8 カメリアニュータウンへ - 植原尚寿

「わっ、あいつだ」

 最後の岐路に差し掛かる手前で向かいから近づく車影と出くわした。

 平たくて狂暴な顔をしたゴールドボディのシボレーインパラ。目立つ上にあまり見ることがない車種なので、遠目にもそれだとすぐ判った。

 あの車の所有者は姓が権頭、下の名は重辰郎。

 ごんどうしげたつろう? しげたろう? それとも、じゅうたろう? 

 実際どう読むのか知らないし、こちらから訊ねたこともない。辰年辰月、あるいは辰日の生まれなど、十二支の辰に因んだ命名か。

 住民データのリストには生年月日、家族構成、職業などの記載が欠けている。見た目は五十代の後半くらい。分譲地区分のうちの四区と呼ばれるエリアに暮らし、いつも暑苦しい長袖シャツを着用している。

 シャツの下には和彫りの入れ墨が隠れているはずで、つまりその筋の人間だ。

 現在は特定の組織団体には属していないらしい。しかし恐喝や傷害の前科が多数あり、「嫌疑不十分で不起訴になった殺人容疑の記録も残る」と教えられている。

 この男と直近で顔を合わせたのは、四日前の白昼のことだった。奴の自宅の玄関近くで嫌な形で遭遇した。路上で人目も憚らず、同居している三十代の女の頬を打ち据えていたのだ。濃密な殺気というものを生まれて初めて直に味わい、心の底から震撼したことが未だに記憶に新しい。

 その時こちらは取り壊し予定の家屋へ向かう途上で、解体業者を含む数人の職人たちを引き連れていたのだが、図らずもそのことが仇となった。

 初めはガイドラインに沿う形で権頭を制した。すると加勢のつもりだったのか、背後にいた職人の一人がいきなり罵声を浴びせかけたのだ。

「女、殴って恥ずかしくねえのかよ。糞ヤクザが! 」

 その後、女は車で立ち去り、当人も一応は屋内へ引っ込んだのだが、玄関扉が閉じる寸前にこちらへ向けてきた眼差しが忘れられない。元から険を含んだ精悍な顔容に、これまた威嚇のお手本のような凄まじい形相を浮かべていた。

 恐らく今のこの距離ならば向こうに気づかれることはないと思うが、それでも念のために遣り過ごすのが無難だろう─。

 考えるより早く立ち止まり、辺りの景色を眺める振りをしていると、背後から飛ばしてきた赤い軽ワゴンがスピードを落とさぬまま傍らを通り過ぎた。ニュータウンまで続くT字路の角を対向のシボレーより先に左折していく。

 続いて権頭の車も同じ道へ入り、一瞬の間を措いて急ブレーキ音が二度響き渡った。

 道が折れた先の視界はその手前の雑木林に遮られているので、ここからは何が起きたのか判らない。

「ヤバそう・・・・・」

 関わりたくない。しかし、気持ちとは裏腹に足が動いた。小走りで路地の角を曲がる。

 二百メートルほど前方の路上に二台の車が縦並びで停まっているのが見えた。

 舗道から脇へ入り、林の木々を縫って現場まで近づき、近くの茂みへ身を隠す。

 何かの理由で軽ワゴンが急停止し、距離を保たず続いたシボレーが追突しかけたようだ。

 その助手席のドアが開くと同時に破鐘の音声が響き渡った。

「ゴルラァッ、ナメデッドゴロズゾッ」

 路上へ飛び出してきたのは、筋肉を誇示するぴちぴちの黒いメッシュシャツを着た三十絡みの厳つい男。金鎖の太いネックレスと腕のロレックスがその短絡、粗暴な中身を物語っている。それが大股歩きで軽ワゴンの前へ回り込み、履いているブーツの厚底でいきなり車体を蹴り始めた。

「こいつもその筋? ホントもう勘弁して」

 だが、もし正式な構成員ならば直裁的な脅しは控えるはずだ。となると単なるヤカラの類いか。

 当の権頭は運転席の窓越しに外の様子を眺めているだけだった。木立の枝に邪魔されて、脅されている側の車内は窺えない。こういう場合はどう対処すれば適切なのか。プロジェクト長の言葉をまた思い起こす。


「─先程は保全管理とざっくり言いましたが、実際には現地のセキュリティに関する業務の一端も担っていただくことになります。

 とは言っても、専門的なことではありません。そちらはすでに関連会社の警備員を配置し、買収後に空いた家屋や敷地などを一括管理していますので、基本的には関与は無用です。

 ただ、住民が関わる日常的なトラブルへの対応まではとても手が回りません。ですからからぜひそこは植原さんが蓄積したプロの知見やクレーム対応術なども存分に活かしていただいて、手篤いサポートをお願いします。

 例えば近所同士でのいざこざや喧嘩、犯罪に類する行為の防止。あとは区域内で起きやすい事故や危険箇所なども事前に洗い出し、できるだけの手を打って欲しいですね。

 地方にはよく自警団という組織がありますが、あれに近いイメージを考えていただいても宜しいかと。そのために必要なスタッフも揃っていますので、その辺りは前任者の仕事振りを忠実に引き継ぐ形で対処してください」


 ヤクザはオバケの仲間ではないが、現状は聞かされた介入条件そのまんま。

 仮にこのまま暴力や恐喝沙汰などへ発展するとして、警察の助力を請うのは基本的にNGだ。だがそれでも軽ワゴンの乗員がすでに通報の最中かもしれないし、後ろからまた別の車が来たりすれば騒ぎがさらに大きくなりかねない。つまり、もう猶予はない。

 まずはこうした問題の解決に長けたスタッフに電話を掛けた。それで応援の手を確保した上でこの場の仲裁を試みる、という窮余の策に踏み切った。

 最悪、殴られるのは覚悟の上だ。さすがに向こうも刺すまではしないだろうし、もしそれで名誉の負傷となればこの役目を抜ける口実もできる!

 スマホを耳に当てたまま茂みから腰を浮かせた。

「ああ、ちくしょ、滝野ちゃんっ」

 肝腎の電話がなかなか繋がらない。泣きたくなるのを堪えて一歩踏み出すと、車中の権頭が急にクラクションを鳴らした。

 メッシュシャツの男はその音を合図に、そそくさと助手席へ舞い戻っていく。最前までの剣幕が嘘のよう。まるで猿回しの芸だった。

 暴れ猿を回収したシボレーはいったんバックした。前後の片輪を舗道の段差へ乗り上げると、際どい間隔を保ったまま軽ワゴンの横をすり抜けた。そして再び道路の真ん中へ戻り、何事もなかったかのように走り去っていく。


「何だったんだ・・・・・」

 胸を撫で下ろすと同時に吐き気に襲われた。震える脚を懸命に動かして、赤い車体へ近づいてみる。左側から覗き込むと、年の頃は四十前後と思しき化粧気のない女がハンドルを握り締めているのが見えた。目の表情は険しくも虚ろ。彼女も恐怖に放心しているのか。

 様子をさらに観察する。雑に引っ詰めた纏め髪に黒紺の地味なパンツルックの出で立ちだ。主婦がスッピンで買い物へ出た風情だが、何故かその面貌に既視感を覚えた。

 するとこれもニュータウンの住人か。車のプレートはこの辺ではあまり見ない練馬ナンバーで、車種にもボディカラーにも見覚えがないのだが。

 女が急に身体を動かした。前方を向いたままシートベルトを外し、無造作にドア外へ転げ出た。覚束ない足取りで数メートル先の路上に立つと、辺りを忙しなく見回し始めた。その背後へ近づき、声を掛けてみる。

「あのぉ─」

 女の後ろ肩が激しく揺れ、ゆっくりと向き直ってこちらを見つめてきた。

「・・・・・誰? 」

「通りがかりの者です。良かったですね、何もなくて」

「えっ? 」

「いや、ほら、恐い人たちが」

「恐い人?」

 女は怪訝な表情を浮かべた。顔面蒼白で瞳孔も開いている。恐怖で記憶が飛んだのかもしれないが、ヤクザに因縁を付けられた程度でも解離性健忘は起きるのか?

「あの、何か探してます? いったん車を脇へ寄せた方が」

「・・・・・いえ、別に、良いの。もう、行きます」

「顔色が悪いですよ」

「大丈夫です。ありがとう」

 受け答えは素っ気ないがそれ以上、不審なところは感じられない。案外と意識もしっかりしているようだ。できればもう少し探りを入れたい。

「この道を来られたということは、もしかして、そこのニュータウンにお住まいの─」

「違います」

「じゃあ、お住まいのどなたかをお訪ねに─」

「あなた、誰? 」

「あ、申し遅れました、わたし、じつは・・・・・」

 言いながらスーツの上着を探っているうちに、女は運転席へ戻ってしまった。窓を叩いて名刺を渡そうとしたが、無視されたまま車が発進した。


 遠ざかる車影の進路を見定めて監視担当者に連絡を入れた。

「成澤さん」

「─お疲れさまです」

「今、もう地下ですか? 」

「ええ。さっき夜勤と交替したばっか」

「南入口のモニター見てください。赤のハイトワゴン。練馬ナンバーで─」

「ああ、これ? ちょうど今、通過しましたよ」

「行き先の確認を」

「了解。あ、入ってすぐの角を右へ曲がったから二区かな」

 そこは権頭の自宅があるエリアの反対側に当たり、途中経路も被らない。再びの鉢合わせはせずに済みそうだが、念のため在勤スタッフ全員がここまでの経緯を共有できるように取り計らい、そこまで終えてようやく一息吐けた。

 思い返すだに最悪の週明けだ。目前で昏倒した霊媒の件に始まって、二人組の粗暴なヤクザに挙動不審の中年女まで揃い、忽ちスリーカードの手役と成った。このトラブルの連続をどう受け止めるべきか。

 何よりもこの役にジョーカーは混ざっているのか? 混ざっているとしたらどの札なのか。もしかして、全てがジョーカーとか? もう、本当に泣きたい。

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