第26話

26 嵐の火曜日



また火曜日がやってきた。


火曜の朝は、いつも憂鬱。


ケータとの時間を思い出してしまうから。

我ながらなんて さもしい人間なんだろう。


どんなに拒んでみても、どうしたって7日に1回は火曜日が来てしまう。


30日に1回くらいにならないのかな、なんて無茶な事を思ってしまう。


2月に入り、世間的にはバレンタインモード。


特番の時期を過ぎたから、きっとケータは家にいるんだろう。


あのふかふかのソファで、いつもの様に、おいしそうにビールを飲むんだろう。


...そんな、いらない妄想をしてしまう。


会社のエレベーターホールで、エレベータ―が来るのを待っている。


私はこのホールが嫌いだ。


サンクラがCMをしている商品のポスターが、ずらりと並んでいる。


ここにいれば、嫌でも目についてしまうのだ。


...このポスターのケータはやっぱりかっこいい。


でも、あの部屋でビールを飲んでいるケータは、もっともっとかっこいい。

百万倍かっこいい。


ラフな服で寛ぐケータ。

セットされてない髪は意外にフワフワで。

無防備に笑うその笑顔は、私の宝物だった。


強烈にケータに会いたくなってしまう。


ダメだと思っても。

想いが溢れそうになる。


だから、嫌なんだよ。

このエレベーターホールは。


やっと、エレベーターが来て、私は逃げ込むように開いた扉に体をするりと滑り込ませた。


そしてそのまま私を7階に運んでくれる。


いつもの様に。


「...あ!おはようございます!木下さん!あの...実は、お客様がいらしてるんです...。」


七階に着くなり、私を見つけて駆け寄ってきたのは、佐々木ファンの受付嬢、ミウちゃんだった。


「お客様?私に?誰?何も約束はしてなかったはずなんだけど。」

「それがあのぅ...。ちょっと...普通な感じではなくて...えと、今のところ、鍵かかるのが、会議室Aしかなかったので、応接室じゃなく会議室にお通ししたんですけど...。」


ミウちゃんの様子が明らかにおかしい。


「とにかくこれ!会議室の鍵です!お願いします!」


そう言って、小走りで去って行くミウちゃん。


途中で、出社してきた佐々木にぶつかりそうになって、きゃぁ♡ってなってるミウちゃんを見て、微笑ましくなってしまう。


可愛いなミウちゃんは。


しかし...。


なんで、鍵?


鍵をかける必要があるのか?

いまいち理解できないが、とりあえず会議室に向かってみるか。


「うっす!何?来客?」

「そうみたい。ちょっと行ってくるね!」


佐々木と言葉を交わすと、私はそのまままっすぐに会議室へと向かう。


会議室は七階の奥。


社員の出入りの少ない場所。取引先の営業の人か、あのミウちゃんの態度から察するに、クレームか...。


自然と足取りは重くなる。


がチャッと会議室の鍵を開ける。


「おはようございます。すみません。お待たせして。」


部屋の中にいた人は長身。逆光で、顔がよく見えない。


けれど、すぐにそれが誰なのか、わかってしまう。


だってその人は、圧倒的なオーラを放つ人だったから。


「...ケー...」


窓辺に立っていたその人は、ゆっくりと振り向く。


金色の朝焼けが、ケータの輪郭を縁取って、本当に綺麗。思わず何もかも忘れて見とれてしまう。


「...意外と景色いいんだな。」

「...何考えてるの?ここ...会社だけど。」

「知ってるよ。お前に渡したいものがあって来た。」

「だからって、こんなとこまで...。」

「だって俺、お前の家も、住んでる街さえ知らない。電話もメールも繋がらなかったら、あとはこの会社に来るしか、お前に会う方法はないだろ。」

「だからって...。もう...。もういい。もういいから、帰って。」

「もういいって何だよ。渡したいものがあるって言ってんだろ。」

「いらない。いらないから、早く帰って!」


私は苦しくて、爆発しそうな心臓の音がばれない内に、会議室を後にする。


自分でも、ひどい事を言っているのはわかっている。


けれど、こうする事しか、出来なかった。


もう嫌だ。


どうしたら、忘れられるんだろう。


どうしたら、この苦しい時間は終わるんだろう。


「木下?あれ、もう用事済んだの?早くない?何だったの?」

「え...いや...たいした事じゃ...。」


フロアに戻れば、佐々木がいつもの様に話しかけてくる。


そう。


私の場所はここ。


ここが私の世界。


私が必死に、自分の世界を取り戻していた時、フロアがザワっとした気配を背中で感じる。何だろうと振り向くより、一瞬早く、後ろから強く腕をひかれてしまった。


そのフロアにいた人たちは、驚きを隠せない。


なぜなら、いきなり自分の職場にサンクラのケータが現れたからだ。


もちろん、佐々木も例外じゃない。


私の腕を引くケータを、驚きの表情で見つめている。


「渡すものがあるって言っただろ!」

「帰ってって言ったでしょ…!」


ケータは私の手のひらを、無理やり開かせると、あるものを握らせた。


固くて、冷たい感触。


「この間、置いて帰っただろ。持ってろよ。俺の部屋の鍵。」


ケータは多分わかっている。


このフロアのどこかに、私の彼氏がいるという事を。


そしてそれが、おそらく私の傍で、ボー然としている佐々木なんだろうという事を。


「...いらないってば。」

「なんで?彼氏に悪いから?」

「そうだよ!」

「別に使わなくていい。持ってるだけでいい。そして、彼氏と結婚でもする時に返してくれればいい。それまで、俺は待ってる。」


さっきまで、ざわついていたフロアが、今は水を打った様に鎮まりかえっている。


こんな状況でも、ケータはいたって冷静だ。


「それじゃ、用は済んだから帰ります。お騒がせしてすみませんでした。」


ケータはみんなに一礼すると、何事もなかったかのように、帰って行った。


私の手の中には、ケータの合鍵、また、手元に戻ってきてしまった。

一体、何が起こったというのだろう。


佐々木は、何も言わない。


いつも通り、過ぎていくはずだった火曜日。


私の日常は、あっけなく崩壊する。

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