11 社畜の咆吼 - 植原尚寿
道筋はほどなくニュータウンの域内へ入った。目前に広がる緩やかな丘陵の下方に整然と建ち並ぶ家屋群へ近づいていく。
周辺は雑木林に農地と野原ばかりで他に集落や団地などもない。郊外にありがちな工場、倉庫の類いも間近には見当たらず、一見して隔絶した印象を受ける。
着任後、初めてこの光景を目の当たりにした時は、近場の別荘地へ来たような錯覚に陥った。土地周辺はそれほどに緑豊かで、またその自然と調和する工夫が凝らされた瀟洒なデザインの邸宅も目立っていた。
ただし、いずれの家屋も建て構えこそ立派だが、ひとつひとつに目を凝らせば顕著な経年劣化の痕跡が窺える。外装の修繕維持が老朽化の速度に追いついていないのだ。
ここの総区画数は一千五百戸余り。首都圏の分譲住宅地としてはそれなりの規模だが、実際には空き家や更地に還った区画も目立つ。現在人口は一千二百名弱で、居住者が確認できている家屋は八百戸を割り込んでいる。
昭和末から平成初めに濫造され、今は緩やかに死にゆく分譲住宅街─。昨今、そうした場所自体は珍しくもないが、過去から現在に至るまで自死、殺人、不審死、あるいは謎の失踪が不自然に頻発しているエリアとなれば話は全く違うものとなる。
雨になりそうな空の下、陰鬱な緑の丘にへばりつく屋根の群れがいよいよ間近に迫ってきた。
様々に思いを巡らすほどに、先行きの不安が増していく。できることなら引き返したい。駅前の貧乏臭い居酒屋で一杯引っ掛けたい心持ちだ。
だが、ここで逃げるわけにはいかない。離婚の三年前に買った新築マンションのローンに小学生の娘の養育費のこともある。車の維持費ひとつ取っても目が飛び出すほどだし、にわか仕込みで去年から始めた投資の損失も痛い。
せめて母がそれなりの遺産など残してくれたなら、もう少し色々と考える余地もあったのだが、母子家庭で蓄財までするのは無理だったようだ。とにかく今は何が何でもこの仕事にしがみつかなくては。
頭の中でゴーストバスターズのテーマ曲が鳴り響いた。黒雲が折り重なる低い空へ向かい、一声叫んで気合いを入れてみる。
「取りあえず続けるしかねえじゃんよ! 」
前代未聞の特異な業務だが、その一方でこれもまた歴としたリスクマネージメントの一環。親会社の事業安定と今後のさらなる発展を支える重要欠かすべからざる任務なのだ。
またこの仕事は過度の心労を強いられはするが、厳しいノルマや無給の時間外労働などとは無縁の世界。上に忠実である限りは雇用も極めて安定している。むしろ俺は恵まれているのだと、気持ちを誤魔化して事務所へ向かった。
ニュータウンの全区画は碁盤の目状に規則正しく広がっており、その四辺の境界部にはそれぞれ異なる方面へ向かう道路がある。
今、歩いている南の市道は道幅こそ狭いが、これを逆行して国道へ合流し、そのまま黒河市街を過ぎた先には高速のインターチェンジがある。また北側は丘陵を縫って走る県道にも面しているし、地域上辺の東西を貫いて見晴らしの良い生活道路も通っている。少なくとも車の便は悪くない場所だ。
市道の終点から続く小径を往き、角を曲がってまた少し歩き、西側の住宅区画へようやく辿り着く。城興レジデンスの椿原出張所は、この第一区域内の片隅に住民向けのコミュニティセンターと隣接する形で建っている。
額と首筋の汗を拭い、深い溜息を吐いていると尻ポケットがバイブした。
取り出した携帯の画面には、プロジェクト長・薫森祥子と表示されていた。電話を取るといつもの平板な声が響いた。
「─お疲れさまです。今、どちらですか」
「現地です。何度かお掛けしたのですが、繋がらなかったので代わりに秘書の方に」
「ああ、はい。朝からちょっと取り込み中が続いたので。お話の男性の件は身元や推移など含めて既に把握済みですから、そちらでは何もなさらなくて結構です」
「えっ? 」
「詳しいことは会ってからお話します」
「直接、こちらへ? 」
「別件を済ませてからすぐに向かいます。途中で渋滞に遭わなければ一時間半から二時間以内で。では、後ほど─」
短い通話の終わり際、生温い水滴が額に落ちてきた。
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