32 帰還 - 高村有希子
何度も呼び掛けてくる女の声に促されて有希子は目を覚ました。
ぼんやりとした視界が像を結ぶと、こちらを覗き込むふたつの顔が見えた。一人はポニーテール、もう一人はショートヘアのいずれも初老の女たちだった。
共にトレッキング用の衣服を着てリュックを背負っている。彼女たちの頭の後ろには雲の流れる空が広がっていた。
「目、開けた! 良かった! 」
「意識、ちゃんとある? 」
真顔から一転、笑みを浮かべた二人に訊ねた。
「・・・・・今日、何日? 」
「二十五日の十一時よ」
「見せて」
下へ向けられたスマホの画面で日時を確かめる。
2024年9月25日 午前11時05分。
裸のままの四肢の上と下には登山ジャケットが掛けられている。優しい人たちのようだ。
首が動く範囲で辺りの景色を確かめた。
夢で見たのと同じ谷地。夜の時刻とは打って変わり、昼間の今は穏やかな気配に満ち溢れている。わずかに紅葉を始めた木々の梢も美しい。
酷い骨折もしておらず、さほどの痛みを感じていないところもあの夢とは違う。だが、それでもやはり身体は動かない。代わりにせせらぎの音に耳を澄ませた。
近くには渓流もあったのか。
「電話したからもうすぐ助けが来るはずよ。もしかして、誰かに襲われて突き落とされたとか? 」
「ちょっと、あんまり喋らせない方が─」
好奇心に任せて訊ねてきたショートヘアの女の肩をポニーテールの女が叩いた。
「ううん。あっちにある沢で水浴びしたくなって、服を脱いで崖から飛び降りて」
「そんな」
「・・・・・うん、馬鹿げてますよね。別の言い訳を考えます」
頭を強く打ったか、恐慌状態での意識の乱れと考えたらしく、女二人は再び心配そうに顔を見合わせている。
二年前、溝に嵌まった車を乗り捨てて山を彷徨い、最後に足を踏み外して崖から転落したところまでは思い出せた。だが、逮捕されてからの取り調べでは、長い時間の空白と今のこの全裸の姿をどう説明すれば良いのだろうか。
遠くからヘリコプターのプロペラ音が聞こえてくると有希子は瞼を閉じた。
「ユキちゃん」
幼い頃の愛称で呼ぶ誰かの声が頭の中でこだましている。
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