第24話

24 発熱




『38.9』


ピピピと鳴ったそれは、非情にも高熱を私に知らせていた。


どうりで...体が重くて、起き上がれないはず。


あぁ。

今日も会社を休まなくてはいけない。ずる休みが本物になってしまった。


昨日、あんなに雨に打たれるんじゃなかった。もう決して若くない。無茶はするもんじゃない。私が猛省していると、ブブッと携帯がなる。


佐々木からだ。


“おっす。大丈夫か?昨日は連絡ないから、心配したぞ。今日は会社来れそうか?”


すでに心配をかけていたのに、また、心配させる事になってしまった。


私は本当に悪い女だ。


いつから、こんなに悪い女になったんだろう。

電話の向こうの佐々木の声は、今日も優しい。


「おはよ。今日もダメっぽい。熱が38.9℃だって。心配かけてごめんね。」

『うお!マジか!今日、救援物資持って、お前んとこ寄るわ。後で住所をメールに入れとけ。』

「え?いいよ。大変じゃない?」

『大変じゃありません。会いたいです。会いたいので、行きます。病人にエロい事はしません。お気遣いなく。』

「じゃ...遠慮なく。お高いメロンが食べたいです。お高いフルーツタルトも食べたいです。」

『あんた本当に病人?それ病人の食欲??病人じゃないなら、エロい事しかしないよ!』

「病人です。繰り返します。病人です。エロい事はしないで下さい。」


あぁ、もうなんで佐々木とはこうなってしまうんだろう。


彼女っぽくしようと思っても、こうなってしまう。可愛げがなくなってしまう。


でも、佐々木のいつもの調子で、何となく元気が出た気がする。佐々木の持つ、プラスのパワーが、ど~んと私に注入されていく様。


なんとなくフワフワした気持ちになって、気づいたら、電話口の向こうから聞こえてくる佐々木の声を子守歌にそのまま寝てしまっていた。


ピンポーンという音で、ハッと目が覚める。時計を確認してみると、16時を表示していた。佐々木にしては早い...?


「うっにゃにゃにゃ~!みのち~ん!仕事か~!?」


扉の向こうで、カオルの声。


仕事だったら、返事できないっつの。


がチャッと鍵を解くと、扉の隙間から嬉しそうなカオルの顔。


「あ~!みのちん!いたぁ♪...って、あり?風邪??」

「熱出して、仕事休んじゃった。じゃなきゃ、こんな時間に家にいないよ。」

「だよね~!カオルも仕事中♪外回りで、みのちんの家の近くまで来たから、来ちゃった♡美味しいプリン買ってきたよ♪食べよ♪...食べられる?」

「...食べる!!」


そういえば、朝から何も食べていない。柔らかなプリンが、喉元を過ぎて行く感触が気持ちいい。この上のところの濃厚な部分がたまらなく好き。


そして、プリンを食べながら、私はカオルに、ケータとの事を話しはじめた。


今日のカオルは一味違う。最初から最後まで、私の話を真剣に聞いてくれた。


かなりレアだ。


「もう、本当に自分のダメさ加減に絶望中...なんだよね。」

「う~...ん。」

「私、いつからこんなダメ女になったんだろう。」

「別に...だめ女とは思わないけど。」

「へ?なんで?」

「まぁさ。間違ってるとは思うんだよね。でも人間だし、間違う事もあるし、それも経験だと思うし。」

「間違ってる?私が?」

「いいのいいの。今は分からなくて。それにさ。人を真剣に好きになった時って、誰しもがめちゃくちゃになってしまうものなんじゃないの?」

「好きになった時?」

「そうだよ。誰かをすごくすごく好きになったら、聖人でなんかいられない。ケータだって、みのちん想ってめちゃくちゃになったじゃん。人ってそんなもんだと思う。」


プリンを食べ終えたカオルは、立ち上がって、冷蔵庫からアイスノンを持って来て、私の頭にひいてくれる。


「カオルだって、モト君想ってめちゃめちゃになった事あるよ。一杯泣いて、すがってさ。」

「え?あんなにラブラブなのに?」

「そうだよ。人は人を精一杯好きになったら、めちゃめちゃになって、泣いて喚いて、自己嫌悪に陥って、それでも、気持ちが抑えられないんだよ。それが恋でしょ。」


カオルはそう言って、私に布団をかけてくれる。


「みのちんは駄目な女じゃない。もちろん駄目な人間でもない。一人の立派な、恋する女の子です。」


あぁ。


カオルだ。


カオルはいつもこうだ。


馬鹿な事ばっかり言ってるくせに、私が本当ダメになると、ちゃんと諭して、しっかり支えてくれる。


「じゃ、私は仕事に戻りやす♪ダメ元で訪ねてきて、正解~♪カオルン天才♪」

「カオル、本当にありがとう。」

「あったかくして寝るんだよ♪」


カオルが去って行った部屋の中は心なしか、温かい。


そうか。

私は恋をしているんだ。

冷静では、いられない程。


だからといって、人を傷つけていい理由になんかならない。


いつも笑顔で、私のそばにいてくれた佐々木を幸せにしてあげたい。


少し寝たせいか、さっきより体が軽く感じる。もしかしたら、少し熱も下がったのかもしれない。


少し、ご飯でも食べようかとベッドから降りた時、二度目のインターホンがなる。


今度は佐々木に違いない。


「うっす!生きてっか!ほら!お高いメロン!お高いフルーツタルト!買ってきたぞ!」


目の前に大きな袋。ふわっと甘い香り。その袋の向こうに、佐々木の優しい笑顔。


「わざわざ、ありがとね。」

「おい!なんだよ。そんな素直にお礼言うなんて、熱でもあるのか?」

「...あるっつうの。」

「プププ。知ってるっつうの。」


佐々木は、人の顔を覗きこむなり、おでこに手をあててくる。


「うん。まだ、あっちいな。」

「佐々木の手が冷たいんだってば。」

「あ?そっか。悪いね。すみませんね。ところで。キッチンどこ?とも君特製のおかゆを作って差し上げますから。材料買ってきましたから。」

「え...食べれるの?」

「ここ喜ぶとこ!感動するトコ!え~♡いや~ん♡私の彼ってば料理まで出来るの?♡♡うち、嬉しいわぁ♡」

「なんで関西弁よ。」

「熱出してても、突っ込みは健在だな!黙って寝てろ!」


佐々木はそう言うと、ワイシャツをくるっと腕まくりして、調理を始める。


...うん。


悪くない。


そうか、佐々木も一人暮らし歴は、私と同じ。料理位は作れるのか。手際も悪くない。

長ネギ、大根、人参、ブロッコリー...。


おかゆにしては、野菜多め。コンソメ仕立ての、洋風がゆらしい。

プリンしか入ってないお腹が、クゥっと鳴る。


「おいしそう...。」


思わず呟いてしまう。


「おう!たくさん食えよ。元気になるから。」


出来上がったおかゆは、彩りも綺麗。コタツの上に並べられた、二人分のおかゆ。


「いただきます。」


何だか、思い出してしまう。ケータが始めて作ってくれたコンソメスープ。あのスープも、こんな風に綺麗で、温かかった。


「おいしい!」

「そうでしょうよ。美味しいでしょうよ。たくさん作ったから、たくさん食べなさい。...ん?あれ、何?」


佐々木は部屋の隅に積まれた、本やDVDを指さす。


「あ...それは...捨てようと思って。」

「これ、サンクラのCDとかじゃないの?なんで捨てんの?」


そう、それは捨てようと思ってまとめておいた、サンクラ関連のものだった。


「もう...ケータを好きでいるの辞めようと思って。」

「なんでよ?もったいないでしょ?もしかして、俺の為とか?...んな訳ないか!...でもなんで?」


一人で突っ込む佐々木。


「...だって、集め出したらキリがないし...。それにごめん。私、佐々木が思っているよりずっと、ケータの事が好きだと思う。」


私としては、これが精一杯の告白だった。けれど、佐々木の受け止め方は軽い。


「い~って!!いいの、いいの!いいじゃないのさ。好きでいなさいよ!言ったでしょ。俺だって、ゆいにゃん好きだし。それとこれとは別だよ、別!」


私の本意が伝わっていない。


当然だ。

でも、本当の事を伝える勇気は、私は持ち合わせていない。


「大丈夫。ケータを好きでいろよ。ケータを好きな木下を丸ごと愛します。」


くしゃっと、照れくさそうに笑う佐々木。この人は本当にいい男だと思う。


だからこそ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「つうかさ、俺もケータ好きだし、今度一緒にサンクラのコンサート行こうぜ♪うちの会社のお祭りライブは幻と消えちゃったしな。」

「...うん。」

「よし!じゃ、ボクは帰ります。パジャマ姿の可愛いレアな木下を見れたし、エロい事しないうちに帰ります!」


食器をさっと片づけて、帰り支度を始める佐々木。


「早く治して、会社に来いよ。木下いないと俺のやる気がでないから。俺のやる気が出なかったら、会社の売り上げ三割落ちるからね。」


そんな事言って、私の頭をなでる佐々木。


「うん。ありがとう。」

「そんな素直にお礼言うなんて!!お前いつも熱出しとけよ。」

「いやだよ。」


佐々木の笑顔の余韻を残して、パタンと閉じられた扉。訪れた静寂は、私の孤独感をどうしようもなく、刺激する。


...もう、どうしていいかわからない。

ケータを好きでいていいなんて、言わないで。


部屋の隅におかれた、サンクラの欠片たちが、私を責めているように思える。


佐々木の笑顔が、胸に痛い。

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