第11話
11
ゆっくりと開けた扉の先には、これで3回目の出会いとなる思想世界の入口があった。
ピアノの音は、間違いなくその先から聞こえる。
この展開は、もうそうでしかないと思えるほどに、マキの思想世界の入口だと直感が告げた。
ニコマルが嬉しそうにピョーンピョーンと飛び回る。
その時 腕の輪ゴムから僅かな振動が与えられる。
まずい。
教授の存在を忘れていた。
急いで腕を持ち上げると、先程と同じように教授のホログラムが立ち上がる。
『時間的にもう限界です。あまり長いエンプラは良くない。』
エンプラ?
聞き慣れない言葉に疑問はあれど、言っている意味は分かったのですぐに返事をする。
教授の口調に私の軽率さを戒める言葉があれど、本気で怒っている様子はない。
「はい!すぐに帰ります!」
とは言ったものの、ニコマルを追って5分以上走り続けてしまったから、すっかり帰り道を見失ってしまった。
足下がすっと冷たくなる。
「ね、ねぇニコマル!さっきの場所に帰りたいの!あそこに出口があるの!だからさっきの場所まで戻って!!」
私はもさもさと毛を揺らすニコマルに懇願する。
今頼れるのはこの変な生き物しかいないのだ。
ニコマルは私の言葉がわかったのかわかってないのか、その辺をぐるぐるピョーンと飛び跳ねた後
「カエル!!ココ!!カミサマ!!カエル!!」
そう叫ぶと、長い耳を揃えて限界まで伸ばし、ウーンとノビをしながら、揃えた耳を少しずつ、少しずつ開いていく。
ニコマルの体に若干の発光現象が見られた。
縁取るように迸る緑色の閃光。
するとジジッという音と共に耳の間から出現したのは、紛れもなく思想世界の入口、いや出口!!!
「なにこれ!便利~!!!」
私はニコマルを抱きしめて頬ずりすると、いくらか苦しそうな様子ではあったが、私に微笑み返してくれた。
可愛すぎる!!
「じゃあね!ニコマル!また帰ってくるからね!!」
「カミサマ!!カエル!!カエッテクル!!」
独特なニコマルの言葉が、徐々に小さくなっていくのを感じながら、暗闇はまた私の体を抵抗なく飲み込み、あの落ちていく感覚に身を任せる。
速度も重力も感じられないまま、闇にただひたすらに落ちていく。
ーーーーーーーーーー
「おっと!!」
ガクンと膝に力が入らず崩れ落ちそうになるのを、教授の細い腕が支える。
しっかりと私を受け止めきった腕には、私の想像より筋肉が存在しているんだろう。
見た目によらず、男らしいところもあるようだ。
「大丈夫かい?」
私をのぞき込む目はほんの数時間前に見たばかりだと言うのに、なぜだか懐かしさを覚えるほどに久しぶりな気がしてしまうのは、異空間を越えた事と関係があるのだろうか。
「あ、はい…でもなんか足がガクガクするんです…」
自分の足が重だるく、力を入れようとすると筋肉がブルブルと震えてしまう。
これは2回も思想世界の入口をくぐったせいなのか、思うように足が動いてくれない。
「思想世界に入ったせいですか?」
「いや…それ位ではそうはならないはずですが…」
と、教授は首を捻る。そのうちにあっと声をもらし
「もしかして、向こうで思いっきり走ったりとかしましたか?」
「はい…5分ほど。私 こっちでは運動とかあまりしないんですけど、向こうでは息も切れずに走れちゃうんですよ!楽しかった~!!」
私の言葉に、それですねと言わんばかりに教授はその形のいい人差し指を立てる。
「向こうでは体力に際限がありません。とはいっても肉体には限りがあるので、息が切れないからといって走り続けたりすると、いきなりガクッと電池切れのように体が動かなくなるんです。」
「ひぇっ…!」
「そして、こっちに帰ってくれば当然のように疲労や筋肉痛が襲ってくる。運動不足であればなおさら。」
「…。」
まさしく、私の足の不快感はそれであろう。
無知故に運動不足というさらさなくていい情報を開示し恥をかいてしまった。
話題を変えようと、向こうで浮かんだ疑問をいくつか教授に投げかけることにする。
「ところで教授、エンプラってなんですか?」
「エンプラですか?…あぁ、そうですね。そこら辺の説明を丸々省いてました。」
と教授は申し訳なさそうに頭をかいた。
「私達、思想世界研究者は全ての思想世界をひっくるめて、Thought worldと呼んでいます。」
「ソートワールド…。」
「これは宇宙に例えると大宇宙そのものです。そして個人が造り出した思想世界を惑星に例えてanother planetと呼びます。ほぼ略してアナプラと呼ぶことが多いかな。」
そこで、私はピンとくる。
「だから、アナプラに入ることをエンター プラネット、でエンプラ?」
教授はもう見慣れつつある温かい笑顔でうんうんと頷く。
「正しくはenter the planetで、エンプラです。」
「じゃ、帰ってくるのはあうぷらとか?アウトプラネット??」
「いや、wakeです。」
「ウェイク?起きる?」
「起きるとか覚めるとか、そんな意味ですね。エンプラは夢の中に近い状態ですから。」
「そっか!だから疲れたりしないんだ。夢の中なら空だって飛べたりするし。…あ!じゃ、アナプラの中で怪我とかしたらどうなんですか?」
「あぁそれは…。」
教授は珍しくて眉根を寄せて、困ったように頭をボリボリかいている。
ウーンと唸って腕組みをして、トントントンとその指先を自分の腕に打ち付ける。
「あんまり、君にそういう体験はしてほしくないんですが…。」
教授はアナプラで怪我をしたことがあるのだろうか。
あまり語りたがらない様子だ。
「向こうでは怪我をしてもそこまでの痛みやダメージははないかもしれないけど、帰ってきた途端に痛みを感じることになると思う…。」
「それって、帰ってきてみなければ怪我の度合いがわからないってことですか?」
「まぁ…そうなるかな…。」
と、また教授を悩ませてしまった。
でもそれはちょっと怖い話だなと思う。
例えば 思想世界の中で、ニコマルに体当たりを喰らってもダメージなく冒険できたとして、帰ってきた途端に骨折やら内臓破裂やらしている可能性があるってことだ。
「…もし、その怪我が致命傷になった場合…」
「…おそらく、向こうで体力がなくなるまで走った場合と同じように、いきなりガクッとなって、その時点で自分のアナプラは消滅するわけだから、強制的にwakeになるだろうね。」
ってことは、いきなり死体がこちらに送られてくるわけで…。
いや、ちょっと待って。
それは自分のアナプラだった場合であって、もし私がマキのアナプラで死ぬようなことがあったら…。
わたしはその不安を教授にぶつける。
教授はさらに深く眉根をよせて二本の皺を刻ませる。
そして、諦めたかのように首を振る。
「ごめんね。それはわからない。だから君は自分の命を最優先にしなさい。現実世界でも言えることだけど。」
最もだと、私は思った。
私の命がなければ、マキを助けることが出来ない。
だから私は自分の命を最優先に考えよう。
「ではもう遅いから帰りなさい。都合が良ければ、明日、また訪ねてきなさい。」
「きます!!」
明日こそ、マキのアナプラにエンターだ!!
覚えたばかりの単語を並べて、不安をかき消すように自分を鼓舞する。
でもこの不安には形がある。
マキが消えてしまって何も出来なかった日々の、漠然とした形のない不安よりずっといい。
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