27 神輿行幸 - 植原尚寿
黒いバンに押し込められて三区の藤倉邸付近まで連れて行かれる途中、いきなり空気振動を伴う爆発音が響き渡った。道路の前方に火柱が上がっている。
うわっ、もうこれ収拾付かないじゃん。どうすんだ。
「非常事態!」
車内のスピーカーから男の声が響いた。助手席にいる薫森祥子が絶叫した。
「な、なっ、何なのよぉーっ 」
その隙に拘束された身を無理に身を揺らして後ろの席を見た。リーザ・フェドトブナは自分と同様、左右を屈強な男たちに固められたまま静かに瞑目していた。
「目標地点到達前に野崎が撃たれっ、わっ」
「ちゃんと報告しなさいっ」
「目標の一区画手前で誤爆しました! 被害状況は不明!」
この場所で良く起きる電子機器の誤作動だと思ったが違うようだ。
「スナイパーがミスったのっ? 」
なるほど、爆薬を直に撃つ方法。しかし、それを遂行する人材の手配も含めて一体、こいつらはどういう組織なのか。間違ってこんな会社に転職してしまった我が身を呪う。
「高い金払ってんのに、どういうことなのよっ。説明して! 」
「ただのミスというより・・・・誤射の直後に狙撃手自体が絶叫して消えたと。服や銃やその他の装備をその場に残して─」
えっ。まさか滝野たちと同じように・・・・・。スピーカーからの声もすぐに雑音と共に途絶えてしまった。
"Мне нужно рассказать вам одну важную историю......."
背後のリーザがいきなりロシア語で何事か語り始めた。最後部の席にいる通訳担当者が即座にそれを日本語に換えていく。
「─わたしたちは完全に神嶺の術策に嵌まっています。
例えば薫森さん、あなたのお父様は一時的に幻覚の世界へ引き込まれながらも、そこから生還することができました。また、野崎謙介も数ヶ月に亘って似た症状に悩まされはしたものの、この瞬間までは生きながらえていました。
その一方で今、ここでは人間が一瞬で消滅する極端な事案が起き始めています。つまり、神嶺には相手を陥れる幻覚の深さや状況まで自由に操る力があるということです。しかもその幻覚は人間を丸ごと消失させるほどのリアリティを有しています。
幻覚という言葉が適切なのかどうかさえ判りません。それよりも人間の現実認識を歪めることで生じる異界や異次元空間といったものに近い概念なのではないでしょうか
そこまでの強大な能力を背景にして、彼女は自らこの状況を演出しているのです─」
薫森祥子が鬼の形相を浮かべて振り返った。
"Get to the point, fast!"
リーザはその剣幕を無視しながら新たなリーディングの内容を告げた。
「─要点はひとつ。今、神嶺はこの街にいる全員の生命と引き替えに、何か特別な呪術を執り行おうとしている、ということです。
四区の地下施設、これまでその内部構造を透視しようとして何度も失敗を繰り返してきましたが、ここに至ってその理由がようやく見えました。
あそこには初めから何もないのです。
神嶺はあの地下空間を呪術の祭壇に見立て、この住宅街ができてから暫くの間、拉致してきた生贄を次々と異界へ飛ばしていた─。それだけのことです。繰り返しますが、あそこには物理的な遺体はひとつも存在しません。過去の生贄たちが残した大量の衣類と所持品が残されているだけです」
ナチスの強制収容所で犠牲となった人々の遺品が山と積まれた映像を見たことがあるが、もしかして似たような感じなのか。それはそれで凄く嫌な光景だ・・・・・。
「─ただし、その遺体の件を脇へ置いても、あの地点は異界との交流点という意味で神嶺自身に取って最も重要な場所です。実際、過去透視を続けている間には、当人がそのことについて《座標》という言い方をしている場面を垣間見ることもできました。そして今、彼女は自らの死を前にして、再び同じ《座標点》へ還ろうとしています。
─以上がたった今、読み取ったことの総てです。神嶺の真意をどうしても知りたくて、不用意にその意識と繋がってしまいました。ですから、わたしも恐らく・・・・・」
「なら、向こうが実行する前にぶっ殺しゃあ良いのよ」
薫森祥子は言いながらスマホを耳に当てたが、すぐに癇癪を起こして放り出した。
「ちく・・・・・ダメだわっ。それ貸してっ」
振り返り、無線端末を持つ男の方へ手を伸ばしたが、相手は顔を顰めて首を横に振った。
「こちらも。こうなるともう現場でハンドサインの指示しか─」
「藤倉んちの手前で停めてっ」
「危険です。他の人目もあるでしょうし、いったん引き返し─」
「うるせーっ。停めろよっ」
少しして車が停まると薫森祥子が真っ先に外へ飛び出していく。
「リーザはそのまま。彼だけ降ろしてっ」
藤倉邸はT字路の上辺の真ん中に当たる場所に建っている。こちらは急遽、その正面玄関から真っ直ぐ百メートルほど手前の路上に陣取ることになった。
爆発直後の火柱は鎮まったが左奥の区画は依然、炎上を続けている。レイコウはここまでの事態をどうやって収拾するつもりなのか。こんな大それたことまで隠蔽できるのなら、この国はすでに法治国家ではない。
そう思ったそばから薫森祥子がまた無茶なことを叫んだ。
「─交渉して、警察と消防の出動を少しでも引き伸ばしなさいっ。彼らの到着前に完全決着させるわよ。わたしの合図で突入して。可能なら今度こそ藤倉の家を爆破!」と、隣の男に言い終える間もなく、頭上へ掲げた片手を大きく振り下ろした。
直後、それまで真っ暗だった藤倉邸内外の照明が一斉に点灯した。
「何するつもり? 」
「判りません」
明るくなった玄関の扉が開き、複数の人影が屋外へ現れた。左手から差す炎の光に照らされているのは男一人に女が二人。全員、一糸纏わぬ姿のようだ。
「藤倉とその長女、それから孫娘ですね」
「保護して車へ乗せて。抵抗したら強制的に」
薫森祥子はそう指示するとこちらへ振り返った。
「少し前へ出ましょう」
「うう、嫌だっ」
「もうすぐ終わります」
先頭には薫森祥子と側近らしき男、そのすぐ後ろを黒づくめの男たちに押さえ付けられながら歩かされる羽目になった。さらに背後にもそれと似たような厳つい連中がぞろぞろと続いている。誤爆した炎の熱気で顔の肌が少しピリピリした。
玄関から五十メートルほどの距離まで近づくと薫森祥子は足を止めた。
「かみねぇーっ、聞こえてるぅーっ? あんたの息子はここにいるわよーっ。会いたかったらすぐに出てきなさぁーい! 」
「ちょ、ちょっとっ。お願いだからぁーっ」
「ハッタリですよ。素直に出てくるわけないじゃないですか」
そう言い終えぬうちに扉が開いたままの玄関の奥から今度は黒い影の塊が現れた。
この距離からはにわかに判別し難いが、こちらへ足を向ける形で空中に横たわる人間の姿に見えなくもない。すでに高村亜希子の前例があるので、この現象自体にさほどの驚きはない。しかし、本当に神嶺本人ならどうすれば良いのか。一瞬で消滅の憂き目に遭うことだけは御免だ。
先に出て来た全裸の三人もまだ捕獲されていない。各々が手にした包丁やナイフを振り回し、捕まえようとするスタッフを威嚇している。野崎の妻か娘らしきゲラゲラと笑う声も聞こえる。
「撃って」
「しかし、手前の三人が」
「初めから死亡者にカウントしてたから良いのよっ」
この女も先刻から完全に常軌を逸している。殺意の熱情に駆られる氷の女王。最低最悪の人格だ。
背後に控えていたボディーガードたちの様子までおかしくなりつつあった。それまで五人ほどで固まっていたのがいつの間にか散り散りバラバラとなり、各々が自分の周囲を不審げに見回している。まるですぐ近くに何かが潜んでいるかのように。
釣られて目の届く範囲を眺めてみたが特段、何も見つけられなかった。
─パンッ。
ついに銃声が響いた。最初は一発。続けて散発的に五、六発。しかし、地上三メートルほどの高さに浮遊する人体形状の物体は一向に落ちない。それどころか、少しずつ確実にこちらへ近づいてくる。
「あれを! 」
側近の男がT字路の左右の路上を続け様に指差した。その道筋から新たな全裸の人影が次々と現れ出している。ほとんどが高齢の男女。腹と尻が弛んだ生白い身を揺らしながら浮遊する人体の周囲へ群がり、まるで神輿行列のように一体となって進み始める。
成澤との会話をまた思い出した。場の影響を受けて気がおかしくなっている住人がここにはすでに大勢いる─。まさにその不安を裏付ける情景だった。
「ますます撃てませんっ」
「だったら、当たらないようにやれよっ。それがおまえらの仕事だろっ」
薫森祥子は狂ったようにハンドサインを出し続けるが、もはや銃声は一発も響かない。
諸処から神嶺を狙う狙撃手たちの身に著しい不都合が生じているのだろう。個々の持ち場にはもう彼らの銃器と衣服しか残っていないのだと思った。
不気味な神輿の一団は目と鼻の先まで近づいている。肩を揺らして歩く全裸の老人たちは何れも虚ろな表情で黒目があらぬ方へ流れていた。
その頭上を浮きながら動く人体の細部も見えてきた。正視に耐えない代物だった。
先の目視報告で一部損壊と言っていたのは誤認だったようだ。そうではなく、顔から爪先に至るまでの全身が黒い肉瘤で覆われている。しかもその瘤の一部が糜爛しているのか、移動しながらボトボトと垂れ落ちていた。これでまだ生きているのか。吐き気が込み上げて顔を背ける。すると、逸らした視線の先にはさらに戦慄する光景が控えていた。
「うげっ・・・・・」
路上に落ちた瘤肉が少しずつ盛り上がり、そこにふたつの目が開くと、そのまま薄闇の中へ吸い込まれて消えた。五月から目撃数が増えていた黒い人体型オブジェとはこれのことに違いない。
「かみねぇーっ、これ以上、近づくなぁーっ」
顔から血の気が失せた薫森祥子が吠えるように叫びながら、震える手で握り締めた大きなナイフの切っ先をこちらの首筋へ突きつけてきた。
「止せっ。落ち着けっ。あんた、どうかしてるっ。それより早くここから逃げよう!」
必死に宥めたがまるで聞く耳を持たない。わずか十メートル足らずの距離で神輿の集団とまともに対峙した。
「おい、バケモノ! この男の顔、よく見ろよっ。大事にしてるオマエの息子だよ! こいつのことを思うんなら、このまま大人しくここでくたばれっ・・・・・あっ、ああ・・・・・な、何だよっ、こいつらはっ・・・・・」
脅し文句から転じた急な狼狽の声と共に、それまで喉仏に当たっていたナイフの刃が離れた。両側からこちらの腕を掴んでいた男たちも似たような顔付きで、自分たちの足許へ忙しなく目を落としている。彼らの目には何かが見え始めているようだった。
その一瞬の隙を突いて左の男の太腿を蹴り飛ばし、右側の男も突き飛ばしてその場を逃れた。
来た道を戻れば乗ってきたバンが待ち構えている。そこでいったん逆方向へ走った。
「うんぎゃああああああああーっ」
背後の凄まじい悲鳴に思わず振り向く。薫森祥子の身体が浮いているのが見えた。それまで仰臥していた黒い肉体がゆっくりと半身を起こし、痙攣して仰け反る氷の女王の口許へ瘤だらけの顔を寄せている。
無理矢理の接吻を終えてスーツの肢体が落下すると、その場に残っていた男たちが一斉に駆け寄り、バンが駐まっている方向へ慌てて連れ去った。
そこまで見届けて再び走り出す。突き当たりの藤倉邸の前で右へ曲がり、当てがないまま三区を駆け抜けて二区へ入ったものの、辺りの惨状に耐え切れずついに足が留まった。
雨が上がったばかりの路上には複数の衣類や下着、眼鏡、歩行杖などが散乱し、付近一帯から人の気配が消え失せているように感じた。
押し潰されそうな恐怖と共に途方に暮れて、目に付いた家の玄関先の階段に座り込んだ。
もしかしたらリーザ・フェドトブナは、この状況から逃れる術を自分に教えようとしていたのではないか。
一縷の望みを託し、小さく折りたたまれた紙面をブルゾンのポケットから取り出す。
薄暗い玄関灯の下でそれを広げた。
『依頼主に気づかれないように、わたしの信頼する友人でもある通訳の女性に日本語で代筆してもらいました。口頭、通信いずれの形でも必ず彼らの目に留まってしまうので。
今、私が後悔しているのは重要なリーディングを読み誤ったことではなく、そもそもこのプロジェクトの申し出を引き受けたことです。それがこれを書いた理由です。
あなたは今、異なるふたつの力の狭間にいます。
ひとつはあなたの母親を通して顕現している、超越的でありつつもイレギュラーな意志の力。もうひとつは土地特有の地霊のような極めて限定的な存在に由来する力です。
曖昧で抽象的な表現で申し訳ありません。他に適切な言葉が見つかりません。
過去に依頼主への報告書からわたしの一存で除外したリーディングの内容もお伝えしておきます。
今から42年前─』
突然、身の内に生じた浮遊感と共に紙に書かれた字面が暗闇に溶けていく。軽く閉じた瞼の裏に昔の表参道の光景が見えてきた。
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