第21話

21 パティスリーマム



高級住宅街ではないけれど、いわゆる若者が住みやすくて人気のある街。


佐々木はそんな街に住んでいた。


駅前は小洒落た古着屋さんなんかがたくさんある。


なんとなくソワソワしている街。

佐々木らしい街。


そんなソワソワした商店街を、佐々木と歩いている。


今日、26歳になった佐々木と。


「なんかさ~。みんながボクを祝福してない?」

「してない。」

「なんか、さっきから、おめでと~!って声かけられるんだけど。」

「いらっしゃいませって言ってるだけだよ。」


今日も佐々木はどうかしている。

むしろ、パワーアップしている気さえする。

病気なのかもしれない。


「ね~ね~、みのさん。みのさんや。君にだけ特別に教えてあげよう。ここがね、ボクが一番好きなケーキ屋さんです。内緒だよ!もし、ぼくが通っているなんて、世間にバレたら、ケーキ屋さんに迷惑がかかるからね!」


そのケーキ屋さんは、佐々木らしさの欠片もない、レンガ作りのあったかな雰囲気。


"パティスリー マム"というらしい。


「あんた、まさかホールケーキ予約してないでしょうね。自分で《ともくんおめでとう》って書いて下さいとかって言ってないでしょうね。」

「あ~!!やれば良かった~!」


佐々木が頭を抱えて悔しがる。


「やらなくて宜しい。」



カランカランとドアチャイムの音も、可愛らしい。甘く優しい香りが鼻をつく。


「うわぁ♪可愛い!佐々木にはもったいない!」

「あんたね。さっきから失礼だから。こんなにケーキの似合う男はそういないから。」

「チーズケーキとぉ、レアチーズケーキとぉ、一口チーズケーキで!」

「おい、チーズケーキ以外も頼めや。つうか、その前に俺を無視するな。」


バイトらしき、色白の可愛い店員さんが、私たちのアホなやりとりにクスクス笑っている。


「あ、すいませんねぇ。この子少し、頭弱くて。チーズケーキしか頼まないんでね、注意しておきましたから。あ、ボクね、今日バースデーなんですよ。バースデーにおすすめのケーキなんてあります?」


すかさず佐々木が店員さんに、話しかける。

こいつ、もしかしてホストとかやらせたら、そこそこ稼ぐんじゃ...。


「バースデーのお勧めは、こちらのスペシャルショートケーキになります。」

「あ、じゃそれ下さい。」

「かしこまりました。」


丁寧に梱包されていく、ケーキ達。早く食べてみたい。

お店の奥には少しだけど、イートインスペースもあるようだ。


今度、カオルと来てみようかな♪


「では213円のお返しになりますね。お誕生日おめでとうございます!」


カランカラン...と、やっぱり可愛いドアチャイム。

外はまだまだ寒い。


「...なぁ。あの子、俺に気があるぞ!おめでとうございます♪だって!」

「営業スマイルだから、落ち着きなさい。」

「いや~、26歳の俺もモテちゃうなぁ。」


いつまでも騒がしい佐々木とは反比例して、通りは少しずつ、寂しくなっていく。


駅前のメインストリートから、少しだけ離れた、でも立地的にはまだまだいい所に、佐々木のマンションはあった。


想像よりずっと綺麗なマンション。


「嘘!ここ??結構するんじゃないの?家賃いくらよ。」

「お前なぁ、いきなりそんなこと聞くかよ。入れ入れ。」

「は~い。」


開かれた扉。

ふっと、佐々木のにおい。


部屋は意外にも綺麗に整頓されていて、モノトーンで統一された、そこそこオシャレな部屋だった。


「...意外。部屋は騒がしくない。」

「部屋はってどういう事だよ。部屋はって。」

「あのね、どう見てもこの部屋にゆいにゃんは浮いてます。」


部屋の中央、一番目立つ場所に巨大なゆいにゃんのポスター。


「ばか、お前。この部屋はゆいにゃん中心にコーディネートしたんだぞ。」


初めて見たゆいにゃん。全然メジャーじゃないけど、結構可愛い。

目がくりくりしていて、ほんわか優し気に笑っている。タンポポの綿毛みたいだ。


「お、なんだよ。ゆいにゃんに嫉妬か。」

「してません。」


ゆいにゃんの斜め下にテレビ。

テレビの前に小さなテーブルと座り心地の良さそうなソファ。


「テキトーに座ってて。お茶入れてくる。」

「は~い。」

「ゆいにゃん、剥がすなよ。」

「・・・・は~い。」

「今の間はなんだ!」


佐々木はからかうと面白い。


ゆっくりとグレーのソファに、腰かける。


...来てしまった。

佐々木の部屋に。


からかう相手がいなくなってしまったから、少し緊張してしまう。


テレビをつけて見る。静かだった部屋に、聞き慣れたCMソングが響けば、少し緊張も和らいだ。


「な~!コーヒーは砂糖と、ミルク入れるか~?」


キッチンから、佐々木が顔を出す。


「ん~。今日はケーキがあるから、砂糖なしで。」

「うっす!」


テレビ画面の中で、お天気お姉さんが笑っている。


「明日、雨だって~。」

「雨~!?マジかよ。」


コーヒーとケーキを持って、佐々木が隣に腰かける。ホワホワと、あたたかそうな湯気。


「寒くない?大丈夫?」

「大丈夫!エアコンきいてる!」


それでも、一口あたたかいコーヒーを啜れば、その熱さは体に染み渡る。


思ったより、体は冷えているらしい。


「あのね、佐々木。」

「うん?」

「急だったから...そんなに良い物じゃないんだけど...。誕生日おめでとう!これ、プレゼント!」

「うわ。まじか!...開けていいっすか。」

「はい。期待しないで下さい。」


プレゼントはあまり悩む時間がなかったから、ど定番の財布にしてみた。


佐々木のくせに、小物はシンプルでセンスがいい物を持ってたりするから、そこを店員さんと相談して、オリーチェの黒財布に決めた。


プレゼントを開けた、佐々木の顔がほわぁっとほころぶ。


「財布!欲しかったんだよ!今の財布、ネットで買ったら、全然気に入らなくて!うわ~、何この手触り。スルスルで気持ちいい!」

「良かった!あんたって、無駄にセンスいいから、ドキドキしちゃった。」

「無駄って何だよ。無駄って。...でも、マジで嬉しい。ありがとう。」


佐々木は本当に嬉しそうに、財布を眺めている。


「急だったし、プレゼントは、なくてもいいと思ったんだ。お前と過ごせればそれでいいと思ってた。」


佐々木は、プレゼントをしまうと私に向き直る。


そして、そっと優しく私を抱き寄せた。


「プレゼント、ありがとう。大切にします。財布も。木下も。」


佐々木の、心臓の音が近い。

ごくっと、唾を飲み込む音が聞こえる。


佐々木はその両手で、大切そうに私の頬を包むと、ゆっくりとキスをした。


優しくて、あったかいキス。


なのに私は、戸惑いを隠せない。

唇を離すと、私をその腕に強く抱きしめた。


その佐々木の肩越しに見えたのは、テレビ画面にいっぱいに映ったケータの笑顔。


反射的に体がびくっとこわばる。


そうだ。


今日は火曜日。


ケータの家で毎週一緒に見ていた、サンクラの番組が始まっている。


「...さ、佐々木!!」


思わず、佐々木の体を押してしまう。


「...どうした?」

「佐々木、ごめん...ごめん、佐々木!」

「何...?どうしたん?」

「あの...やっぱり、なんか具合悪いみたい。」


私は咄嗟に嘘をつく。

もうどうしていいかわからなかった。


でも、あんなに真っ直ぐな佐々木の愛情を、受け止める事はどうしても出来なかった。


「え?大丈夫か?横になるか?なんか、顔青いぞ。」


それでも佐々木は、こんな私にどこまでも優しい。


「もしかして、無理させたか?俺の誕生日だからって。」

「ううん。違うの。今!今、具合が悪くなっただけだから...。」


遠くでケータの声がする。テレビから、漏れ聞こえてくる声でさえ、こんなに胸が痛くなる。


「ごめん...。今日は帰る。ごめん、折角の誕生日なのに。」

「いいよ!もう十分!すっげー嬉しかった!送ってくよ!」


そう、言ってはくれるが、がっかりしている。


がっかり感は見てとれる。


私は今日程、自己嫌悪に陥った事はないだろう。


テレビの向こうのケータは私を見てやしないのに。


ダメだ。

忘れなくちゃだめだ。

佐々木みたいな優しい人を傷つけたくない。


佐々木は、私の頭を愛しそうにポンポンとなでる。


「もう今度から、無理すんなよ。無理しなくても、大丈夫だから。」


優しくされればされる程、自分が嫌になる。この人を好きになりたい。好きになれば、絶対に幸せになるとわかっている。


もうダメだ。


ケータと繋がっていちゃ、いけない。


友達としてでも。


佐々木に送られて、家に帰りついた私は、すぐに家中のサンクラに関する物を、全てゴミ袋に入れる。


CD、DVD、ポスター、切り抜き...全部、全部。撮りためた、録画も全部消去する。


私の頭の中も、こんなに簡単に消去出来たらいいのに。


ケータの中では、始まってもいない関係。私だけがけじめをつければいい。


私は携帯を持ち、ケータにメッセージを送る。


《やっぱり友達じゃない。友達じゃいられない。さよなら》


勢いに任せて、そう送信する。


これで終わりだ。


後は、佐々木と幸せになればいい。


ケータはこのメッセージを、どんな思いで見るんだろう。


見てもなんとも思わないかな。


すると、予想外にも、ケータから、すぐに返信があった。心臓が痛い位に跳ね上がる。


《話がしたい。》


ケータから、送られてきたメッセージに涙が出そうだ。


久しぶりに、私に向けられた言葉。


話がしたい...。

だけど、私は...。


返信できなかった。


返事をしたら、変に期待してしまいそうで、ケータにすがってしまいそうな、自分がいたから。


返信をしないでいると、携帯が鳴る。


ケータからだった。


なんで?

ケータから電話をもらうのなんて、初めてだ。

なんで、今なの?


それでも私は、その電話に出なかった。

その後、二回着信が来たけれど、どうしていいかわからないまま、電話は切れた。


なんで?

ケータはどういうつもりなんだろう。

もうそっとしておいて欲しい。


期待もしたくない、傷つきたくもない。このままそっと、終わりたい。


すると、今度はケータから、メッセージが届く。


《明日、俺は部屋にいないから、合鍵を返しに来て欲しい。リビングのテーブルの上に、忘れ物を置いておくから、確認して。》


...そうだ。合鍵。


さすがに合鍵はちゃんと返さないと、まずい。


それにしても忘れ物とはなんだろう。でも、前回はあんな事があったから、何かを忘れていてもおかしくはない。

慌てて出てきちゃったし。


ケータのメッセージは、友達関係を終わらせようという私の意思に、賛同を示したものだった。


それが、やっぱりショックだった。


でも、いいんだ。

これで。

何もかも私の妄想だったと思って、忘れちゃえばいい。


そうだよ。

あんな人が。


私を友達になんてするはずがない。


抱きしめるはずなんてない。


キスなんてするはずがない。



自分に言い聞かせようと思ったのに、苦しくてたまらなくなる。


痛くて苦いものが、胸に一杯につまって、息ができなくなる。


バカみたいに涙が出た。


こんな時、一人暮らしはいい。

私は誰にも遠慮なく嗚咽する。


私を助けてくれた優しさ。

まっすぐな眼差し。

あったかい笑顔。

力強い声。


大好きだったよ、ケータ。


大好きだった。

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