12 大学病院付近 - 薫森祥子
「この件はどうなった? 」
植原尚寿との通話を終えた薫森祥子は、スモークガラスの隙間から上方を見上げた。
駐車場の敷地と車の往来が激しい道路を越えた先、積雲が低く流れる空の下には左右にウイングを広げた巨大病院のビルが聳えている。
助手席の男が振り返った。
「霊媒だという女の死因を含め依然、詳細は不明です。対象者も警察の聴取中なので、それが終わるのを待って尾行を再開します」
「あいつ、いい加減に諦めて首括らないかしら。で、さっきの話は? 魔女の家の方」
「運転者の身元と車体の照合を急いでいます」
「ったく、ここへ来て次から次へと何なのよ。捌ききれないわ─」
指先で眉間を揉みながら身を少し乗り出す。
「にしても、奄美から医療ヘリを乗り継いで何処行くのかと思ったら、まさか舞い戻ってくるなんて。しかも、この期に及んでしぶとく延命って─」
「つまるところ─」
「何? 」
「─特殊な力で人を殺せても、逆のことはできないわけですね」
祥子は頷いた。
「あっちの調査はどうなってる? 」
「神嶺の財団からあの病院の大学へ、複数の団体と個人名義で相当の金額が流れています。現理事長も息のかかった人物で─」
「それは飛ばして。もう報告書で読んだから」
「他の寄付先や表の投資先、それから裏で蓄財、還流させていた資金についてもスキームまで含めて解明中です。あちらの会計筋のリークに基づいているので信憑性は高いかと」
「いよいよ危なくなってきたから下の連中も逃げ始めてるわけね。昔はそういう奴ら、片っ端から不審死していたものだけど、それも当人の力が及ばなくなった証拠だわ」
「はあ。ともかく、もう少しお時間を。海外の回避先だけを見てもケイマン、ベリーズ、ドバイなどかなり多岐に亘って─」
応えていた男のスマホが鳴動した。
「失礼します」
通話を終えると再び後部座席へ顔を向けてきた。
「ご指示いただければ、いつでも」
「すぐ、見せて」
風を通していたウィンドウが閉まり、運転席の裏に設置されたモニターが点いた。
立ち上がりのハレーションが落ち着くと、広い病室のベッド周りが映し出された。カメラの視点が低く、激しくぶれている。
「十五分前の録画です。カメラは処置具のワゴンに仕込みましたが、連中は電波探知機まで持ち込んでまして、リアルタイムでの中継はリスクが─」
「あーちょっと黙ってて」
「すみません」
目を細め、モニターに顔を近づける。
ベッド真横の位置で映像の揺れが収まると、その画面の上半分の奥に人らしきものが見えた。老女が患者衣に身を包んで横たわっている。チューブが刺さった枯れ木のような腕。酸素マスクに隠れた皺だらけの顔。そのいずれにも赤黒い糜爛の痕跡が広がっていた。
「これ、いつ死ぬの? 」
「あと数日から一週間と。臓器不全の末期だそうです」
「医者の正式な所見? 」
「はい。買収した看護師を通じての話ですが」
「それは女? 」
「男です」
「今すぐに殺せって言ったら、幾らくらいでやりそう? 」
「仮に当人をその気にさせても、実行は難しいかと。二十四時間体制で特殊警備を含めた複数人が張り付いているので─」
モニターを切るように指図すると、黒革張りのシートに背を預け、スマホの時刻を一瞥した。
「外道の末路ね。四年も粘られたけどついにお終い」
「リーザ・フェドトブナは何と? 」
「何であなたがそんなこと訊くのよ。今頃、リーザに興味を持ったの? 」
「はい、まあ。彼女と直接、接触できる者は限られていますし、私もこれまでお話の中でしか伺ってませんでしたが、今日は初めて現地へ同行するというので。一国の政府が認めた透視能力者というのはどれほどの人物かと」
「ふーん」
祥子は窓外へ目を戻した。
「あいつの意識が完全に無くなれば、まあ、ほぼ安全だって。ガソリンや電気は満タンでも、エンジンがイカレれば停まる単純な原理みたい。でもね、当人の脳が停まった今もあそこの地下へは入れないままだし。何よりアレが出続けているわよね」
「解せません。脳死イコール意識消失ですよね? 」
「知らないわ。リーザに直接、訊きなさいよ。クオンタム・マインドがどうとかこうとか、ウンザリするほど話してくれるから。
ただ、それも慣性の法則みたいなもので、放っておいても勝手に止むはずだっていうんだけど、実際のところはどうなのかしら。ロシア国防省お墨付きのサイキッカーって言ったって、彼女はただリーディングするだけだし。言われた通りに対抗手段も講じたわけだけど、もしあそこで不味いことが起きた時、本当にそれで防げるのかどうか」
「となると、やはり完全な死亡を? 」
「待つしかないじゃない。あと数日の命なんでしょ? パパもよく言ってたわ─」
「城田会長が」
「そう。息を引き取る間際のベッドでね。自分は最後まで一矢報いることもできなかったが、あれも所詮は人間だからいつかは必ずくたばるはずだ。その時までじっと耐え忍べって」
あの女が植物状態に陥った直後、役員会内の慎重意見を撥ね除け、創業以来の宿痾を除去する作業に着手した。その即断が正しかったことがこれでようやく証明できる。
幾つかの懸念は残るものの、大勢はもう勝ったも同然。災いの本源がこの世から完全に消え去れば残された障壁も自壊するはずだ。
神嶺薩貴子に葬り去られた母の末期が思い浮かぶ。目映い朝日が差し込むベッドの中、冷えて悪臭を放つその胸でいつまでも泣きじゃくった。
童話に出てくる王女のような母の美貌が一夜にして青黒い木乃伊と化した。あの時の幼心に焼き付いた凄まじい恐怖と絶望、そしてそれからの四十年余りはひたすら憎しみに身を焦がして生きてきた。この馬鹿げた人生は一体何なのか。
(お母さん・・・・・)
拳を固く握り締めていると助手席の男が重ねて訊いてくる。
「会長と社長へは、どのように? 」
「どうして、いちいち訊ねるのよ。わたしの意向を無視して全部、伝えているくせに」
ミラー越しに笑いかけると男は咳払いをして黙り込んだ。歯を剥いたままもう一度、大病院の威容へ目を転じる。
「くたばれ! 」
・・・・・
「ん? 」
小刻みな羽ばたきが聞こえた気がした。息を詰めて耳を澄ます。
・・・・・
また、聞こえた。羽虫ではない。だが、それとよく似た有機的な振動ノイズ─。目が届く範囲の車内外を見渡す。
「何か? 」
「例の低周波音」
「わたしには何も─」と、助手席の男は右を向く。運転手も即座に頭を横に振った。
「─測定の手配を」
「要らない。空耳かも。それにもう移動だし。ああ、そうだ。途中でリーザを拾って行くから、丸の内のホテルへ寄ってね」
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