第8話

「ねえ幸太郎くん。悪いことは言わないからさ、私の男になりなよ」


「そんなこと急に言われても……」


 「私の男」という聞き覚えがないようでなんとなく意味が伝わる言葉を告げられ、俺は答えを濁した。状況とか色々から察するにこれは告白……いやナンパかもしれない。だがいずれにせよ今ここで首を縦に振ってしまえば性的な意味で食べられるのは確実だろう。そのくらい目が怖い。

 もちろん速水先輩は美人だし、スタイルも良いし文句の付けようがない。だけどそんな簡単に人と付き合ったりそういう関係になったりはしたくない。俺はピュアな童貞なんだ。


 だが速水先輩は俺の反応に納得がいかないのか更に詰め寄ってきた。


「これだけ誘っといてそんなつもりはありませんでしたってこと?」


「そもそも誘ってなんかない…ですし」


「だったらなんで肌着とか着てないわけ?私は幸太郎くんが屈む度に隙間から見せつけてきてるのかと思ってたんだけど?」


「………それはすいませんでした」


 これに関しては俺が無用心だったと言わざるを得ない。体操服の下に肌着を着るなんて発想は思い付かなかった。

 そんな俺の謝罪に速水先輩は少したじろぎつつも、更に体を近づけてきた。


「でも幸太郎くんだって皆のこと見てたよね?てことは女の子の体に興味あるんでしょ?」


「無いとは言いませんが……」


「だったら良いじゃん。ほら触ってみなって。私は気にしないから」


「ちょ………!?」


 固い水着越しでも分かるほどの柔らかい胸が俺の胸元に押し付けられる。その感触に理性が溶かされそうになるのを必死に我慢する。だが耐えれば耐えるほど速水先輩は身を寄せてくる。


 これ以上は耐えられない……こうなったら…


「…やめてください!」


「っ………!?」


 速水先輩の両肩を掴み、力ずくで体を離した。あまり強引なことはしたくなかったのだがこうなっては仕方ない。速水先輩も反撃されるとは思ってなかったのか目を丸くして固まってしまった。俺はなんとか息を整えつつ、速水先輩に頭を下げた。


「速水先輩は………綺麗な人ですけど…その……そういう関係になるなら…もう少し段階と言いますか………」


「……じゃあ段階踏んだら良いってこと?」


「それはその時に……考えます」


「ふぅん?そっか。ならそうする」


「お願いしま……っ!?」


 案外潔く引き下がってくれたかと思いきや速水先輩は肩を掴んでいた俺の両手を振りほどくと、いきなり俺の首元にキスをしてきた。さっきみたいに振りほどこうにも力で勝てない。本気で押さえつけられたらどうしようもないことを分からせられてしまった。


「…………っはぁ……まずは一歩目ね」


「……違うと思うんですけど」


「私なりの一歩目だよ。それにこういうの嫌じゃないでしょ?」


「………まぁ」


 俺の下心も見透かされているのだろう。それにこの人は自分の顔が良いことも分かってる。こんなことされ続けたら俺の理性なんて持つわけがない。


 そうして速水先輩はようやく俺から離れると、更衣室の扉の鍵を開けてからこちらに振り向いた。


「そういえばちゃんと名乗ってなかったね。私は速水はやみ涼香すずか。2年生で水泳部所属の生徒会副会長だよ。これからよろしくマネージャー」


「……よろしくお願いします」


「うん。じゃあ続きはまた君が水泳部に来たときに。待ってるよ」


 速水先輩はそう言い残すと、周囲に人がいないことをちゃんと確認して男子更衣室から出ていくのであった。俺はあまりの出来事に一度椅子に座り直し、手を出さなかった自分を褒めつつも、胸元の感触を思い出して少し後悔することにもなるのだった。




 そして次の日の昼休み。不知火さんとお昼を食べようとしていたらまたしても校内放送で生徒会室へと呼び出されるのことになった。速水先輩との一件があって気まずさもあったが、俺は重い足を引きずりながら生徒会室へと向かうのだった。



「よ、よよよよく来てくれました!」


「やっほー」


「……どうも」


 生徒会室には前と同様に生徒会長と速水先輩の2人がいた。速水先輩はあんなことがあったというのにあっけらかんとしていて、反対に会長は相変わらずテンパっていた。そしてテンパりつつも俺を呼んだ要件を話し始めてくれた。


「どどうですか!?マネージャーは!大変てすか!?」


「大変………ですね」


 あまりの緊張に声が大きくなっている会長の問いに、俺は速水先輩を警見ながら正直に答えた。速水先輩は「何のことやら」みたいな顔でとぼけている。

 そんな俺の答えに会長は「大変なのね…」と呟き、何やら考え込んでしまって続きを話してくれなくなった。すると速水先輩が大きくため息をついて説明を続けてくれた。


「あのね幸太郎くん。会長は君に生徒会にも入ってほしいんだよ」


「速水!?なに勝手なことを!そうだけど!」


「ほらね?共学になったということで男子を生徒会に入れてみようってね」


「そ、その通りよ!」


「あわよくば幸太郎くんとお近づきになりたいとも言ってたね」


「そうそのと…………速水!?そんなこと言ってないわよ!?」


「言ってましたよ~この前寝言で~」


「そんな…………って貴女の前で寝たことなんてないじゃない!」


「そうでしたっけ~?」


 生徒会長なはずなのに年下の速水先輩に見事に弄ばれている。まぁこれだけ良い反応をしてくれるなら遊びたくなるのも少し分かる気もする。黒髪ロングの見た目からは想像が出来ないほどに陽気な人なようだ。


 それにしても生徒会に入れとは……いくらなんでもこれ以上は難しい。まだ回ったことのない部活だってあるのにその上学校行事の手伝いなんて出来るわけがない。そう悩んでいると会長にポカポカと叩かれている速水先輩が詳しい内容を話してくれた。


「別に仕事をしろと言いたいわけじゃないんだよ?君が生徒会であるという事実だけがあればいいんだ。つまり幽霊部員ってやつ。たまに手伝ってもらうことはあるだろうけどね」


「なるほど………」


 言わんとすることは分かった。速水先輩の言う通りなら対して今の生活から変わることもないだろう。生徒会もやってみたかった事ではあるし。


「分かりました。幽霊部員でいいなら」


「本当っ!?ありがとう!!」


 会長は俺に綺麗なお辞儀をした後に、生徒会に入るということで改めて自己紹介をしてくれることになった。


「わ、私は東昴高校生徒会会長の黒瀬くろせ茉莉まつり…です。これからよろしくお願いいたします」


「…佐川幸太郎です。よろしくお願いします」


「えぇよろしく……………ヨッシ!」



 互いに自己紹介を終えると黒瀬会長は小さくガッツポーズをとった。だが反応してはめんどくさい流れになることは察しがついた俺は気づかなかったフリをしてあげることにしたのだった。

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