『砂だらけの唇』
あの公園、今はもうベンチしかない空き地ですけど、何年か前までは申し訳程度の砂場があったんですよ。その頃に見たものの話です。
その日は残業で終電ギリギリに帰ってきて、早く帰って寝たいってことだけ考えて歩いてて、気付いたら公園の前を通り過ぎるところでした。ふと視界の端に妙なものが見えて、気になって足を止めたんです。
見慣れた公園の、今はもうない砂場のところに、うつ伏せの人影があったんです。酔っ払いでも倒れてるのかな、通報しなきゃなと思ってスマホ取り出したんですけど、どうも違ってて。暗さに目が慣れてきたらわかったんですけど、倒れてるっていうよりは、這いつくばってる感じでしたね。這いつくばって、砂場に顔を突っ込んで、しかもその顔が小刻みに上下してる。自分に見えているものが理解できなくて呆然としていたら、ふいにそいつが顔を上げて、こっちを見たんですよ。髪はぼさぼさ伸び放題で、かろうじて女に見えました。口周りを中心に顔中砂まみれで、もうぐちゃぐちゃ。砂だらけの口がもごもご動いでざりざり音がして……ああ砂場の砂を口に入れてるんだ、って気付いたのと同時に、
「こうやってやわらかくしてあげないとたべてくれないのよ」
って言われて。そこで我に返って一目散に逃げ帰りました。何度か振り返って確かめたけど追いかけては来なかったみたいで、そのまま帰宅してシャワーも浴びずにソファで寝ちゃいました。
朝起きたら全然身体も心も休まってなくて、正直めちゃくちゃ休みたかったけどそういうわけにも行かないじゃないですか。渋々会社に行こうとしてその公園の前を通ると、なんか近所のおじいちゃんおばあちゃん達がその砂場のとこに集まって話し合いしてたんですよ。昨日のことがあってどうしても気になっちゃったから、時間に余裕もあったし「どうしたんですか?」って声をかけたんですよ。そしたら「散歩に通りかかったら砂場がこんなことになっていて、どうしたら良いかと話してたんですよ」って。どんなことになってるんだと思って砂場を見ると。砂にまだらに赤い色が混ぜられていたんです。一瞬血かと思ったけどもっと明るい、赤えんぴつみたいな赤色でした。
「悪戯にしちゃあ気味が悪いし、警察に相談しようかと思って」
おじいちゃん達の話を聞きながら赤くなった砂を見ていると、何故か突然(これ、口紅じゃないかな)という考えが浮かびました。砂だらけでわからなかったけど、昨日の奴、口周りに口紅を塗ったくってたんじゃないかなって。(だから口周りだけ汚れが酷かったのか)ってすとんと腑に落ちました。でもそんなこと当然言えませんから、当たり障りのないことを言ってその場を離れました。
結局、砂を綺麗にするより砂場ごと撤去した方が安上がりってことになって、今に至ります。もともと利用者も少ない公園だったし、誰も反対しなかったんでしょうね。
時々遅い時間に公園の前を通ると、あのときのあいつは、今もどこかの砂場で、口紅を塗ったくった口に砂を詰めてるのかなって思うんですよね。
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