6 黒河駅前 - 植原尚寿

 改札を通り抜けると、黒ずくめの服に身を包んだ老若男女の一群が目前のロータリーを横切るのが見えた。幸先が悪い。そっと目を逸らす。

 駅の裏手の線路沿いには日蓮宗か何かの大きな寺があり、地域の斎場としても良く利用されている。なので駅前を行き来する喪服の人影もほぼ日常の光景ではあるのだが、こと今日に限っては話が別だ。

 足取り重く歩き始めたところで、不意に後ろから呼び止められた。

「植原さぁん」

 振り向くと、背筋の伸びた老婦人が静かな笑みを湛えていた。すぐ傍らには垢抜けない風体をした中年男女の姿もある。動揺を圧し殺し、営業スマイルに切り替える。

 縁無しの眼鏡に真っ白な纏め髪。パンツルックの軽快な身成り。そして屋外でこの顔をで見る時にはほぼ必ず小脇に抱えている、レースの日傘と生成りのエコバックもあった。

 頭の中でリストを捲る。一区の南端の家に独居する八十代初めの住民で、フルネームは松島幸恵。たまたま路上で挨拶した際に仕事が丁寧な植木屋を探していると愚痴られ、手頃な造園業者を紹介した。つい二週間ほど前のことだ。

 石を積んでは崩すような虚しい話だが、この業務の建前上、些細な住民ケアも疎かにはできない。

「この前、通りがかりに拝見しましたよ。お庭、綺麗になりましたね」

「ええ、お陰様で風通しも良くなって。長年、お願いしていた植木屋さんが廃業したって聞いた時はどうしようかと思ったけれど─」

「お役に立てて何よりです」

「ありがとう。植原さんはこれからお仕事なの?」

「はい、今日は午後からの勤務です。幸恵さんはお買い物ですか」

 作り笑顔で訊ね返すと皺に埋もれた老いの双眸に束の間、生気の輝きが溢れた。親しく下の名で呼ばれたことが嬉しかったのか。

「わたしはね、これから息子夫婦を見送りがてら、一緒にお昼ご飯なの。ちょうど時間が合ったからコミュニティバスっていうので来てみたんだけど、アレあんまり乗り心地良くないわねえ」

「お車は? 」

 夫人は笑いながら、グラスを傾ける仕草をした。

「羨ましいなあ」

「─オタク、あそこの管理会社の? 」

 マシュマロマンに似た体型の男が横から口を挟んできた。間近に窺う年頃は五十代の半ばくらい。松島家には独立して所帯を持つ息子が二人いるはずなので、これはそのいずれかということになる。

「はい。城興レジデンスの植原と申します」

「お袋から聞きましたよ。何か色々、世話になっているみたいで」

「恐縮です」

 会釈しながら名刺入れを取り出す。一枚抜き取って恭しく差し出すと、息子はそれを矯めつ眇めつし、やがて下から覗き込むように言った。

「今さっき、市が出しているハイエースに乗って来たんだけど、通りがかりに立派な建物見つけてビックリしちゃった。要は昔の分譲元が新しい住民サービスを始めたって理解で良いのかな」

 頭の中で黄信号が灯った。笑顔は絶やさず慎重に頷く。

 粘りつく眼差し。ごつく角張った下膨れの顔。そして妙に疳高い声質。何もかも気に食わない。目鼻の配置のバランスに松島夫人の面影があるものの、雰囲気が酷く下卑ている。いかにも品の良い母親からどうしてこんな息子が産まれたのか。

 まず何より粘着質だと察した。目が小さくて表情も読みにくい。扱い難い性格に違いない。四月まで務めたカスタマーサービスの仕切りでもこの手の輩によく悩まされた。

 もしやこの男、限界住宅地の整理解体という事の真相を嗅ぎ付けて、それとなく鎌をかけているのか。取り越し苦労かもしれないが、用心するに越したことはない。

「ええ、はい。私どもの本来の業務は近辺の無人家屋の管理なのですが、現在はニュータウン内の皆様に生活上のサービスをご提供する窓口としても機能しておりまして─」

「それっていつ頃から?」

「一昨年の一月です」

「へえ、もう二年以上も」

「はい。わたし自身はまだ三ヶ月ほどですが」

「驚いたなあ。お袋、何も話してくれないからさ。にしても、城興がそんなサービスをねえ。いえね、昨日久し振りに帰って来たんだけど、草ボウボウの公園やとっ散らかったゴミ置き場なんかも見違えちゃっててさ。そういうことまでやってくれてんだ? 」

「左様です。休止中の町会の役割も現状、わたくし共が代行する形となっておりまして」

「古いベッドタウンの分譲元が最近そういうことを始めたって、何かのニュースでは見たことがあったんだけどねえ。まさか、ここでもやってたとはなあ」

 話が妙に回りくどい。これも粘着質ゆえか。

「ええ、まあ、そのようですね。時代の要請とでも申しましょうか─」

「城興グループっていうと・・・・・あ、あれか。大元はレイコウか」

「左様です」

「なるほどね。バックがデカいもんね。だから、こんなことにも手が回るのかあ。姥捨て山のまんまでほっといたら、さすがに企業イメージの問題があるもんね」

「はあ。その辺はまあ、どうなのでしょうか」

「そりゃ、あるでしょうよ。近場だけ見たってさ、売りっ放しで朽ち果ててく新興住宅地だらけじゃないの。とくにバブルの時に売り抜いたディベロッパーや建設屋にはそれなりの社会的責任があるだろうって、わたしゃ前々からそう考えていたんだ」

「恐縮です」

「これってやっぱり、市とも繋がっているわけ? 過疎化とか高齢化対策とかで」

 しつこく訊かれて機械的に頷く。ただ実際のところ、行政サービスとの協力体制については曖昧な部分が多く、自分もその辺は詳しく把握できていない。要するに地道な根回しをすっ飛ばした、付け焼き刃のプロジェクトということだ。

 何を知りたいのかをはっきりさせるため、逆にこちらから鎌をかけ返す。

「あの、失礼を承知でお訊きしますが」

「ナニ? 」

「もしや喫緊でお困りのことでも? 」

 努めて丁重に訊ねると、マシュマロマンはしてやったりという表情を浮かべた。ミニマムサイズの団栗眼が底意地の悪い光を放つ。

「ん、何でそう思うの? 何で? 」

「それは」

「ねえ、何でそう思ったの? わたし、そんなに情けない顔してるかな? うーん、もしかして、何かの営業掛けようとしてる? 」

 ウザイ。案の定、揚げ足取りに喜びを感じるタイプだ。ただ、そうと判ればそれなりの扱い方がある。

「滅相もないです」

「じゃあ、何で? 」

「何となく・・・・・」

 言葉を濁して見つめること数秒、息子はわざとらしく表情を曇らせた。困り顔のマシュマロマンだ。でも全然、可愛くない。

「─んーっ、こうして見るとオタク、なかなかイイ男だよねえ。背も高いしさ」

「え? 」

 コイツ、急に何を言い出すのか。攻撃が変則的だ。

「何だか目の色もちょっと違うしさ、彫りも深いし。あ、もしかしてハーフとかクォーターとか? さぞかし女にモテるんだろうなぁ─」

 言われたくない一言が胸に突き刺さった。他と違う外見のせいで、小学校から中学卒業まで何度イジメの標的にされたことか。心の古傷を抉られて軽い殺意を覚えたが、笑みを絶やさず頭を横に振る。

「モテません。それどころかよく嫌われます。言葉遣いが年寄り臭いとか、何考えてるのか解らないだとか」

「─またまた、謙遜しちゃってえ。オタクのように恵まれた人とは違ってさ、わたしみたいなのは苦労が多くてね。仕事も全然上手く行かないし・・・・・ごめん。それでつい八つ当たりみたいな。うん、大人気なかったです。ごめんね」

「頭をお上げください。僭越ですが、宜しければ胸の内を─」

「うーん、でもこんなこと訊いても良いのかなぁ─」

 息子は勿体ぶりながら母親の背中を目で追った。

 離れた場所で待つ木偶の坊のような嫁にこちらの素性を説明していた松島夫人は今、通りがかりの老女との立ち話に興じている。その相手も件の寺への行きか帰り道らしく漆黒のワンピースに身を包んでいた。今日は葬式が多い日なのか─。

 母親が気づいていないことを確かめると、息子は声を潜めて話を続けた。

「─じつはね、このまま独りで暮らせるのかなって」

「お母様がですか? 」

「いちいち詳しくは言えないけどね、例えば昨日の晩も風呂を空焚きしていたし、今朝は今朝で台所の火を点けっぱなしにして庭いじり始めちゃったりとかさ、よく今まで無事に暮らせたなっていう感じなんだよね。言ってることや態度も変だしさ─」

「態度? どのように」

「いや、わたしゃ息子だからさ、長年の慣れって言うかね、今までそんなに気に留めてなかったんだけどね、嫁が言うには独り言が異常に多いって。しかも、誰かと会話しているみたいだって」

 つまり、認知症の徴候があるということか。とても、そのようには見えないが。

「ご心配ですね」

「─何よりも運転がね。かと言ってここ、車無しじゃ暮らせないじゃない。それでまあ、できたら公の援助を使わせてもらって、見守り訪問とかヘルパーとかどうなのかって」

「なるほど」

「ただ、わたしも実家を離れてから相当経つもんでね、黒河の福祉サービスがどうなってるかとかさっぱり・・・・・」

「支援の申請や認定の流れは何れの市町村でも同じとは思いますが、ご要望があれば市の福祉課へ直にお繋ぎすることもできますし、あるいはその前にワンクッション置きたいということでしたら、わたし共のグループ会社のスタッフがお母様のカウンセリングに伺ったり、あるいはそこの指定医で受診していただくことなども─」

「費用は?」

「基本的には無料です。住民サービスの一環ですので」

「そりゃまた・・・・・」

 小さな目玉が三倍に広がった。「ペイしているのか」と顔に書いてある。

 同感だ。この採算度外視のプロジェクトは内部の人間に取っても謎だらけ。箍が外れているとしか評しようがない。

 国はもちろん県や市から特別な補助金を引いているわけでもない。現場経費の全額は城興グループおよびその上に君臨するレイコウホールディングスからの持ち出しで賄われている。しかもそこには裏金が投入されている可能性も高い。とにかく、裏を捲れば不透明でキナ臭い話ばかりのプロジェクトなのだ。

「じつは今、勤めの関係で関西住まいなんですよ、わたしら」

「そういうご事情でしたか」

「うん。それで兄貴も地方に住んでるし、近くに頼れるような親戚もなくてね。だからできればそれ、早めに相談させてもらえないかな─」と、そこでいったん言葉を区切り、こちらの耳許へ顔を寄せてきた。

「あとさ、小耳に挟んだんだけど─」

「はい」

「─あの家と土地、言い値で買い戻してもらえるってホント? 」

「いや、それはさすがに・・・・・。もちろん、ご相談には乗らせていただきますが。まずは今後の再開発に関する住民説明会にご参席いただくのは如何でしょうか。今夜もコミュニティセンターで─」

「生憎、今日はこのまま向こうへ帰っちゃうんで。でも、近々に必ず連絡させてもらいますから、それまでこのことはお袋には内密に─」

「─ねえ、カズヒト。いつまで話してんの。そろそろ行こうよ」

 松島夫人が不意に立ち戻り、話はそこで途切れた。


「では、ぜひお待ちしております」

 松島家の三人は、駅前の沿道にわずかに建ち並ぶ飲食店の方向へ遠ざかっていく。

 何を相談していたのかと母親に突っつかれ、息子はのらりくらりとかわしている。そんな後ろ姿を見送って再び歩き始めた。

 ニュータウンの分譲開始時期はバブル景気の入口手前。その歳月の歩みは我が身の半生と軌を一にしている。株券と札束が飛び交う狂乱期に生を受け、奈落への予感と共に育ち、その後は息も絶え絶えに失われた時代を生き延びてきた。

 今となっては想像し難いが、都心から電車で一時間以上、さらにバスで二十分の立地にある一戸建てが当時、一億を下らない値で取り引きされていた。つまり、購入者の大半はすでにその名称すら廃れた中流階級から上のクラス。今ならば差し詰めタワーマンションに住む所得層か。

 松島家の場合もその例に漏れず、先年亡くなった夫は会社経営者だった。同じ県内の県庁所在市に社屋を構え、手広く輸入業を営んでいたらしい。だが長男も次男も後を継がず、現在はその会社自体がすでにない。

 とはいえそれなりの蓄えはあるはずと想像していたのだが、先程のマシュマロマンの様子から察するに必ずしも安楽な暮らしではないようだ。

 ただ、そうした経済的な制約を脇に置いても、老後の独居も厭わずに不便を絵に描いたようなこの土地にしがみつくのは、やはりそれなりの思い入れがあるからに違いない。

 人は皆、身の回りの諸々に自己を重ね、安住に足る世界を創り上げ、時にはその領域を際限なく押し広げる。日々の暮らしを営む地元も然り。住めば都の風が吹き、土地に慣れればそれすらも我が分身というわけだ。例え、そこがどのような場所でも─。

 そうした個々の心境や暮らし振りまで慮り、穏便かつ円満な売却へ繋げていくこともこの業務の眼目のひとつだが、松島家の場合、仮に次男の言う通りだとしたら今後の交渉は円滑に進むのか。

 捨て値同然と諦めていた土地家屋がそれなりの価格で買い取られるとなれば、兄弟間での相続争いが新たに生じる可能性も否めない。また、健忘の症状が出始めたという未亡人が敢えて今の自宅に固執すればそこでまた一波乱起きるかもしれない。

 そもそも松島家が建つ土地の区画は最優先の接収計画には入っていない。従って期待するほどの好条件は提示されないはずだが。それであの癖の強い次男は納得するのか。

 買い値を上げろと騒がれる事態だけは避けなくてはならない。取りあえずはあのマシュマロマンが下手にSNSなどやっていないことを願うばかりだ。

「しかし、息子がアレじゃあの人も可哀想だな・・・・・」

 時代の変遷と共に市場価値を失って、売ることも貸すこともできなくなった家屋の群れ。様々な不満を抱えつつも住み替えが叶わず、仕方なく暮らし続けてきた世帯が多いせいか、とくに古参の居住者たちは概して猜疑心が強く排他的なところがある。実際、一筋縄ではいかない偏屈な者も目立ち、それが接収交渉の障壁ともなっている。

 つい先日も自宅の庭で草取りをしていた八十過ぎの男が、こちらの姿を認めるなり手鎌を振りかざして追いかけてきた。無価値に墜した土地資産を売りつけられた恨みに認知症の進行が重なっての所業だった。

 それほどに荒れているあの街中では珍しく、会えばいつも朗らかに挨拶してくれるのが他ならぬあの松島夫人なのだ。そんな彼女まで惚け始めたと聞き、最前からの気鬱に拍車が掛かる。


 駅前を離れ、閑散とした街中を少し行き、左右に水田と畑地が広がる県道へ出た。

 普段は城興が社員寮として借り受けてくれた城西市内のマンションから車で通っているのだが、彼岸の連休となった週末は溜まっていた所用をこなすため、久し振りに都内の自宅へ戻った。

 そして今日は昼前後に現地直行する旨を支局事務所へ伝え、徒歩でのんびりと出向くつもりだった。

 かつては駅へ至るバス路線の道筋となっていたこのルートを歩くのは、着任して以来初めてのこと。現場近隣、とくに黒河市側の地理とその仔細を自分の目と耳で把握しておきたかったのだ。

 しかし、その結果がこの有様。気まぐれが仇となりとんでもない一幕に遭遇したし、実際にこうして歩いても無駄に汗が流れるだけ。特筆すべき事物は何ひとつ見当たらない。

 白壁に瓦葺きという昔ながらの農家の佇まいに、建て売りらしき今風の家屋が混在して並ぶ中途半端な景観が途切れると、その後は田圃、田圃、畑に田圃、時々空き地や雑木林というこれまた判で押したような移ろいが繰り返される。都合四キロほどある道程の半ばまで過ぎた頃には、ほとほとウンザリして動けなくなった。

 慣れぬ長歩きの足の痛みに紛れておかしな考えまで頭を過ぎる。

 一見、何の変哲もないこの辺りの土地柄には、じつは人間を駄目にする闇の因果が潜んでいるのではないか。例えば土中深くからある種の有害成分が瘴気の如くじんわりと滲み出し、それが住む者の感覚と思考を徐々に蝕んでいるのでは、とか何とか─。

 妄想だろうか・・・・・いや、必ずしもそうとは言い切れない。現にこの土地にはカメリアニュータウンという、世間の常識を逸脱した場所がある。


 見上げた空には厚い雲が垂れ込め、おかげで残暑が和らいではいるが、空気は鬱々として重く、しかもこれから仕事となればなおのこと足取りは重くなる。

 セルフカフェで遭遇したあの出来事がまたも脳裏に甦る。

 聴き取れた断片を繋ぎ合わせれば、日常がいきなり崩壊する事態に見舞われ、それはあのニュータウンに住む親族の許を訪れたのをきっかけに始まったことになる。男を悩ませている黒い影というのも、あの場所で目撃例が増えつつある事案と一致している。

 そうなると、直前のうたた寝で見た悪夢にも何か特別な意味が秘められている気がしてならない。まさか、あれは本当にあの世からのメッセージだったのか。

 パンパンに膨れ上がった女の顔が今も瞼の裏に焼き付いている。あれから救急車と警察がやって来て、女は意識がないまま搬送され、傍らで棒のように立ち尽くしていたあの男もパトカーの車内へ連れ込まれていた。

 こちらは気が動転する余り一目散にその場を離れたが、後で電車に揺られながら適切な対処を怠ったと後悔した。せめてもう少しは成り行きを見守るべきだった。

 取りあえずの報告は電話で済ませたが、その際に取り次ぎの課員からは対応の是非についての言及はなく、折り返し指示すると告げられただけだ。

 該当世帯の実在を確認しろと命じられるかもしれない。今年の五月以降、居住者数の増えた家を絞り込めばすぐにでも真偽が明らかになるとは思うが、気を利かせて勝手に動くのは止めておくことにした。P絡みの案件は対応が難しいのだ。

 今の職場内部では情報漏洩の防止と概容説明の省略を兼ねて、独特の符牒が幾つか使われている。その代表格であるPとは-paranormal phenomena-、すなわち超常現象の略。

「家中がしょっちゅうバキバキと鳴る」「毎晩のように金縛りに遭う」「暗がりを人魂やオーブが舞い飛んでいた」といったわりと大人しめの話に始まって、「夜中に知らない人間が廊下を歩き回っていた」「無人の仏間から念仏や笑い声が聞こえる」「喪服の集団が空を歩いていた」「電信柱のテッペンに真っ黒くて細い影が踊り、それがこちらへ飛びかかってこようとした」等々、あの住宅地で起きるとされる現象事例のバリエーションについてはその真偽含めて枚挙の暇がない。

 またそのことと同様に、現地から悪影響を被りやすい者はS(sensitive)でその反対の不感応体質者、俗に言う霊感ゼロの人間はN(nomal)と呼称する習わしもあり、自分も含めて選抜されるスタッフはNばかりだと聞かされてはいるのだが、そもそもその判定基準や選抜の方法が解らない。まさか、個別に霊視でもしているのか。

 服務規定の文言もかなりキている。

「─現地もしくは関連する状況下で、Pとの関連が懸念される不測の事態に接した際には、個人の憶測や自己判断に基づく対応を一切控えること。まず本部へ詳細を報告し、然る後にその指示を仰いで冷静に対処すること」等々と続き、さらに加えて「─万が一、懸かる報告義務を怠ったまま、直面するP的事象に独断で関与した結果、何らかの精神的および肉体的支障が生じても当社はその責任を一切負わない」という一方的な念書まで取られているのだ。


 野原になった休耕地の手前、道端にぽつんと建つ小祠が目に留まった。すぐ横にはトラックで廃棄されたと思しき庭石も転がっている。

「疲れた・・・・・」

 庭石の平らな面を手で払い、ベンチに見立てて腰を下ろした。気晴らしに加熱式煙草を吹かしてみたが、鬱々とした思いは深まるばかり。虚ろに辺りを見回してみる。

 それにしてもこのトタンや朽ち木の屋根で覆われた粗末な祠はあちこちで見るのだが、一体何が祀られているのだろう。背中を曲げるのが億劫なので覗く気にもなれないが。

 腰が上がらない。ネットで検索して地元のタクシーを呼ぶか。でも、台数が少なそうだから却って時間が掛かるかもしれないし、たかが残り二キロのために迎車料金まで払うのは嫌だ。

 薄暗い空の彼方へカラスの群れが飛び去っていく。最早、墓場へ向かう心持ちだ。

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