13 城興レジデンス椿原地区出張所 - 植原尚寿

「しつちょおー」

 事務所の敷地へ踏み入ると、横から野太い声が呼び止めてきた。

 駐車スペースに並ぶ巡回用車両の隙間から、滝野がのっそりと姿を現した。

「すいませんね。肝腎な時にお役に立てなくて」

「気にしないでください。幸い大事には至らなかったから」

「昨日飲み過ぎて便所へ行ってたもんで。へへっ」

 滝野は短髪の頭を掻きながら、バツ悪げに微笑んだ。

 筋骨隆々にして身の丈一九○センチ超えの堂々たる体躯。それが今日も城興のロゴ入りのブルゾンを窮屈そうに羽織っている。

 レイコウ傘下の警備保障会社から、自分と同じく出向という形で配属された男だと聞いている。プロジェクトの立ち上げ当初からいる古参で、現在は警備部門と管理室の業務を兼務する形。腕っ節が強いだけでなく現場の事情にも精通しており、何かに付けて頼りになる存在だ。

 ちょうど車へ乗り込む途中だったようで、助手席側のすぐ外には半袖のワイシャツを着た見知らぬ男もいた。こちらから会釈すると向こうも頭を下げ、名刺入れを取り出した。

「わたくし、ブライアントクリーンズの─」

「はい、よろしくお願いします。これからですか」

「ええ、入れるところまで入ってみます」

「装備などは? 」

 特殊清掃会社の営業は肩から提げた大きな鞄を叩いた。

「一応は用意しましたが、まあ、無理して全部は見ません。まだ暑さが残る時期ですしね。入口からの様子を見れば長年の勘で大体分かるので。ただ─」

「何でしょう」

「廃車のパーツや大物の廃棄物もあるそうで、もし重機を使った撤去となる場合はどうすれば? 」

「その時はこちらで手配します」

 男との名刺交換を終えると、プロジェクト長の来訪を滝野に伝えた。

「何か起きました? 」

「うん、まあ、何とも。後で全員集めて特別な連絡や訓示があるかもしれないから、そうなったらよろしくです」

「了解」

「それと、ついでに4A5の様子も」

「心得てます。道路で女房を殴ってたって話も気になるんで。万が一、クスリの絡みとかあると厄介だしね」

 4A5とは四区のA区画五番の略。そこには権頭重辰郎が住む家がある。

 これから二人が向かうのは、同じ区域の隅に建つ雑木林と接したゴミ屋敷だ。行政指導まで受けていた問題の家屋で、そこの世帯主は連れ合いを亡くした直後から奇行に走り、わざわざ車を使って近隣の粗大ゴミを集め始めた。

 以来、十五年余りにわたって廃棄物やら塵芥やらを溜め込み、今や庭と接する繁みの辺りまでジャンクヤードの様相を呈している。

 先月中頃、その男が家のすぐ前の路上で冷たくなっていた。直接の死因は心臓発作に拠るもので事件性を追究されることはなかったが、いずれこの地で起きたことだけに真相は不明だ。家主死亡の翌週には遠縁の親族の同意を得てすぐに建物の解体が決まり、本日はその下見の第一段。今週中にゴミの撤去、来週には更地へ戻す予定だ。そして例によって費用全額は城興が持つことになっている。


 滝野が運転する車を見送り、出張所へ向かった。外見は一昔前の校舎や役所にも似た味気ない建物だが、内部の設えは垢抜けている。一般的な出張所のイメージとはかけ離れ、どこもかしこもぴかぴかで最新のインテリジェントビルのオフィスと見紛うほどだ─。住宅街を潰し切った後も引き続き使う目的で造ったことは一目瞭然。今後、レイコウがここで何をやるつもりなのか、その計画の一端が仄かに垣間見える。

 入口で守衛に挨拶し、まずはひとつめのセキュリティゲートを通り抜ける。営業部員の詰め所ともなっているパーテーション仕様の応接ブース群を過ぎ、顔認証システムのドアを開いて管理業務専門の勤務エリアへ入った。

 この一階は城興の関係者しか出入りしないが、別の入口を設けた二階と三階には介護サービス系の別会社の出張所や警備スタッフ用の仮眠室なども置かれている。

 さらに地下階は精密機器が溢れ返ったモニタリングスペースが占有しているのだが、ごく一部の勤務員を除いてはその概容すら知らされてはおらず、無論立ち入ることも許されてはいない。

 管理室長である我が身も例外ではない。普段、出入りができるのは管制室手前の特別会議室まで。そこからさらに奥へ進むには、常駐するエンジニアリング職の責任者、もしくはプロジェクト本部直々の許可が要る。

 モニタリングポストから送られてくる地域周辺の電磁気やイオン濃度などのデータが映された壁のパネルを横目に眺めつつ、一階最奥にある管理室の扉を開けた。

 在室していたスタッフは六名。そのうち五名は各々のデスクで事務処理や業者手配の作業に勤しみ、残る一人はファイル資料とPCモニターの狭間で昼食の最中だった。

「おはようございます。今日、駅から歩いて来たんですよね。こんな天気なのに」

 言いながら川瀬は割り箸の先で窓を指した。わずかな隙に雨足が強くなっていた。

「ぎりセーフ。ほとんど濡れなかった」

「四区のヤクザは?」

「さっき伝えた通りです。一応、気を配っておいて」

「了解です。で、どうでした? 」

「何が? 」

「歩いてみての感想」

「田圃と畑と空き地しかなかった」

「石碑は? 」

「ああ、屋根が付いた祠みたいなの? まあ、幾つか見かけたかな」

「あれね、この辺、ていうかこの椿原地区だけに集中して百個以上もあるんです」

「えっ、そんなに? まさか、いちいち数えたの? 」

「んなわけないじゃないですか─」

 話に食い付いたと思ったのか、川瀬がカップ麺を片手にいそいそと近寄ってきた。

 三十半ばくらいのこの男、何かと堅苦しいスタッフが多い中で、飄々とした存在感が異彩を放っている。本来の専門分野は認知情報科学とかで、本籍はレイコウが出資する次世代技術研究機関の正規スタッフらしい。そこで具体的にどんな仕事をしているのかは知らされていない。

 こちらの職場でのこいつの担当は諸々の情報解析および各種取材対応。つまり技術面でのアナリスト職と広報を兼ねるという珍妙なポジションで働いており、「マスメディアが黙って司法も動かなければ、何も起きていないのと同じ」など、時には不穏な台詞まで吐くことがある。

 ただ、各種メディアからの取材申し込みは城興本社の広報室が予め百パーセント撥ねてしまうので、実質は現場の情報統制のプランニングや本部へ送るレポート作成などに専念しているようだ。

「数は受け売りです。フォッ、フッ」

 啜り込んだ麺の汁を飛ばしながら川瀬は言った。

「僕はそこまで暇じゃないので」

「誰の受け売り? 」

「それは─」

「あのさ、丘の繁みに腐るほどある、平べったい石もそれの仲間かな? 」

 それまでモニターと睨めっこをしていた別の男性スタッフが、思い出したように話に加わった。

「あれ、危ねえよな。足、引っ掛けて転びかけたことあるよ。下草に埋もれて全然見えないからさ」

「えっ、わざわざ何しにあそこへ?」

 大仰に驚いた川瀬に向かい、その男は鼻を鳴らした。

「気晴らしだけど、何か問題でも? 座りっ放しだと身体が鈍るしさ」

「怖くないんですか? 」

「電磁気系統のアラームが鳴ってる時はさすがに行かないし。それ以外は基本的に大丈夫なんだろ? 何よりここの爺さん婆さんも毎日、普通に散歩してるじゃん」

「でも、あの辺はとくにPが頻発・・・・・。僕は嫌だな、あそこを独りで歩くなんて。上の階で事務やってる川口さんっているでしょ。あの人も昔、悩まされた毒親の幽霊とあそこで会ったって。ムカついて殴ろうしたら逆に蹴り飛ばされて斜面を転がって、今も整体通いですよ」

「室長はどうですか。もう四ヶ月目だし」

 川瀬に風悪く答えた男が訊いてきた。カフェの件を頭の隅へ追いやり、無理に笑った。

「おかげさまでまだ一度も。毎日、山積みの事案処理はウンザリだけど、霊感ゼロのすっからかんで生まれたことを神に感謝してるよ」

 と、いい加減、デスクへ着こうとすると川瀬がまた蒸し返してきた。

「─でも、まさに今の話通りで人が踏み入らないような場所にもあるわけなんですよ、その石が。森の木立の奥深くとか、広い畑のど真ん中とかね」

「実際、あれ何なのよ? お地蔵さんじゃないよね」

「いや、じつはここへ異動して間もない頃、黒河の市立図書館で─」

 川瀬はカップ麺の残り汁とペットボトルのお茶を交互に飲みながら語り始めた。


 その日、データ化されていない地元の文書資料を紙コピーした川瀬が図書館を出ると、同じ敷地内に建つ民俗資料館の佇まいが目に留まったのだという。

 それで何の気なしにそちらへも立ち寄り、主に江戸時代から近代へかけての雑多な歴史展示物を眺めるうちに、石碑の写真とその拓本が展示されたコーナーへ至った。

 そこには『黒河の道祖神~ミチバタサマ』と書かれていた、と。

「地元じゃ由来も知らないまま、そう呼び習わしてきたらしいんですが、明らかに道じゃない場所にも置かれているのに、名前がミチバタサマって適当過ぎるでしょ。

 んで、まあ、ここの行き帰りにも目に付くもんだし、前から何だろうって気になっていたから、受付奥の部屋にいたそれらしい地味なお姉さんに訊いてみたんですよ。そうしたら案の定、その人は学芸員でやたら親切に教えてくれました─」

「で、要は何だったの? 」

「はい、まあ・・・・・一言で言うと、古い時代の絵文字が刻まれた石だって。ペトログリフっていうんですけどね─」

「ペト? ペテ? 」

「ペ・ト・ロ・グ・リ・フ。面白い話だったんで、早速レポートに纏めて本部に出しました。向こうが興味を持ったかは知らんけど。まあ、少なくとも僕個人としては大昔から人に忌避されてきたヤバイ場所だったってことを再確認できて─」

「ごめん。続きは後で聞かせて」

 非常に気になる話だが、余計な油を売っている暇はない。あと二時間足らずでプロジェクト長がやって来る。その旨を在室者全員に通達し、デスクに着いてPCを立ち上げた。

 勤務開始時のメールチェックは既にスマホで済ませたので省略。関連部署から上がっている週末二日分の日報もひとまずほったらかし、地下の成澤と再び連絡を取った。

「─どうですか? 」

「やっぱり二区でした」

「家の特定は? 」

「あの2B8です。門前に路駐して当人はまだ車の中─」

「・・・・・」

「ええ、そう。嫌な雲行きですよ。というか、もうすでに嵐」

「画面で確認したいのですが」

「すぐ来ます? 上には僕から伝えときます」

「はい・・・・・」

 通話を終えたスマホが重い。椅子から立ち上がる気力すら湧かない。

 初対面のはずなのに、何故その面貌に見覚えがあったのかようやく飲み込めた。あれは要警戒対象の筆頭に挙がっている高村亜紀子の身内・・・・・恐らくは失踪中の妹だ。

 こめかみに鈍い痛みを感じ、引き出しから頭痛薬の小箱を取り出した。一粒摘まんでガリガリと噛み砕く。

 ジョーカーどころの話ではない。スペードの女王が加わってスリーカードがフォーカードになった。最凶の手役を突きつけられて全身の力が抜けていく。

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