彼岸の女

テケリ・リ

赤色に染まりたい


 ――――狂っている。


 そう言われた時の事を鮮明に憶えている。

 ヒグラシが鳴き止んだ秋の初め……薄暮から宵の闇が忍び寄る空に、土手にいっぱいに咲いたヒガンバナが印象的だった。


 わたしはこの花が好きだ。毒花でありながらも美しく、曼珠沙華マンジュシャゲ蛇花ヘビノハナなどと多くの名を持ち。生と死の狭間に咲き誇り、しかし多くの人から目には入れられても愛でられる事の無いこの花が。

 毒花ゆえに摘まれ飾られる事も無く。褪せるのも早くて、美しく花開く期間も短いその様が、まるでじぶんのように思えてならなくて。だから勝手だけれど、わたしはこの花に親近感にも似た好意を抱いていた。


 〝彼岸花〟の名の如く、秋の彼岸の時期に多く観られるそれらは。


 彼岸――死者の世界に咲く花だとか、に絡められて語られる事もまた、多い花だった――――





『貴方の子を日に一○○○人殺しましょう』

『ならば私は日に一○○○と一人の子を成そう』


 とても有名な神話の親神様の、とても有名な夫婦喧嘩の一幕。黄泉の国で醜く成り果てた亡き妻神の、その姿に耐えられなかった男神。それに対して激怒した妻神へと、後に神器とも神具とも呼ばれるような物騒な物を三度も投げ付けて逃げたのだと云うから相当だ。

 だけど見ないでと言った醜い顔を無理に暴かれて、三度もそのように必死に物を投げ付けられて、さらには黄泉の国への入口を巨大な岩で封印までされたのだから、妻神の怒りも尤もなのでは……と思ってしまうのは、やはりわたしが女だからなのだろうか。


 わたしの勝手な想像イメージだけれど、そんな黄泉の国の入口とされているらしい黄泉比良坂ヨモツヒラサカにもきっと、ヒガンバナが美しく咲き誇っていたに違いない。

 逢魔ヶ刻の薄暗く、昼と夜の混じる空の下で。真っ赤に染まっているそんな場所で殺すだ何だのおどろおどろしい舌戦が繰り広げられていたかと思うと――――なんだか酷く叙事詩的な感じがしないだろうか。まあ、わたしの妄想なのだけれど。


 他には……ああそう。かつての戦場の打ち捨てられた髑髏しゃれこうべに、眼窩から這い出してくる蛇のイメージ。それにもやっぱり、周囲に咲くとしたらヒガンバナが映えるだろう。

 激しい合戦の繰り広げられた壇ノ浦とか桶狭間とか関ヶ原とかで、どんよりとした物悲しい雨混じりの空気に晒される骸に寄り添う赤い花。まあ合戦の時期や季節感は置いといて、そういった諸行無常やら盛者必衰のある種の侘び寂びが、悲哀と共に胸を打つ気がしてならないのだ。


 磔場や首の晒し場の片隅にもやはり似合うし、墓地や曰くのある場所にも良く見合う。

 やはりこれらのイメージは、多くの人にとっても共通してるのではないだろうか。





 死の徒花あだばな――ヒガンバナ。

 生と死を繋ぐ、生者と死者の境に咲くその花が、わたしの居る病室からは良く見えた。


 黄昏時は外しているけれど、久し振りに降った雨が上がった残暑の和らぐ青空の下で、湿度のだいぶマシになった穏やかな風に揺られて咲いている。


 昔は赤色ばかりしか見なかったけれど、最近では白色とかのヒガンバナも増えてきたような気がする。まあ、色が薄いせいで余計に褪せるのが早く感じてしまうのは難点だけど。


 紅白だからって目出度めでたがられる訳じゃないのは、やはりこの花が持つ死へのイメージが強いせいなのだろう。本当は花言葉だって、死者を悼むものや来世への希望だったりと優しいものなのにね。

 まあかく言うわたしも、白いヒガンバナに特別思い入れがある訳じゃないけど。たまに見掛けても『ラッキー』程度にしか感じない、そのくらいの位置付けでしかない。


「――――さん。残念ながら、貴女への刑事責任能力の追求に関しては……正直棄却させる事は難しいかもしれません」

「まあ……そうなんでしょうね」

「勿論私も弁護人として出来るだけの事はしますが、精神的な惰弱性やその他の情状酌量も、貴女ご本人から自責であったり反省のお言葉が聴かれないと、提議する事も難しいのが現状です」


「……おかしいですよね。日々暴言や暴力を受けて追い詰められて殺されそうになってたのはわたしなのに、いざ身を守った弾みで殺してしまったら、わたしが謝らないといけないんですね」


「…………原告あちら側は唯一のお子さんを亡くされた訳ですし、彼のそれらの日常的な粗暴行為が表出してなかったのも原因……なのでしょう。そういった行為の証拠や証言も無くては……」

「――――殴られないよう、殺されないようにするので精一杯だったんです。そんな余裕なんてありませんでしたし、遠方から越してきたわたしには相談出来る人も居なかったんです。お金だって稼ぎに出させてもらえなかったから使えませんでしたし」

「ええ。勿論それはお聴きしてますし、理解していますよ――――さん」


 弁護士の話す言葉も、どこか虚ろな別世界から聴こえるような気がする。結局は弁護する立場である彼も、過剰な防衛だと思っているという事だろう。

 たとえ自衛のためだとしても、相手に重篤な怪我を負わせたり殺めてしまってはやり過ぎなのだと――――きっと弁護人である彼も、そんな案件で遺族から白い目で見られたくないんだろうな。法制度に則った持ち回りの弁護人にたまたま自分が選ばれて、内心では苦虫を噛み潰しているのだろう。


「彼の……あの人の頭を殴った感覚が無くならないんです……っ、必死で……! 必死だったけど最初硬かったはずなのに急に柔らかく……ッ!! 何度も何度も殴った感じが手に残ってて、硬いのも柔らかいのも全部ッ! 全部ぜんぶぜんぶ憶えて……ッ、カッ、あっぅ――――ゥうぶ……ッ!?」

「――――さんッ!? 大丈夫ですか――――さんッ!!? 先生ッ、先生お願いしますッ!!?」

「――――さんッ、大丈夫ですからゆっくり深呼吸してくださいッ! 弁護士さん、今日はもうこの辺りで……ッ」


 遠くなる声。金属製だったりコンクリート製だったりの無機質なフロアに反響するそれが遠く、照明も落ち着かせるためか部分的に落とされて暗くなる。

 応援に駆け付けて来たのか他のスタッフの声も一緒に響き、頭の中でガラスが割れたり擦れたりするようにあちらこちらと響き渡る。


 遠く窓の向こうには、やっぱり咲き誇る赤いヒガンバナが風に揺れていた――――





 それから何度も弁護人の彼は訪ねて来て、根気よく根気よく、その職責を果たそうと努めていた。何度も繰り返し聴き取りをして、最初から聴き直して、時には深く掘り下げて。

 わたしはそれを遠く反響も交えて、やっぱりどこか他の世界の事のようにいつも聴いていた。またフラッシュバックしては取り乱して、先生やスタッフが乱入して。照明が落とされて。


 そして、窓の外に見える群生したヒガンバナの色に翳りが見え始めた頃――――



鞘菱さやびし栞菜かんなさん。力は尽くしましたが、原告団の求刑を覆す事は叶いませんでした。求刑が通り貴女には死刑判決が下されてしまいました。力及ばず、申し訳ありません」


「……そうですか。わかりました」

「ですがまだ最高裁への上告も視野に入れていますし、医師からの精神鑑定等を鑑みれば――――」

「いえ、もう大丈夫です」



 むしろすっきりとした心持ちで、わたしは担当弁護士の話を受け入れていた。窓の外を眺めれば、日当たりの良い部分から順番に色褪せているヒガンバナの群れ。


 赤色が好きだった。

 その点だけでも好意的に見ていたヒガンバナだったけれど、ああして日向に咲き誇りながらも取り立てて愛でられも、慈しみもされない……そんなところにわたしは、勝手な親近感や共感シンパシーを感じていた。


 人生の境遇なんてものは、言ってしまえば運次第の部分も大きい。幼少期の情操教育が云々、家庭環境の好劣。倫理観の醸成不足やら、突発的な事件事故等の外的要因だって関わるだろう。


 自ら道を踏み外した者や、たまさかに口八丁に騙され大損する人を愚者と言うならば、わたしは間違いなく愚者それで。

 物心着いた頃からの積み重ねにしたって、そこのいずれかにはわたしの選択だって、きっとあって。



「……判決を受け入れられるのであれば、貴女の身柄は拘置所へと移さなければいけません。自分としては非常に残念ですが……鞘菱さんほどの安定した状態であれば、きっとそれほど厳しい接遇も為されないかと思います。…………何の心安めにもなりませんけどね……」

「そんなにご自分を責めないで下さい。あなたは本当に親身になって、〝わたし〟のために尽力して下さいました。〝わたし〟からは、感謝しかありません」



 そう言ってその日の面会は終了し、わたしの身柄は精神病棟付きの収監所から、執行待ちの囚人が収監される拘置所へと移される事となった。


 移設の時にチラッと目に入って印象的だったのは、開放時間中の〝彼女〟が共用のデイルームで、今まさに移送される〝わたし〟に関するニュースをテレビで観ている姿。

 ワイドショーのテロップには大々的に、『猟奇連続殺人犯、鞘菱栞菜死刑囚の移送開始』という文言が表示されていた。



「……あの、先生」



 ここで〝わたし〟の担当医である精神科医の先生は、奇しくも〝彼女〟と同じ人だった。

 移送の見守りに参加してくれている先生へと、お世話になったお礼とお別れも兼ねて、思い切って声を掛けてみた。


「もしできれば、最期のお願いだと思って〝彼女〟に、この言葉を伝えてもらえませんか?」








「『――――上申に係る鞘菱栞菜に対する死刑執行の件は,裁判言渡しのとおり執行せよ。』……こちらが、貴女への法務大臣からの死刑執行命令です。これを受けて我々は、近日中に貴女への刑を執行いたします」

「承知しました。刑務官の皆様には、大変お世話になりました」


「……何か思い残す事や、言っておきたい事等はありますか?」



 映画などのフィクションとは違って、驚くくらい親切に対応してくれていた女性刑務官へと、苦笑を返す。


「取り立てて、何も。どんな理由や原因であれ多くの人の命を奪ったのは事実ですし、それだって私怨や思想があったりした訳でもありませんから。ただ、敢えてお願いをと言って下さるのなら――――」



「同じ病棟で、同居していた暴力を振るう彼氏を過剰防衛で殺めてしまった彼女へ、『あまり我慢はしないようにね』って伝えて下さい。先生にもお願いしたんですけどね、伝わってるか分かりませんし。一人くらいは、共感や同情してくれる人が居たって良いでしょう?」



 そうして、執行命令から四日後の午前。

 わたしは執行室へと移動を促された。


 貧困な家庭に暴力暴言当たり前な両親。学校での虐めに中学時代からの非合法なバイト。収入は親の煙草と酒とスロットへと消え、高校にも行かずに夜の街暮らし。

 ある日頭が真っ白になってから初めて人の命を奪い、親も殺し客も殺し…………捕まってから六年を数えて今や三十歳。


 住む街を変え名前を変えてを繰り返した道を外れた人生で、唯一変わらなかったのは、わたしが好きな赤色に、毎年変わらずに咲き誇るヒガンバナ。


 黄昏時や朝方の、昼と夜・夜と朝の混じり合う時間に鮮やかな赤色は――――まるで誘っているようで、見せ付けているようで。

 わたしのようなその花に、勝手に親しみを持ってただぼうっ、と眺めて。



「最期に、何か言いたい事はありませんか?」



 執行官だと名乗ってくれた刑務官の男の人の声で、隣の部屋から話し掛けられる。



「できたら……で良いんですけど」








「遺体なのか骨なのかは分かりませんけど、できれば彼岸花が沢山咲いて、良く見える霊園に埋めてほしいです」








※この作品はフィクションです。作中に登場する人物、機関、団体等は現実には一切関係ありませんので、ご承知置き下さい。


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