31 帰還 - 薫森祥子

「くぅ・・・・・ごめん、おかあ・・・・・」

 薫森祥子は男たちに両脇を抱えられながら車を降りた。

 痛めた片脚を引き摺りながら歩を進めると乱れた長い髪と肩先から白い灰が落ちた。

 地下駐車場の最奥にある役員専用のエレベーターへ押し込められ、途中階には一切停まらずに地上六十階にある会議スペースへ至る。


「おかえり、妾腹」

 観音扉が開いた先に入るなり、レイコウホールディングス代表取締役会長から声を掛けられた。

 全役員が臨席もしくは画面参加の形で居並ぶ円卓の背後、お台場の海と都心の夜景を一望するガラス張りの手前には、カメリアニュータウン内の炎上する一角を映した巨大なスクリーンがあった。

「ここにいた一千人近くの人間がわずか数時間で全員失踪か。人の歴史がこの先も続くとして三百年くらいは語り草になるのかな」

「不覚でした」

「え? 」

「失敗しました」

「その言葉も的確じゃない。自滅だろ? 何故、ここまで来て事を急いだ」

「状況が劇変して急遽、対応せざるを・・・・・不可抗力も・・・・・」

「しかも、おまえはいつも事後報告だ。自分の能力を過信しているからなぁ。親父にも生前、同じことを言われただろう」

 腹違いの上の兄と直に会うのは一年振りか。同じ空気を吸いたくないと言われ、ここ数年は画面越しにしか対面が許されない。こちらを恐れているのだろう。とくに神嶺の力について調べ始めてからは。

「─土木会社のエンジニアが実家から帰らない女房と娘を無理矢理連れ戻すために、勤め先の倉庫から火薬や燃料を持ち出して脅したというところまでは、まあ良いだろう。

 が、この状況はどうこじつける? 我々はこうならないために莫大な金を注ぎ込んだんじゃないのか? 」

「代案を」

「いや、いらん。対応はこっちで考える。考えようもないが─」

 社長を務める下の兄が眉間に皺を寄せて言葉を継いだ。

「それで結局、仕留めたのか? 」

「判りませんが、いずれにせよ死亡寸前でしたから」

「はっきり確認できたわけではない? 」

「はい」

 上の兄がまた口を開いた

「うん。じつはそのことはもう、さほど心配しているわけじゃないんだ。あの地下のデカい穴蔵も、おまえが雇っていた専門家が言ったことがほぼ当たってた」

「侵入できたのですか? 」

「つい今しがた報告を受けたよ。中へ入った奴らもピンピンしているそうだ。ということは、もうあの場の特殊な影響が完全に消えたってことだろ? 」

「ほぼ、って? 」

「一体だけ見つかったんだよ。炭化して原型を留めてないのが。まあ、普通に考えればそれが神嶺薩貴子ってことになるわけだが、残念ながら男の死体らしい。念のため今、詳しい鑑定に回してる最中だが、あまり意味はないだろうな。女じゃないんだから。

 まあ、それはそれとして、おまえもそろそろ潮時─」

「降格? 」

「そういう言い方もできるかな」

「何故? 」

「危ない橋を渡り過ぎるんだよ。この先、さらに力を持ったら、ますます歯止めが効かなくなるだろ? 城西と黒河で進めていたこともそうだしな。その性分は仕方がないとしても、ここにいる他の全員はもう少し穏便にやりたいと考えているのさ。解るだろ? 我々は世界征服を企む秘密結社じゃない。ただの営利企業なんだから─」

(話が長い。おしっこ、漏れそう・・・・・)

 上の兄は頬杖を突き、顔を歪めた。面影が晩年の父に似てきた。懐かしい。

「今夜中に引き継ぎを済ませてくれ。今まで上がって来なかった情報も含めて。最後に顔、見れて良かったよ。おやすみ、妾腹」

 祥子は太い腕に掴まれたまま向きを変えた。

(も、限界)

 左右の男たちが同時に眉を顰めた。スカートの股間を伝う温もりを感じながら彼らに微笑みかける。円卓に囲まれた床に大量の染みが広がり、室内がざわめき始めた。

「ふふ、返事代わりか・・・・・んっ」

 途中で言葉を失った上の兄の顔がみるみる青ざめていく。

 祥子は首を傾げた。今、自分の目は何色に輝いているのか。

 透明だった水の広がりが鮮血の色に変わった。その水面が沸々と煮え立って大きな頭が幾つも浮上するとざわめきはいったん静まり、すぐに恐懼の絶叫へ転じる。

 我先に席を蹴った役員たちが出口へ殺到する。扉を内外から激しく叩く音が響き渡るがロックは一向に解除されない。これも異常な電磁波の仕業か。

 垂れ下がる乳房と屹立した男根を併せ持つ赤銅色の巨人たちが瞬く間に全身を現した。

 構えた斧を威勢良く振り上げて、杵で餅を搗くように長兄、次兄、さらに蚊帳の外で仰天する叔父の順に次々と粉砕していく。

 祥子は夥しい血と尿の水溜まりに正座しながら一部始終を眺めた。

「ごめんね。カタキ、討て・・・・・」

 呟き終えぬうちに大斧の刃が頭上へ落ちてくる。

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