22 霊媒問答タイム - 植原尚寿
リーザ・フェドトブナと女性通訳者は二人並んで薫森祥子の側に着席した。強い香水の匂いが室内に漂う。
「こちら、フェドトブナさん」
紹介された本人が強張った笑みを浮かべて頷くと額の赤い髪筋がふわりと垂れた。胸の厚みと肩幅の広さはともかく、間近に見る容貌は思っていたほどゴツくない。いや、むしろ繊細な美人顔だ。
"Nice to meet you, Mr. Uehara ".
低音なのに澄み渡って通る不思議な声質。黄色人種にはあり得ない肌の白さと青紫の瞳も相俟って、神秘的で凛とした雰囲気を醸し出している。見た感じは四十代の半ば過ぎと思うが、ヴァルキリーのコスプレでもさせたら凄く似合いそうだ。
「─彼女はこのプロジェクトにおける主柱の存在でした。おかげで神嶺がどんな呪術を用いていたのか、あるいは何を考えていたのかなど、その片鱗が徐々に窺えるようになりました。
まあ、そうした功績はともかく、今回は致命的とも言えるリーディング・ミスで、これほど傑出したクレアヴォイアントでも、あ、日本語で」
「透視能力者」
「はい。川瀬からも話を聞いていましたよね」
「え? 」
「石碑群の話はどう思いました? 地下では成澤とも盛り上がっていたようですが」
「ずっと監視していたんですか」
「ええ」
「しかし、成澤さんは」
「監視カメラの死角のことですか? それで仮に本社の調査室の目を逃れたからといって、どうして我々まで騙せると思うのですか? 少なくともあの事務棟内にわたしの目と耳が届かないスペースはありません」
薫森祥子はこれ見よがしに身を乗り出してきた。
「─先程も言いましたが、着任から今日までのあなたの仕事振り、わたしたちは仔細洩らさず拝見してきたんですよ。誰と会って何を話しているのかなども逐一ね。
また、そうしたことを立案し、主導してきたのがまさに今ここにいるフェドトブナなのです。
彼女はごく初期段階から、植原さんが当プロジェクトに欠かせない人材であると強く主張していました。一刻も早くあの現場へ投入して、どんな影響が出るのかをデータ収集と共に細かく観察するべきだと。
ただ、そうした助言を即、鵜呑みにもできなかったので、まずは慎重に透視内容の裏を取りました。あなたに関することを徹底的に調べ上げ、再び検討を重ね、まずはヘッドハンティングでグループ内へ誘い入れて資質を見極め、そこまでした上でリタイヤした前室長の後任という形でここへ来てもらったという次第なのです。
おかげさまで投入の成果は見事に顕れました。それまでエリア内で頻発していた局所の電磁気異常、さらに大気イオン濃度の異常数値なども目に見えて減少しましたし、それらはほぼ必ず諸々の超常現象の前兆として起きていましたから、その目撃事例自体も激減したというわけです。
もっとも、このことに関してわたし自身は別の要因も考慮していたのですが、どうやらそれが誤認に基づいた情報であったことを、ほんの数時間前にリーザ自身の口から告げられまして─」
薫森祥子は言葉を止め、隣に座るフェドトブナを睨みながら吐き捨てた。
"Explain yourself, you bitch!"
話を振られたリーザ・フェドトブナは困惑の表情を浮かべた。
訛のある英語を訥々と発し始めたが、やがて頭を横に振って母国語に切り替えた。向かいの端に座る通訳担当がそれを逐一、日本語に換えていく。
"В заключение хочу сказать, что Sakiko Kamine меня обманули......."
「─結論から先に申し上げると、わたしは神嶺薩貴子に欺かれたのです。
初めにここのスタッフからレクチャーされた状況説明の中で、神嶺が深刻な病状に陥っている可能性が高いことを知り、念のために遠隔透視を試行して、それが事実であるとの判定を下しました。
そして、その後は彼女の余命が長くないという前提に基づいて、あの場に関与している特殊なパワーを能う限り安全に解除するための様々な方策を提案したわけです─」
ロシア語のしっとりとしたハスキーボイスと、それを受けた通訳の抑揚のない日本語とを交互に聞かされているうちに、いよいよ混沌の世界へ引き摺り込まれた。もはや常識的な思考で抗しても無駄だ。この流れに身を任せるしかない。
"Однако сегодня я впервые попробовал ясновидение на месте и получил информацию о факте, который от меня скрывали........."
「─しかし今日、初めて現地での透視を試みて、隠されていた事実が明らかになりました。現在、危篤の床にいる高齢女性は神嶺ではありません。撹乱を目的に仕立てられたダミーです。本物の神嶺はすでにあの住宅街の内部に潜伏しているはずで、その場所はほぼ間違いなく藤倉真樹夫という医師の自宅です。
─彼は元々、神嶺と深い関わりがある人物で、今では完全にその精神的支配下に置かれています。また、同じ家に後から居着いた藤倉の娘と孫娘も同様の洗脳状態にあり、神嶺の看護の手伝いをさせられているようです。
恐らく神嶺当人が死の床にあるということ自体は紛れもない事実で、藤倉はその延命を図りつつ、密かに匿っているということなのでしょう。
─彼女のサイキッカーとしてのテクニックは想像以上に高度で、しかも非常にトリッキーです。わたしのような同類の能力者に偽りの記憶情報を読ませて、完全に信じ込ませることまでできるのですから。一体どのような背景の下にそれほどの卓越した能力を持ち得たのか、驚嘆以外の言葉が見つかりません。
ともかく、あの住宅街に蔓延する悪しき波動に蝕まれるのを恐れて、これまで現地視察を避けていたことをわたしは今更ながらに悔やみ─」
「ああ、もうその辺で良いわ。時間が勿体ないから」
薫森祥子が再びテーブルへ身を乗り出してくる。
「あれから急遽、諸処に手を回して、神嶺薩貴子に影武者的な存在がいたのかどうかを確認させている最中なのですが、現状その可能性は五分五分です。少なくとも白人とアジア人とのハーフ女性を何人か近くに置いていた、という事実はあるようで、引き続きその辺りの事情を調べています。
影武者・・・・・正直、そこまでは考えていませんでした。当然、予測するべきでその点は不覚です。
さっそく藤倉家に関する直近のデータも洗い直したところ、この四月から五月にかけて大型の家電や家具類を幾つも買い換えていたことが判りました。従って、それらの荷物のいずれかに本物の神嶺薩貴子が潜んでいた可能性も否定できないわけです。
藤倉の亡き妻は生前、長患いの寝たきり状態が続き、彼はそれを自宅で世話するためにわざわざ専用の介護室まで造りました。今はその部屋が神嶺の延命に転用されているのだと考えれば、話の辻褄がさらに合います─」
次から次へと新たな事実が飛び出し、ただでさえ混乱の極にある頭の中が付いていかない。話を遮り、途中の疑問をぶつけた。
「ちょっ、ちょっと待ってください。神嶺と藤倉との間に何かの因縁があることが判っていたのなら、どうしてもっと早くから厳重にマークしなかったんですか。まあ、してたっておっしゃいましたけど。
とくに五月以降は義理の息子との間でトラブルになっていたわけだし、屋内にカメラや盗聴器を仕掛けまくるとか。お得意でしょ? 」
「やりましたよ。ただ、こちらのチェックを向こうがスルーしたということです─」
薫森祥子は顔色を変えずに答えた。ささやかな皮肉が効いていない。残念なような、ホッとしたような。
「藤倉がカメリアニュータウンに居を構えた経緯も、すでに三年前の段階で調査済みです。当時、彼は城西市内にある母校の大学病院へ移ることが決まっていたのですが、その際に資産家だった妻の両親があの新居を購入してプレゼントしたんです。それ以外の事実は一切出てきませんでした。つまり偶然の一致だろうと。
ですから野崎謙介の家族の件が起きた時も、あそこでよくあるP絡みのトラブルのひとつという以上の認識ができませんでした。しかし、実際はそうではなかった」
「シンクロニシティが起きる裏には誰かの意志が働いている? 」
「はい。先程は自戒の意味も籠めてお話ししました。
何しろ急な展開だったので、藤倉家の屋内の詳細状況などを完全に把握するには至っていませんが、取りあえずは外部監視を重点的に継続し、もし何か起きそうなら早急に対処することになるかと。
そういうわけで、これからすぐ現地へ戻ります」
「つ、つまり、その何かが起きた時にはわたしを盾にするということなんですかっ」
「どうでしょう。事ここに至っては、対神嶺の手札としてのあなたがどれだけの有用性を持ち得るのかも不明ですし。ただ、いないよりはいた方がマシ・・・・・あ、失礼」
「ヨリによって何故わたしなんですかっ。霊感なんてゼロも良いとこだし、いや、それどころか人一倍、勘が鈍くて察しの悪い人間だっていうのにっ。
鈍すぎて、冷淡な父親だって誤解されて妻と娘にも逃げられちゃったし、死んだ母からも人でなしとまで詰られた情けない息子ですよっ? そんなわたしが、お話しされたような重大な局面で一体何の役に立つっていうんですかっ。お願いですから、この辺で許してくださいよぉ、薫森さぁーんっ」
我知らず涙目になり、縋りつくように訴えたが、向こうは眉ひとつ動かさない。それどころか口の端を歪ませて不敵に笑った。
「うふふふ。植原さん」
「はい・・・・・」
「神嶺の総資産ってどれくらいあると思います? わたしたちも完全に把握し切れてはいないのですが、恐らくフォーブスの番付に載るほどの額です。それをあなたが全額継承するのだとしたら? 」
「えっ? 」
「遺産相続までの段取りは総てこちらに任せてくださいね。合法、非合法取り混ぜて柔軟に処理しますから。また同時に社外役員の席も用意させてもらいます」
「な、何言ってんすかっ」
「新たに手にしたその資力で我々の今後の事業展開を支えていただきたいのです。あなたがそうした立場になれば、奥様と娘さんも自ずから戻るでしょうし、この落ちぶれていく日本を捨てて、ニースやモナコやコート・ダジュールで家族楽しく暮らすも良し」
「し、しっ、薫森さん! 」
塞がらぬ口を無理に閉じ、こちらもテーブルへ身を乗り出し返す。
「いい加減にしてくださいっ。今までは雇用契約を逸脱しても目を瞑って我慢してきましたけどね、人をからかうにも限度ってモンがあるでしょっ。一体、わたしを何だと思ってるんです! 使い捨て? ああ、そりゃ解ってますよっ。でもね、あの、ああ、上手く言えない! くそっ。あのですね、そもそも─」
「落ち着きましょう」
「落ち着けるわけないでしょ! 」
「─これだけ話してもまだ察せないのですか。使い捨てどころか、あなたは我がグループに取って貴重な宝物なんですよ」
「たから? 」
薫森祥子は鼻を膨らませて大きく頷いた。
「ここにいるリーザはわたしに断言しました。Pが急激に鎮静化したのは、母親が自分の子供の存在を感知し、深く配慮しているからだと。また、その子に母の資質が受け継がれている可能性も高いと。例えそれが目に見える形で発現していなくても、あなたの些細な脳構造や神経構造を遺伝子解析のレベルまで調べ上げれば、神嶺の特殊な能力の一端が解明できるかもしれないということです」
母? 子? 遺伝子解析? ナンノコッチャ。大金持ちにしてやると言った舌の根も乾かぬうちに、今度は実験動物にする算段か?
その顔を見るのも嫌になり、リーザ・フェドトブナへ目を転じた。こちらは唇を震わせている。目配せをするように睫毛の長い瞼を瞬かせると静かに横を向いた。何か言いたげな風情だが、薫森祥子は気づかずに話し続ける。
「─藤倉真樹夫の専門は産婦人科です。彼は四十二年前、神嶺が買い取って間もない医療法人に勤務していました。植原さん、あなたが産まれた病院ですよ」
大昔に母から一度だけ見せられた母子手帳の記載欄を思い起こした。
「それって、もしかして赤坂見附の─」
「ええ、赤坂東鳳会病院。今はもうありませんが。
神嶺自身もその同じ病院で極秘のうちに男児を産みました。あなたのお母様と同じ頃に。つまり二人はほぼ同時期に妊娠、出産したんです。リーザが言うには、その時に子供を取り替えたのだろうと─」
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