26 アストラル・プロジェクション - 植原尚寿
「藤倉邸から一報が入りました」
スマホを耳に当てた男が地下管制室へ飛び込んできた。奥のテーブルで目頭を擦っていた薫森祥子は椅子から立ち上がり、壁際に幾つも並んだモニターパネルのひとつへ顔を寄せる。
「見せて」
「それが・・・・・」
「早く」
「映像データの送信前に通信自体が途切れ、直前の口頭報告のみです」
「何て? 」
「一階南側奥にある介護室のベッドに横たわる女性らしき姿を目視できたそうです。ただ四肢が部分的に損壊していて生死も不明と」
「損壊? 」
「詳細不明です」
「このまま応答しなかったらすぐ人員を追加して。今度は映像も確実に」
言われた男は頭を横に振った。
「止めた方が。いきなり通信を絶ったというのは、つまりそういうことですよ。これで向こうがこちらの動きに気づいたとなれば─」
「猶予はないってことね。でも、もしまた罠なら? 」
「その辺はご判断を」
「植原さん」
室内の片隅で独り俯いていたところへ急に名を呼ばれて軽く飛び上がる。
「な、何ですか」
「少々離れますが、あなた方はこのままで」
薫森祥子はこちらの顔も見ずにそう言い残すと隣の会議室へ去った。これから何をしようというのか。藤倉の屋敷を急襲するつもりか。
落ち着かぬまま広いテーブルへ戻り、リーザ・フェドトブナとその通訳担当者からなるべく離れた席へ腰掛けた。
あれからすぐに城西市の施設を離れ、再びこの出張所へ逆戻りさせられたわけだが、単に自分の気のせいばかりでなく建物の空気は一変していた。
極度に張り詰めていることはもちろん、内部で動く人の顔が違う。とくに地下を出入りするのは、これまで見たことのない目付きが鋭い男女の姿ばかり。
モニタリング関連のエンジニアたちも同様で、その中に成澤の姿は見当たらなかった。あのまま無事にお役御免となれたのだろうか。他人事ながら気に掛かる。
またこれとは逆に、階上のレギュラースタッフは管理室内での強制待機を続けさせられている。住民説明会も急遽の中止。こちらと入れ違いに城興の営業マンたちがふて腐れながら帰社していく姿も見た。
つまり、この場は今、文字通りの厳戒態勢。嫌な報せも立て続けに入ってくる。
何よりも心配なのは四区のゴミ屋敷付近で突然、消息を絶った滝野を初めとする五人の安否だ。話に拠れば車両二台が路上に乗り捨てられた形で、しかも全員の衣服と所持品がゴミ屋敷の庭に散乱していたらしい。
滝野は通信を絶つ寸前に「ここ数ヶ月、目撃事例が増え始めた黒い人体型オブジェに襲撃され、さらに権頭重辰郎からも銃撃されている」という錯綜した状況を語ったとも聞かされた。ヤクザもオバケの仲間だったのか。
さらに管理室の川瀬からは、わずか数時間のうちに住民から寄せられた苦情や相談の数々を書き連ねたメモを渡された。
「真っ黒い宇宙人が道路に集まっているのを見た」
「ペットの犬猫がいきなり爆発してその姿が消えた」
「雀蜂の大群が飛び回る羽音が聞こえて怖い。蜂の巣除去の業者を呼んで欲しい」等々。
極めつけは高村亜紀子に関する目撃情報で、今現在も彼女は一糸纏わぬ姿でこの街のどこかの上空を漂っているらしい。狂ってる・・・・・。
薫森祥子にそのメモを見せて指示を仰いだが、これまたけんもほろろの回答だった。
「─警察、消防、報道など全方位に亘って抑え込んでいる最中ですが、どこまで保つかは判りません。ただ、そうした個々の事象に患わされるステージはとうに過ぎているとも言えます。今、集中しなくてはいけないのは総ての元凶である本丸の制圧です。
拳銃を所持している権頭と、それから高村有希子。この両人についてはこちらで身柄を確保して警察に引き渡せば事が済みますし、すでに高村亜紀子の追跡と捕獲にも着手しています。最悪の場合、目撃者数が増える前に撃墜、隠蔽ということになるかもしれません」など、どこまで実行できるのかも解らない台詞を一方的に捲し立てていた。
何事も冷酷に割り切る女だが、ここへ来てその割り切り方が雑になっている。そう見えていないだけで、彼女もテンパッているのではないか。この船に乗り続けて本当に大丈夫か。ますます不安が募る。
自分の産みの母親がどうこうという信じ難い話もいったん心の奥に封印した。向こうはDNA鑑定の結果まで踏まえて言ったことなのだろうが、それと今、正面から向き合えば即座に気が触れるのは必定だし、何よりこの現実離れして危険な状況下でこれ以上、無駄に狼狽えればそれもまた命取りだ。
薫森祥子に「順応性が高い」と誉められたように、こういう非常時にはいったん常識的な思考を止め、余計な感情の揺らぎを廃する他に対処の策はない。無論これほど酷いことはかつてなかったが、今までも似たような感じで世の中を渡ってきた。
ああ、でも・・・・・もし神嶺薩貴子の莫大な遺産を一手に相続ということになったら、この先の人生はどのように転ぶのかな。妻と娘は本当に帰るのか。
あ、考えないと決めたのに言ってるそばから考えちゃった。もう、止そう。この地下で状況の推移を観察しながら、何とか逃亡の機を窺う。それだけに専念しよう。
「あの、ちょっと」
通訳の女が急に声を掛けてきた。
「はい? 」
「リーザさんがあなたにお訊きしたいことがあるそうで」
「いや、今は止めておきましょうよ。それどころじゃないですし」
横を向き、わざと風悪く手を振って断ったが、向こうは構わず話し続ける。
「奥様と離婚された経緯を教えてください」
こめかみがひくつき、思わず二人を睨みつけた。
「何ならこの頭の中、読み取ったらどうですか? 」
リーザ・フェドトブナが通訳に耳打ちした。
「女性関係を疑われたのでは? 」
「・・・・・」
「しかも心当たりがない」
「じつは─」
妻からはある日突然、離婚を切り出された。その時に突き出してきたスマホの画面を見て愕然とした。通勤駅を降りて家へ帰る途中の自分自身が見識らぬ女と連れ立って歩いていた。彼女はいつもの買い物帰りにその現場に遭遇したのだと言った。
連続して撮られた写真の中には、女がこちらの身体へ親密に絡みついてる瞬間が写った一枚もあったと記憶している。また、いずれのショットでもその姿は後ろ向きだったので、顔容は判らずじまいだった。
もちろん身に覚えのないことだったので冷静に言葉を尽くして否定したが、結局それを証拠に押し切られ、妻は半月後に娘を連れて家から出て行ってしまった。
ちゃちな合成画像であることは明白で、そうまでして別れたかったのかと当時は酷く打ちのめされた。その後も暫くはすったもんだを続け、最後は終わりのない泥仕合を避けるために渋々、離婚に同意した。
嫌々ながらにあらましを伝えるとリーザは頷き、再び通訳に耳打ちする。
「─合成画像ではなくアストラル・プロジェクションです。日本では生き霊を飛ばすという言い方をするそうですが」
「生き霊? それも? 」
「─はい。神嶺薩貴子。あなたが着任して以来、この住宅地で異常現象が起きる頻度が減ったことと同じく、子を想う母の気持ちが起こした現象です」
「じゃあ、赤ん坊の交換は? やってることが支離滅裂じゃないですか」
「─神嶺の意識を直接、読み取る行為は、防御服も着ずに放射性物質に近づくようなものなんです。あなたが昼間に見た女性霊媒の二の舞になりたくないありません。ですから、その真意は測りかねます。
ただ、敢えて推測するならば、レイコウの関係者、もしくは彼女との関係性に於いて似た立場にいる何者かが自分の子供に危害を加える可能性を恐れた。という考えは成り立つかもしれません。
自分との繋がりを悟られにくい場所で子供を安全に育てさせるのが目的だったわけです。ただ、仮に養子縁組という形を取っても必ず痕跡を辿られるでしょうし、養護施設などへ預けたまま無関係を装ったとしても、場合に拠っては物質的な援助などが必要となり、そうすればそこからまた足がつきます。だから、裏を掻いたわけです。例え母一人子一人の状況となっても、責任を持ってそれを育てるであろう女性に託す形で」
「その変な《子を想う母の気持ち》のおかげでわたしは家庭を失いましたが」
「─奥様はずっと離婚を切り出したくて、写真はひとつのきっかけに過ぎなかったのでしょう」
ああ、ここまで訊いたらロシア国防省お墨付きのリーディングで贅沢に確かめよう。もう、答えは解っているが。
「妻はわたしの何が不満だったんでしょうか」
「─あなたに愛されていないと感じていた。その一事に尽きます。
人は後天的な機会を通じて様々な感情の機微を学びます。最初の教師は両親、とくに母親です。その時に母親からの愛情が不足していれば、愛というものの繊細なニュアンスや実感、あるいは他者に対するその適切な表現方法を十分には学べないということです。
植原晴美さんは自分の子が神嶺の子と交換された事実までは知らなくとも、少なくとも深層意識の中ではあなたが自分が生んだ子供ではないと気づいていたのでしょう─」
「ああ、ごめん。やっぱ、もう良いです」
恐怖と憤りとやるせなさが入り混じった、沸騰する泥水のような思いが湧き起こった。今までは朧気な存在でしかなかった神嶺薩貴子という女が、ここに来て急に実体を帯びてきた。
立ち上がったリーザがこちらへ近づく。憐れむような顔。抵抗する気力も失せ、その大きな胸に大人しく抱擁された。筋肉質の見た目よりも柔らかい。
顔を上げて通訳担当者を見た。
「母の本当の息子、つまりわたしの兄か弟に当たる人は今、どこに? 」
通訳がロシア語で伝えても、リーザは何も言わない。代わりにこちらのブルゾンのポケットへそっと手を差し入れ、微かに首を横に振った。
「お待たせしました」
ヒールをカツカツと鳴らしながら薫森祥子が戻ってきた。
「先手必勝。すぐに決行します」
「突入ですか? 」
訊ねるや否や、その顔に般若のような笑みが浮かんだ。
「あの野崎謙介を愛しい妻子と再会させてあげるんですよ」
「まさか、彼も突入させるっ? 」
驚いてまた訊ねると、今度は藤倉邸の正面全景が映るモニターを指差した。
「精神的に追い詰められた野崎が勤め先から盗んだ可燃物や爆発物を全身に巻き、無理心中を図って妻の実家へ飛び込む。そして爆発。屋内の人間は全員即死、です。本人は薬物で酩酊させてあるので、こちらで誘導するんですけどね。
幸い野崎邸の左隣は空き家。右隣の老夫婦は旅行中。裏手奥の三軒はガス漏れの疑いがあるということで避難させました」
「にしたって、こんな大っぴらに? あなたもレイコウも終わりますよ! 」
「終わりません」
般若の笑顔がカーリー女神の狂笑に深化した。
「─大衆が納得できるストーリーさえ作れれば後はどうでも良いんですよ。それに沿って工作をして各方面の利害調整もして、それからそのストーリーラインを外れた不確定要素の消去も。この社会で真実と呼ばれるものは大半が同じプロセスで作られています。
ですから、わたしたちは何がどう転ぼうと痛くも痒くもありません。相応のお金は掛かりますけど。
可能であれば警察と消防に先んじて神嶺の遺体を回収します。無論、あなたに取っては産みの母ですし、複雑な心境も察しますが、それを乗り越えれば奥様や娘さんとの幸せな暮らしが待ってますよ。コートジボワールかニースか、はたまた─」
「正気ですかっ」
「少なくとも母が殺されるまでは正気でした」
「神嶺の件はともかく殺人の共犯は御免ですっ。これ以上、恐ろしいことに巻き込まないでくれっ。上で辞職願を書きます! 」
「共犯じゃないですよぉ。ただ、わたしと一緒に見物するだけ。そして一夜で超富裕層の仲間入りをする。何処に問題があるのかしら」
話しても無駄だ。もっと早く気づくべきだった。一目散に出口へ走ったが、扉の前に立つ二人の男たちに羽交い締めにされた。そこへ薫森祥子の顔が迫る。
「正直に言いますね。神嶺が爆死する瞬間、あなたがちょっとだけでも嫌な思いをすれば、それでわたしの気が晴れるんです。この思い、解ってもらえます?
まあ、実の母だと聞かされたばかりの見ず知らずの女です。しかも得体の知れない外道の悪魔に感情移入するなんて土台無理な話ですよね。だから、何も感じないというのならそれはそれで良いんですよ。どうか、わたしの酔狂に少しだけ付き合って─」
「そ、そういうことじゃないでしょっ。野崎とその妻子と藤倉も死ぬんでしょっ? 良心の呵責とか、そういうのはっ」
「忘れました? 四区の更地には大量の─」
あ、そうだった。こいつら、初めからマトモじゃないんだった。
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