4 義父のお迎え - 野崎夫妻 令和六年五月

「しっかし、この辺りはホント、取り残されてる感が満載っていうかさぁ」

 フロント窓を流れる寂れた景色に辟易し、野崎謙介は口の端を歪めた。

 活気のない市街を離れてから先、遠くには低い丘陵が連なり、近くには連綿と田畑が広がるばかり。のどかと言えばその通りだが、心が癒えるほどではない。何もかも中途半端な田舎の景色だ。

「おまけにあっちも向こうもさ、もう畑だか野原だか判んないじゃん」

 妻の真梨香は助手席の窓も見ず、ひたすら携帯を弄り続ける。眺めているのは介護付き物件の資料。止せば良いのに揺れる車内で約款にまで目を通している。

「おい、酔うぞ」

「前はビニールハウスとかいっぱいあったんだけどねえ。農家も減っちゃったから」

「あとさ、やたらと地蔵菩薩が目に付くのも変だぜ」と、あちらこちらの草むらから顔を出す、屋根付きの小祠の群を指差した。

「お地蔵様じゃなくてミチバタサマだって」

「だから何だよ、それ」

「知らな・・・・・あ、中学の校外学習で教えてもらったかな。でも、忘れた」

 曲がり角へ差し掛かり、知らずハンドルを荒く切る。

「ちょっと! 」

「なあ、あの中に建つっていう巨大介護マンション。それが完成するまで待った方が良いんじゃないのか? ヘルパーとかで凌いでさ。あの家まで下取りしてくれんだろ? 」

 何度も繰り返したやり取りをここへ来てまた蒸し返され、真梨香はうんざりして横を向く。野崎はその顔に舌打ちを返した。次に何を言うのかも解っている。

(なるべく近くに住まわせて、頻繁に顔を見たいってか)

「だから同じ都内の─」

「あー、はい、はい。良いよ、もう」

 妻の父母、とくに義父との関係は婚約した時分から捩れたまま。愛娘を同業の医者に嫁がせるつもりが、しがないサラリーマンにかっ攫われたからだ。

 以来、顔を合わせる度に嫌味を言われ続け、気がつけば向こうは八十後半、こちらも四十の半ば過ぎ。とくに連れ合いを亡くし、本人も認知症を患ってから後はこちらを忌み嫌う態度が丸出しになった。

 この確執はいつまで続くのか。考えるだに腹立たしく毒舌が止まらない。

「そもそも、こんな不便な土地に高級仕様のベッドタウンってさ、バブルって言えばそれまでだけど、買い手の頭がおかしくなっていたとしか─」

「だから今、分譲元が責任取ってるじゃないの。管理事務所も大きくしたし、新しい住民サービスだって─」

「ただの口実だって。実質は市場価値が消えた家を捨て値で買い戻しての再開発じゃん。ほら、すぐ隣の城西で今、ドデカい工事してるだろ。スマートシティとか何とか。あそこに関係した何かの施設をこっちにも造るつもりなんだよ。土地の用途変更とか、どうすんのか知らんけど」

「じゃあ、逆に将来有望な場所ってことじゃない。家をあのまま残しておけば沙也香の財産になるかも」

「ならねえって。ずっと陸の孤島のまんまだって。工場や研究所なんかは多少、利便性悪くても影響ねえし。だから、あそこを再開発するんだって。造成費用は安く上がるし、医療介護付きマンションでまた儲けを出せるしさ。

 つまり、得をするのはあの開発元の会社だけなんだよ。何だっけか、そういうことの昔の言い方。ああ、そうだ、一粒で二度美味しい─」

 したり顔で喋り続ける夫を無視し、真梨香は携帯を耳へ当てた。やがて眉を顰めて首を横へ振る。

「繋がんない。電源が入ってないか、電波の届かない場所って」

「今日はただの現地見学だって、ちゃんと言ってあるよな? 」

「もちろん」

「拉致監禁とか妄想してるんじゃ─」

「いい加減にしてっ」

「ここまで来て揉めるのはホント、勘弁だぜ」

「とにかく、早く行こ! 」

 雑木林に沿って続く視界が利かぬ道を抜けると、先に広がる緩やかな丘陵に瀟洒な住宅街が忽然と現れた。野崎の車はスピードを落とし、その内部へと吸い込まれていく。


 整然とした区画に展開する美しい街並み。その中を縦横に走る道路はおしなべて広く、中心部を南北に貫く通りの両側には、花木が植えられたブロック敷きの舗道が続いている。

 坂の傾斜も気になるほどではない。造成の際には元々の丘陵地をかなり削ったと聞いている。

 建ち並ぶ家屋群も広さと風格を備えた造りで、周辺の豊かな緑に合わせたつもりのか、中には山荘風の凝った家まで建っている。

(この景色だけ狭く切り取れば、南麻布とか田園調布なんだけどな。チキショウ)

 土曜日の午前九時という時間を差し引いても、辺りは異様なほどに静まり返っていた。野崎が最後にここを訪れたのは四年前。義母が亡くなった時だったが、あの頃よりもさらに寂れている感じがする。

「ほら、あれ」

 野崎は顎先を窓の外へ向けた。緩い斜面の左手下方に、鋼板で仮囲いされた区域が見えた。更地に戻された一部の敷地には大小の工事車両が何台も駐まっていた。

「四区よ。この前、父さんの顔を見に来た時も大きな音で工事してたわ。あそこに住んでた前田さんとか弘岡さんとか、古い知り合いもみんな引っ越しちゃったし」

「弘岡ってお袋さんの? 」

「うん。昔、公民館で開いてた料理教室で母さんと一番仲が良かった人。あの小母さんも最後の方はウチの父さんと同じでね。しかも旦那さんだけじゃなく、若い息子さんにまで先立たれちゃった。自分の子供が自殺するって一体どんな気持ちなのかしら。考えたくもないけど」

「・・・・・ここってそういう話、やたらと多くないか? 」

「何が言いたいの? 」

「いや、別に」


 ほどなく、義父が独居する藤倉家の門前へ到着した。オレンジ色の洋瓦が目立つ、南欧スタイルの大きな屋敷。建築当時はこの手の様式の家屋が流行りだったそうだ。

 少し前、妻に内緒でこの家の資産価値を専門の同僚に試算してもらったのだが、その結果を知って愕然とした。

「本来、上物だけで七、八千万以上で取り引きされてもおかしくない豪邸だが、利便性に致命的な問題があるため、現実に売却することはほぼ絶望的」だそうだ。

(真梨香が相続した後の税金どうすんだよ。ったく、冗談じゃねえぞ。城興かレイコウか知らんけど、頼むからコレも接収してくれ! )

 カーポートへ車を入れ、気も重くちんたらと外へ出る。先に降りた妻は玄関扉の前で手提げバックの中味を掻き回している。

「何やってんだ」

「合鍵が」

「閉まってんのか? インターフォン─」

「押しても出ない」

「連れてかれるのが嫌で逃げたとか」

「どこへ行くっていうのよ」

 いったん道路へ戻る。屋敷の正面側を見回し、二階の窓際に人影を認めた。そこに上下灰色のジャージを着た義父がぽつんと立っている。髪はボサボサ。トレードマークの嫌味な銀縁眼鏡も掛けていなかった。

「おい、上だ。書斎」と指差して妻に告げながら、見上げた姿勢のまま頭を下げた。しかし、向こうはただ無表情にこちらを見下ろしているだけ。

(胸糞悪りいジジイだな。ん? )

 義父の背後に別の影が見えた。目を凝らす。真っ黒だ。頭が不自然に揺れている。

 その影もこちらに気づいたらしく、外光が差し込む位置まで移動した。だが、依然として顔も服装も判らない。人の形をした闇夜のようだ。

「うえっ、キモチワルッ・・・・・」

 それと判別できたのはギラギラと光るふたつの眼球だけ。しかも大きさが顔の面積に釣り合っていない。手で描いたようにまん丸く、直径はゴルフボールを越えるくらい。どう考えても人の目ではない。

「真梨香、待て! 」

 咄嗟に叫ぶも、妻は振り返りもせず玄関内へ消えていく。慌てて後を追おうとすると、足許の道路がぐにゃりと沈み込んだ。思わずその場に片膝を屈し、吐き気を伴う眩暈に狼狽える。

「んげっ、うううっ・・・・・な、何なっ・・・・・・・・・・あ・・・・・綺麗・・・・・」

 虹の七色に煌めく光の帯がすぐ目の前を舞い飛んでいた。野崎はその輝きに魅入られた。

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