第18話

18 天罰



ガチャンと鍵の開く、小気味いい音。


扉を開けば、もう二度と訪れるはずがないと思っていた、愛しい場所。けれど、ケータがいないだけで、何となく肌寒い。


さて、何から始めるか。


部屋の中は、今まで見た事ない程、雑然としている。

洗い物も、洗濯物も溜まっている様だ。


とりあえず、洗濯機を回し、洗い物を片づける。掃除機をかけて、雑巾がけもした。


何だかワクワクする。


綺麗になった部屋を見て、ケータが笑って、私の頭をなでる。


"ありがとな。"って。

そんな想像をしてみる。


それは決して、叶わない想像。それなのに、どうしてこんなに、嬉しくなってしまうのだろう。


ベッドも綺麗に整える。


酔って、ここに何度も寝かせてもらった、気持ちがよくて大好きな場所。


お風呂もトイレも、全部綺麗に掃除して、時刻を確認してみれば、まだ22時。


遅くなるって言っていたから、きっと日付はまたぐだろう。

打ち上げだと書いてあったから、お酒を飲んで帰ってくるはず。


飲み過ぎても食べれるような、簡単なものでも用意しておこうかな。


ケータはいつも、私の為においしい料理を作ってくれた。だから、私も心を込めて作ろう。


冷蔵庫を覗いてみれば、あり合わせの材料で、中華粥が作れそうだ。

料理は得意な方ではないけれど、一人暮らしも六年目ともなれば、それなりには作れる。


だけど、それを人の為に作るのは初めてだった。そういえば、優一に作ってあげた事なかったな。


私が初めて料理を作ってあげた相手はケータ。


この先、何があっても、その事実だけは変わらない。


美味しくなりますように。


コトコト煮込まれる中華粥。


美味しそうな香りが漂い始めた頃、玄関がガチャンと開く音がした。


!?


そのあと、ダン!ダン!と何かにぶつかる鈍い音。


急いで玄関に向かうと、そこにいたのはケータだった。


ケータが、苦し気に壁にもたれかかっている。靴を脱ごうとしているが、足元がおぼつかない。


「...ケータ!?」


私の声に、顔をあげるケータ。

その顔は赤く、息遣いも荒い様だった。


「みの...?まだ帰ってなかったのか...?」

「どうしたの?大丈夫?」

「大丈夫...。ちょっと、飲み過ぎただけ。」

「思ったより、早く帰ってきたから、びっくりしたよ。」

「...前半飛ばし過ぎて、もう無理だと思ったから、抜けてきた。」


こんなケータは初めてみる。


靴が全然脱げないから、脱がしてあげる。


「とりあえず、ベッドで横になって。」


肩を貸して、ケータを寝室へと促した。ケータの香りに包まれて、胸がギュッと苦しくなる。


私に預けられたケータの重さと体温は、私をこんなにも切なくさせる。


ダメだ。

こんな気持ちになっちゃ。


ケータをベッドにゴロンと横にする。


「お水、持ってくるから待ってて!」


そう言って立ち上がろうとした時、ふいに腕を掴まれる。


それは、凄い力で。


あっという間に、視界がぐるりと反転し、いつの間にか、私はケータに、ベッドの上で組み敷かれていた。


「...ケータ?」


目の前にはケータの赤い顔。


何?


一体、何が起こったというのだろう。


「...水はいい。...ここにいて。」


そう言うと、ケータはゆっくりと優しく、私をその腕の中に閉じ込めた。


あまりの事に、私の頭は回らない。


ただ、ケータの高い体温を感じている。


ケータは少し腕の力を緩めたかと思うと、私の頬にキスを落とした。


頬に、耳に、おでこに、目に。


何度も、何度も。


「みのり...。」


合間に呟かれる私の名は、あまりに甘くて泣きそうになる。


うっかり、ケータが好きだと叫んでしまいそうだ。


私の髪をなでる大きな手。


その手が徐々に熱を帯びていくのがわかる。


ケータが触れた場所から、アルコールが流れこんでくるよう。


初めて見るようなケータの瞳が、私を捉える。

その瞳は、切なくて、苦しくて、どこか悲しそうな色をしている。


徐々に縮まっていく距離。


ケータは私にキスをしようとしている。

わかっているのに、動けない。


ケータの瞳があまりに綺麗で、目が離せない。


ケータの唇が、私の唇に落ちそうになったその時、ケータの動きがピタッと止まる。


アルコールを含んだケータの熱い息を、唇で直に感じる距離。


ケータはふっと顔をそらすと、苦し気にハァっと息を吐く。


「ケ、ケータ、どうしたの?何かあったの?」


ケータは何も答えない。


ゆっくりと私を解放し、背を向けてゴロンと寝ころぶ。


「...ケータ...?」

「ごめん。色々ありがとな。もう今日は帰れ。...悪かった。」


ケータはこっちを見ない。初めて聞くような余裕のない声。


「ケータ...。大丈夫?何かあったの?」

「・・・。」

「ね...。帰れないよ。ケータが心配で帰れない。」

「心配はいらない。ちょっと疲れただけだ。帰れ。」

「でもケー...」

「帰れよ!!」


初めてケータに怒鳴られたショックで、言葉が出ない。


でも、だって、ケータは普通じゃない。ちょっと疲れてるだけ?


ちがう。

何があったの?

私じゃ、力になれないの?


声に出せない言葉の代わり、涙が次から次から溢れてくる。異変を感じたのか、振り向いたケータは、困った様に呟く。


「...泣くなよ。悪かった...。だから、泣くな!」

「やだ!私、帰らない!」

「何でだよ。早く帰れ!彼氏に悪いって言ったのはお前だろ!?」

「言ったけど。言ったけど、帰らない!」

「だから、何でだよ!」

「そんなケータほっとけない!だって、友達でしょ!?」


私が泣きながら叫んだ瞬間、ケータは私の頭をグッと引き寄せて、口付けた。


あまりに突然すぎて、思考回路は完全停止。


ただただ、ケータの唇がひどく熱くて、その熱さに驚く。


「...ケータ!!」


ケータを、力の限り突き飛ばすと、ケータは冷たい目をして、自嘲気味に呟く。


「...これでもトモダチ?まだわからないなら、抱くよ?」


背筋がぞくっとする程の迫力。


私はその辺にある、自分の荷物をどうにか手に取るとケータの部屋を飛び出した。


振り返らない。


いつもの場所を足早に過ぎる。

何が、どうして、どうなったのか。


悲しいのか、寂しいのか、怒りたいのかわからない。


ただ一つだけ思ったのは。


私はケータの友達なんかじゃないという事。


友達になんて、なれていなかったという事。


ケータにとって、私なんか、友達以下の存在だったという事。


最後のケータの冷たい目を思い出す。私なんか、平気で抱きしめたり、キスしたりしてしまえるような関係。


思い上がっていた。友達として、大切にしてもらっているなんて。


これは天罰だ。


佐々木がいるのに、いつまでもケータを忘れない、私への罰。


神様が私に天罰を下したんだ。


それでも。


ケータの唇を思い出す。


ひどく熱くて、力強いキスだった。胸の奥がヒリヒリする。


ケータはひどい。


ズルい。


こんなにも簡単に、私を谷底へ突き落とせる。


もう、ケータという人が、わからない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る