽、初対面の相手と結婚なんてことになったのはこの方も同じ。


 彼がはっとして私を見返すと、苦しそうな表情を隠すように顔を背けた。

「いいえ、非はこちらにあります。あなたにはありません。」

 そうかしら。わたしにとってそれは、非ではなく幸運だけど。

「あなたはこんなことになっても、こちらを、僕を非難されないのですね。」

 彼が苦い顔でそう言う。まるで非難してほしかったかのように。


 なぜかしら。でも、それはしないわ。だって私は、今とても軽やかな気分なの。ここ数日の途轍もない重石が嘘だったみたいに。

 いえ、もしかしたら、それは数日ではなかったのかもしれない。あの人と婚約してから少しずつ少しずつ増した重石かもしれないけれど。

 でも、ごめんなさい。嬉しいとは言えないの。ややこしいことになると困るから。こちらにも、私にも婚約者が駆け落ちした非があると言われるのは避けたいわ。子爵家にもたらされる利益が減るのは困るから。だから、ごめんなさい。

 ならば、私は何と言ったらいいの。非難でもなく、嬉しいでもなく、何と言ったら。

 

「私は。」

 言いかけて結局、言葉に詰まってしまった。彼がやはり気づかうように私を見ている。

「無理をしないでください。シェリル、僕はあなたを大切にしたい。」

「そう言ってくださって、ありがとうございます。」

 今度はすっと言葉が出た。

 なぜかこの方は、切ないような表情を隠すみたいに立ち上がってしまったけれど。


「それから、ですね。」

 立ち上がった私の結婚相手は窓の外を見る。見るふりをしている。


「初夜は、」

 彼が私から微妙に目をそらしつつ、言葉を濁す。もちろん私も微妙に視線をそらしつつ、その話題に困ってしまった。

 待って。もしかして。

 これからしましょう、という話かしら。……、……、……。どうしよう。ど、どうしよう!?

 彼の様子をうかがうこともできず、ぎゅっと手を握る。 


「シェリル、初夜は、とにかく、そのうちにということで。まずはここの生活に、僕に、僕との生活に慣れてもらえませんか。」

「……はい。」

 握っていた手から力が抜ける。

 続けて彼が、今度は勢い込んで言った。

「これは決して、あなたを蔑ろにしているわけではありませんから。」

「……はい。」

 この方も戸惑っているのだろうと、それは伝わってくるし。私も、その方が助かるし。

 それに、私を大切にしようと、できるだけそうしようと、してくださっているのは分かるから。


 彼がためらいながら、けれどそっと私の髪に手を伸ばす。触れる。

 そして身をかがめる。静かに私の額に触れるもの、彼からの口づけ。


 彼がはっと気づいたように身を起こした。

「食事を持ってこさせましょう。ああ、食べられそうですか?」

「ええ、はい。」

 答えれば、彼が部屋から出ていく。ドアが音を立ててしまった。


 私は、おそるおそる額に指先で触れる。

 恥ずかしさと、それとは違う別の何かがあふれてきて、体中がいっぱいになってしまった。







 ……ところで、そのうちって、いつ?一週間後、一か月後、それとも一年後? 


 そして、私の結婚相手のお名前は?




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