第3話
3
「お姉ちゃん、まだ寝ないの?」
お風呂上がりのマキが私の顔をのぞき込む。
その髪の毛から滴り落ちる雫は、肩にかけられたタオルからはみ出して、彼女の古ぼけたTシャツの肩を濡らし続けている。
紺色がさらに深い紺色に変化して広がっていく。
マキの肩までその冷たさは伝わっているのだろうか。
「まだお風呂入ってないもん。マキもちゃんと髪乾かしてから寝ないと、髪の毛傷むよ。」
「え~面倒だからいいよ。一緒に二階来てよ。」
「あんたはまだ一人で寝室に行くのが怖いの?」
「別に幽霊が怖いとかじゃないから!さっきの地震がさぁ…。なんか怖いじゃん。」
少し脅しすぎてしまったのか…。
先ほどのやりとりを思い出して、口には出さないが反省する。
責任を感じた私は彼女の提案に乗ることにした。
郊外の一軒家として割と平均的な作りの我が家には、2階に3つの部屋があった。
階段上って1番手前には私とマキの勉強部屋。
机や本、勉強道具、学校関係のものが雑然と置かれている。
真ん中が私とマキの寝室。
大きな鏡のついたドレッサーを挟んでシングルベッドが2つ配置されている。
1番奥が両親の寝室だった。
2つの部屋を私の部屋、マキの部屋と分けなかったのは前述の通りマキの臆病癖が酷かったからだろう。
私自身も不便は感じなかったから、この年になるまでその編成に変わりはなかった。
「私もお風呂は朝にして、今日はもう寝ちゃおうかな。」
「そうだよ、お姉ちゃん!そうしよう!」
そうして二人連なって階段を上がっていく。
先導する私の足が階段の最上階へ届こうとしたその時、下からドンッと突き上げるような音と共にグラッとした揺れを感じた。
いち早く反応したのは、マキだった。
「地震!!やだ!!怖い!!」
私の背中にしがみつこうとする手が、私のシャツの裾を掴もうと上下する。
「大丈夫だよ!マキ!バランス崩して危ないから手を離して!」
いつもよりか揺れは大きかったけれど、避難が必要になるような、いわゆる大地震ではないと判断した私はマキに忠告する。
スルリとマキの手が緩んだのがわかるとすぐに私はマキを振り返る。
そこで見た光景は生涯忘れることが出来ないものとなった。
階段の中腹あたり、ちょうどマキが立っていた足下辺りにぽっかりと大きな穴が口を開けていた。
重力に従いその穴にまっすぐ落ちていくマキの姿が、古いカメラで連続してシャッターを切った画像のように見える。
コマ送りのようにゆっくりと。
その目はこれ以上にないほどに見開いていたが、実際にはパニックになれるほどの時間は残されていなかった。
電光一閃の猶予もないままに、マキの姿はその淀み霞んだ黒い空間に飲み込まれて行く。
助けようと反射的に出した私の手に、マキの髪の毛から散ったであろう水滴だけを残して。
消えてしまった。
マキの姿も。
あんなにも恐ろしく口を開けていた黒い穴も。
ーーーーー
静寂。
大きかった揺れはとっくに収まっていた。
何が起こったのか正確に理解しようにも、私の脳のシプナスは正しい道程を見失っていた。
それほどに、今、目の前で起こった出来事の前では、私の経験や知識は無力だった。
「マキ…!」
やっと出た声は到底マキには届かない。
掠れているからでも、嗄れているからでもない。
そこに、もうマキはいないからだ。
そして自身の体がバランスを崩し、宙に浮いたのを認識したのは、手で手すりを掴もうにももう届かない状況になってからだった。
咄嗟に伸ばした手は空を切り、そのまま体は階段にたたきつけられながら、下まで落ちていく。
さっき、マキと一緒に昇ってきた階段を。
一人で、落ちていく。
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