第13話

13


それにしてもなんて綺麗な場所だろう。

まるで絵本の中にいるような気分だ。


だけど、いつまでもここに留まっている訳にも行かないのだ。

私には早急にやらなければならないことがある。


しかし、眼前は岩肌が剥き出しの滝である。


ここを降りていくのはあの登山装備では無理だろう。


となると、反対側の霧が立ちこめる森に向かうしかないようだ。


「よし!ニコマル、こっちに行こう。」

「あ!待って下さい!神様!!」


歩き出した私の腕を力一杯に引くニコマル。


「どうしたの?」

「何か…聞こえませんか?」


ニコマルの人間じゃない方の耳がピンと立ち上がり、ヒクヒクと音の方向を探っているようだ。


しかし、私の耳に不審な音は響いてこない。


「え?何?どうしたの?」


ニコマルはシッ!と桜色の唇の前で人差し指をピンと立てる。


その間も長い方の耳はヒクヒクと動作が止まらない。


「神様、来ます…!!」

「えっ?」


何が?


と続けようとした私の耳にも、ようやくニコマルが感じとったであろう音が届く。


ゾワゾワというか、ギャワギャワというか、なんとも不思議な不快音。


それは森の奥の方から響いてくるようだった。


その音が大きくなってくるに連れ、あんなにも美しかったアクアマリンの空は赤茶けた不気味な色に変わり、水面を煌めかせた光のヴェールは消滅した。


そして、森の奥から徐々に近づいてくる、何かの気配。


ギャワギャワ、ジュグジュグ、そんなような音が四方から聞こえてくる。


ドッドッというのは早くなった私の心臓の音だ。


…怖い!


私はニコマルと恐怖を分け合うかのように抱き合い、その場にしゃがみ込んだ。


やがて森の奥から姿を現したのは、無数の、巨大な黒ムカデだった。


全長1メートルもあるかのようなオオムカデが無数に絡み合いながら、こちらに向かってくる。


21対計42本の足はひっきりなしに木の枝や枯れ葉を蹴り、その音が重なりジュグジュグやジョワジョワという鳥肌が立つよう不快音を奏でていた。


黒光りした何節もの体が森の中で蠢く様はそう詳細に語るべきものではないと察する。


「ぎゃーーーー!!!!!!」

「神様!」


眼前には変わらずに滝が流れている。


逃走経路がない!!


…逃げられない!!


そう思ってニコマルを抱きしめたまま、ぎゅっと目を瞑る。


バザバサっと音がして、体が何かに挟まれる。


これがオオムカデの角だとしたら、私はこのまま気を失ってしまっだろう。


しかし、直後に聞いたのは成人した男性の声。


「動くなよ。」


その瞬間、凄い勢いで私の体が持ち上げられ、宙を舞う感覚。


驚きのあまり、声も出さずに目を開けると、あのオオムカデの森は既にはるか遠く、そのまま滝を越えて開けた草原へと向かうように空を飛んでいた。


飛んでる…。


私は腕の中のニコマルと思わず顔を見合わせた。


何が起こったの?


ニコマルも不思議そうに大きな目をまん丸くしていた。

碧眼が光に透かされてまるでエメラルドみたいだ。

こんな状況であっても、なんて綺麗なんだろうと見とれてしまう。


私の体を掴んでいるものは、どう見ても鳥の足のように見えた。


上からはバッサバッサと羽の音がするから、それはほぼ間違いないんだろう。


だとしたら、さっきの男性の声はこの大きな鳥から?

鳥人間??


それを確かめようにもうつ伏せの状態で捕まれてしまっているから、物理的に上を確認することは出来ない。


もう少し体が軟らかければと後悔してももう遅い。


しばらくして、その大きな鳥は草原に流れる川の麓に綺麗に着地した。


私とニコマルも危険を感じることなく、草原に降り立つことが出来た。


お礼を言おうと大きな鳥を見上げると、鳥の上に座る人影がゆっくりと動いた。


ただ私からは逆光でその姿を鮮明に捕らえることは出来ない。


先程の声は、どうやらこの人物から発せられたものらしい。


「あ、ありがとうございま…」

「お前は誰だ。」


私の言葉を遮るように不躾な質問を投げかけてくるその人物はザッと鳥から飛び降り、私達の目の前に立ちはだかった。


逆光から脱したその姿に私は目を見張る。


透けるような金髪にヘリオドールを思わせる綺麗な薄茶色の瞳。


真っ白のマントに身を包んだ彼は、特に面食いでもない私でも目を奪われるほどの端正な顔立ち。


その傲慢な態度から、この世界の王子か??

なんて思ってしまうほど王子然としている佇まい。


その圧倒的な存在感に私があわあわしていると、隣のニコマルが状況を説明してくれる。


「僕たちは他の世界からやって参りました。この世界に囚われたある人を探しています!」


ニコマルの言葉に、その人物は僅かながらホッとした様な表情を浮かべたように見えた。


「まぁいい。あの森には不用心に近づかない方がいい。」

「はい!今度から気をつけます!!」


私はただ呆然と二人のやりとりを見つめていた。まるで映画を観ているようだ。


「名前はなんというんだ?」


この男性は口調こそ不躾に感じてしまうけど、第一印象ほど傲慢な人ではないらしい。


「僕はニコマル!この人は神様!!です!!」

「神様?」


私はハッとして、手をぶんぶん胸の前で左右に振った。


「ちちちち違います!!ニコマル!私はこの世界では神様じゃないのよ??」

「では、この世界の名は?」

「あ…マナ、です。」

「ニコマルにマナ。覚えておこう。」

「あ、あなたは??」

「私はナギ。ナギ・エルピーダだ。そしてこいつはグリ。」


そういって、ポンと私達を運んでくれた大きな鳥の肩を叩く。


大きな鷲のような鷹のようなその鳥…いや、グリも嬉しそうにナギの手に頬ずる。


そんな光景を微笑ましく見ていると、あることに気付く。


…グリに果てしない違和感。


顔は鷲、その下には私達を掴んだ大きな鉤爪。


そして体にはたてがみのような物にしっかりとした筋肉質の後ろ足、そして、尻尾が愉しそうに揺れている。


ただの鳥じゃない…上半身が鷲、下半身がライオン。


これは伝説のグリフォンだ!!!


「あはは!あなたグリフォンだったのね!助けてくれてありがとう!グリ!!」


ファンタジー好きではない私が唯一ハマったファンタジー漫画にモチーフとしてよく登場したのがグリフォンだった。


だから会えたのが嬉しくて、思わずテンションが上がる。


私がグリの背中を撫でると、グリは私のリュックの中身に興味を持ったらしく、くちばしでリュックを、ぐいぐいと引っ張った。


「あぁ、食べ物の匂いがするのね。グリが食べれるものがあるかなぁ?グリフォンって何食べるんだろう…。」


そう呟きながら、リュックを開ける。


鷲もライオンも肉食であった記憶はあるが、残念ながら肉は所持していなかった為におにぎりを出してみる。


するとグリはおにぎりを出すために、下に置いたスティック状の人参に興味津々だ。


「ン?人参?食べてみる?」


私が人参を差し出すと、グリは美味しそうにバリバリと音を立てて噛み砕き、ゴックンと飲み込んだ。


そしてもう1本と催促する。ニコマルがお気に召さなかった人参がまさかグリフォンの好物だったなんて思いもよらなかった。


「随分うまそうに喰うな。私にも1本くれるか?」

「え?ナギにはこっち!このおにぎりあげますよ!人間にはこっちの方が人気ですから。」


私は昆布のおにぎりを手渡した。


「…うまいな。」

「良かった!」


ナギは黙々とおにぎりを頬張り、ペロッと完食する。


おにぎりをいたく気に入ったらしく、指に付いた米粒までも丁寧に飲み込んだ。


「よし!決めた!」


ナギは明るく笑うと、こう高らかに宣言する。


「お前達の人捜し、私が手伝ってやる。その代わり、その報酬はおにぎりだ!」

「え???」


私の脳裏に浮かぶのは、きびだんごでお供を手名付けた桃太郎。


私は、おにぎりと人参で、ニコマル、ナギ、グリの三人がお供になった。


このおにぎりにそんな力あったっけ、と心の中で呟いた。

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