5 シンクロニシティ - 植原尚寿
男の語る話が進むにつれて嫌な冷や汗が噴き出してきた。身体が勝手に震え始め、掲げたスマホが掌から滑り落ちる。
「─結局、真梨香・・・・・あ、女房の名ですが、あいつ、いきなり気が狂ったみたいに強情になって、父親が心配だから絶対に帰らないって言い出して、どうにもならないから僕だけ家へ戻ってそのまんまです。そのうちに今度は大学生の娘が女房を説得するって言ってまた同じ羽目に─」
「奥さんと娘さん、向こうの家ではどういう状態なんですか? 」
「義理の父と一緒にいるのは間違いないんですが、それ以外は・・・・・。何回も説得しに行ったけどその度にあの黒いバケモノに邪魔されて。二人とも携帯も繋がらないし、おまけに近頃はアレと同じような目玉のオバケが僕んちや会社にまで現れて・・・・・。ああああ、もうどうすりゃ良いんだよぉ・・・・・早く助けてくださいよぉ」
霊媒の女が大きく身を乗り出し、一際神妙な顔付きで男に問い掛けた。
「─それで、奥様のご実家というのは? 」
「どこにでもある郊外の住宅地ですよ。いや、どっちかと言えば小金持ち向けかな。あいつの実家も医者だったし。ただね、年月を経る毎にそれがどんどん廃れていっちゃって、今じゃろくに人の姿もないんです。社会から引退した年寄りが家の中にじっと閉じ籠もってるだけの、ひたすら陰気な場所って言うか。
駅へ行くバス路線もとうに廃止されちゃったし、近くにあったスーパーやコンビニも軒並み潰れたし、ここまでかよってくらい不便な場所で─」
「具体的な地名は? 何処? 」
「─一応の最寄り駅は黒河です。名前はカメリアニュータウンっていう・・・・・」
頭を殴られたような衝撃が走る。恐れていた一言が飛び出すと同時に、我が境遇と目前の情景ががっちりと結び付いた。シンクロニシティ、天の導き、啓示など様々に言い表される不合理な現象がついに我が身にも起きたのだと悟った。
全身の血の気が引いていく。思考が上滑って焦点を結ばない。代わりに出向前のガイダンスの記憶が脳裏に甦った。
新卒以来、幾つかの会社を渡り歩いた後、レイコウホールディングス系列の物販企業に席を得た我が身に何故か建託部門への出向が打診されたのは今年の四月初めのことだった。
正式な辞令を拝命した後には、お台場エリアの外れに建つ巨大な総本社ビルへも呼び出された。それが五月の連休明けのこと。その日から一週間の研修を受けた。
「─これから植原さんに差配していただく拠点は現在、三つの拠点機能を同時に担っています。
そのうちのまずひとつめは接収業務のサポート拠点。
複合施設の用地として最優先で接収中の区画はもちろん、他にも区域を問わず退去可能な世帯があれば随時、買収担当の営業に報告し、彼らと連携して動いてください。
また、ふたつめは介護サービス拠点ですが、これについては直接、タッチしていただくことはないと思います。同じ事務所棟内に専門のグループ会社の連絡所が入っているので。
ですから逆に住民からその手の相談を受けた時、そちらへ解決を委ねるケースが主になるかと。何せ居住者の大半は、単身か夫婦で住む後期高齢者なので。
─そして、最後がこの業務のメインである現地の保全管理です。残存する世帯住民に対して種々のコミュニティサービスを提供すると同時に、彼らの日常行動を監視する手助けをしていただくことになります。
─監視という言葉に抵抗はありますか? うふふ、まあ、答え難いですよね。
身も蓋もないことを言ってしまうと、じつはこれ、単なる再開発ではありません。限界住宅地の再生事業というのはあくまで名目で、裏の達成目標は今後の我が社に不利益をもたらす悪質な風評や噂の根源をこの機に、一挙に潰すということなのです。
ですから時には社会の公器としてのモラル遵守、いいえ、それどころか法の遵守という大前提でさえも乗り越えなくてはならない局面が出てくると、予め肝に銘じてください。現地の内情はそれほど切迫しています。
─実際の判断に苦しまれないように、もっと明確にお伝えしましょうか。
要するにわたしたちは今後、現地で不測の事態が起きた際、司直が過剰に介入する事態を可能な限り避けたいのです。むろん、報道関係が入り込むなど言語道断。
ご存知かどうか知りませんが、あの場所は今まで色々と取り沙汰されて、メディアの格好の餌食にされてきました。またその過程で、四十年前の開発元が我々の前身企業であったこともかなり知られています。
じつを言えば当初、経営陣は高を括っていたんです。そうしたくだらない噂話の類いはそのうち自然に立ち消えていくはずだって。実際にテレビ、新聞、出版関係にはそれなりの対策費用も投入していましたしね。
でも、無駄でした。人の口に戸は立てられぬ、です。大手メディアを抑え込んだところで、その網の目を逃れる小さな団体や個人レベルでの情報拡散はどうにもなりませんから。とくにネット。
植原さん、SNSはやってます? そうですか。試しにそれで検索してみてください。都市伝説の形を借りた我がグループへの誹謗中傷が、未だにウジャウジャ出てきますから。その数も数なので、訴訟を起こすにも限度があります。
となれば、この際、我々自身の手で一挙に現場の幕を引いてしまおうと考えたわけです。
何よりも該当地区と隣接したエリアでは今、複数のスマートシティ構想とその関連事業が同時進行しています。いずれも県、国と連携した、次世代に向けての一大プロジェクトで、当然ながらその成否はグループ全体の今後を左右します。
つまり、それら諸事業の進捗に悪影響を及ぼす風評の類いをこの際、一刻も早く根絶することが、我らが城田会長を初めとする本社全役員の総意というわけです。
─なお、業務の遂行に当たってはオバケだ、オカルトだと無思考に否定せず、柔軟な視点を保つよう心掛けてください。それこそが現場での対応を誤らない、何よりの秘訣と考えますし、植原さんご自身もその方が却って気が楽なのではないかと。
こんな馬鹿げた報告をしたら叱責を免れない。頭がオカシイと思われる─。そういうことは一切ありません。それよりも自己判断に拠る隠蔽や責任放棄的な逃避行動を取られる方がよほど困ります。ちなみにあなたの前任者もそこで躓きました。
誤解しないでくださいね。プレッシャーを掛ける意図はありませんので。ただ、同じ轍を踏んで欲しくないだけです。
何事に於いても柔軟かつ慎重に。個々のトラブルの処理は迅速に。差し当たってはそれだけを心掛けていただければ宜しいかと。
疑わしい事象を目の当たりにしたら、どんなに些細な事柄でもその度に必ず報告をお願いします─」
プロジェクト全体の統括者で、先年死んだ前会長の血縁者でもあるという本社上層部の女性管理職。その彼女が滔々と語ったのは、『新規の官民一体プロジェクトへの配属』という事前の打診から大きく逸脱した内容だった。
法の遵守うんぬんはともかく、超常現象が頻発する住宅街を見張る仕事をしろと言われ、はい、そうですかと受け容れられるわけがない。だが、元より社命に背く選択肢はなく、結局は疑心暗鬼に苛まれながらの出向となった。
それからほどなく話の八割方が紛れもない事実だと思い知らされ、今や酒と薬に逃げる日々を送っている。そこへ駄目押しのようなこの状況。いよいよ正気を保てなくなってきた。
混乱する頭を宥めながらひたすら身を硬くしていると、いきなりガラガラと耳障りな音が響いた。辺りが一斉に静まり返る。電話を終えて戻った上司とその部下もさすがに驚いて黙り込み、件の男女の様子を窺っている。
「なっ・・・・・」
喉が詰まった。目を離した隙に異変が起きていた。霊媒と相談客のテーブルに置かれていたグラス、トレイ、ポーチやらの一切合財が彼らの足許に散乱している。足を止めて眺める人垣の間から囁き声が漏れた。
「見た? 」
「ああ、コップが独りでに吹っ飛んだ」
床の惨状から目を上げ、さらに視線が凍り付いた。
女の顔が激しく鬱血している。痙攣を繰り返すぽってりした瞼の下では、黒目が出鱈目に泳ぎ回っていた。
その額から頬、首筋に至るまでみるみる青黒く変じていく。鼻腔から夥しい血が溢れ出すと、向かいの男は蹴るように席を立ち、ようやく横顔が窺えた。四十絡みの特徴がない面立ちで、無精髭の頬がげっそりと痩けている。瀕死の女を介抱する素振りもなく、ただ放心して立ち尽くしている。
「ンギィ、ヒイイイィッ」
屠殺場の断末魔のような悲鳴を轟かせ、ワインレッドの半身が無惨に崩れ落ちていく。
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