第11話

11 カウントダウン



都心にある高級マンションの最上階。


大きな窓のあるリビングのソファに、私は腰かけていた。

眼下に広がるのは幹線道路、行きかう車は体中を巡る血液の様に滞りなく通り過ぎていく。


私の耳にその喧騒は届かない。


鳴っているはずのクラクションも煙を吹かすエンジン音も。だからなのか、今いち現実感がない。この場所はそういう場所だった。まるで夢の中だった。


「お腹すいたぁ~!今日のメニューは何かなぁ♪」


自分の存在を確かめるように、少しばかり大げさにはしゃぐ。

当たり前にここにいるんだと。

それを誰に対してかはわからないけれど、示したかったからだ。


「お前なぁ。食器位は運びなさい。」


キッチンから姿を現したのは、エプロン姿のケータ。慣れた手つきでお皿を運ぶ。

そのお皿を支える指がとても長くて綺麗。その人が私に笑顔を向けることで、少しだけホッとする。


私はここにいていいんだと思える。

ここに私の居場所はある。


そう実感していないと、お尻がもぞもぞしてきてしまうほど、私にそぐわない場所だった。


「今日はバターチキンカレーな。ナンは普通のとガーリックのがあるから、好きな方食べ

ろ。」

「やったぁ!おいしそう!!ナン大好き!」


あの日から、毎週火曜日の夕方にここへ来ては、ケータと一緒に夕飯を食べている。

火曜日はちょうど時間が空くらしい。


そして火曜日はサンクラの冠番組の放映日でもあるから、ご飯を食べながら、その番組を見るのが恒例になっていた。


それなのに、いつまで経ってもこの部屋のソファは私の体に馴染まない。


こんなに柔らかく、私の体を受け止めるのに、だ。


「ケータ!このカレー何!!最高すぎる!甘くて辛い!辛くてうまい!!」

「だろ?でもこれスゲー簡単。10分でできる。」


ケータのドヤ顔。


...好きだなぁ。

普段は余裕のある大人な態度なのに、時々見せる子供っぽさ。


テレビのケータと生のケータと、おいしいご飯。


これって至福。


「お前は本当にうまそうに食うから、作り甲斐があるよな。来週は何にするかな。」

「なんでも!好き嫌いないし♪」

「アジア系にしてみるか。タイ料理とか。」

「好き!シェフにお任せで!」


大きな口でナンにかぶりつく。


バターがジュワっと溶け出して、サラリと流れて行く。端っこのカリカリした所がたまらない。


何気ない会話の中で、当たり前のように来週もケータとの時間が約束された事がうれしかった。


でも。頭の隅っこで。

隅っこの端っこで。

ずっとこのままじゃいられない。傷つく前に離れた方がいいと叫んでいる自分もいる。


だって、私の中で偶像だったケータは、もう私の世界の住人で。

この気持ちをとめる術がない。


ケータを振り向かせてみせると言える自信もない。

私はケータに忘れられない人がいる事を知ってしまっているのだから。


一日一日、ケータと時間を共にするほどに、募る気持ちを飼い馴らす事はもう容易じゃなくなっていた。


だって私の隣で美味しそうにナンを頬張るこの人は素敵すぎるんだ。


少しでも気を抜くと、途端に私をときめかせる。


例えば、この瞬間。


噛み砕いたナンをビールでごくっと流し込む喉元。

ハァっと小さく息をつく唇。


胸がギュッといたくなる前に目をそらす。


「プッ!マサがこけた所、カットされてる。なんだよ。放映しろよ。」


自分の番組を見ながら、一人ごとなんだかわからない事を呟く。


やばい。

あやうくときめく所だった。


トモダチなら。

トモダチなら、こんな時間をずっと共有できる。

こんなくだらない時間を笑い合える。


友達でいたい。

これ以上苦しくなりたくない。


でも自信がない。

この夢の世界を自分の世界にする自信。

このソファに馴染む自分になる自信。

そして、ケータの傍に居続ける自信。


ただの友達としての、ほんの些細なこんな時間でさえ、本当は自信がなくて逃げだしたくなる。煌びやかな存在に圧倒されて、消えてしまいたくなるのだ。


「ん?ビールもう一本飲むか?」


私のグラスが空なのに気づいて、声をかけてくれるケータ。


「いらない、酔った。眠い。」


消えてしまいたくなったから、目を瞑ることにする。こちらから見えない世界は、あちらからも見えなくなればいい。


「腹いっぱいになったら、それかよ。子供か。」


仕方ねぇなぁとため息。その声は穏やかで笑みを浮かべている様子がわかる。


「疲れてるのか?少し寝て行けよ。」

「うん。そうする。」


私はあえてケータの言う通り、ソファに身を沈めた。こうして目を瞑っていれば、もうケータを見てときめいてしまう事もない。


そう、思ったのに。


目を瞑ったら瞑ったで、脳裏に浮かんでくるのはケータの姿ばかりで、絶望的な気持ちになる。この人は私のどこまでを支配したんだろう。


こうしている時間にもきっと、アップデートは進んでいる。


ふっかふかで気持ちのいいソファの上で目を瞑っていたら、とてもいい気持ちになってきて、全然眠たくなんてなかったのに、本気の眠気が襲ってくる。

少しだけ、寝てしまおう。

お酒はそんなに好きじゃないけど、こんな時は有難い。


テレビの音がだんだんと遠ざかる。


うとうと。


ふわふわ。


気持ちがいい。


本当に寝落ちそうになった時。体がぐいと持ち上げられる。


「な!?ちょ、ケータ下ろして!!大丈夫!!」

「ベッドでちゃんと寝てけ。一時間後位に起こしてやる。」


人生初のお姫様抱っこに驚きすぎて、それ以上の言葉が出ない。半分寝ていた事もあってか、頭もまわらない。


初めて入るベッドルーム。その中央に置かれた大きなダブルベッドに寝かされる。


「ちゃんと起こしてやるから、安心して寝ろ。」


そんな言葉を残し、ベッドルームを出ていくケータ。

初めて入ったその部屋は、青で統一されたシンプルでとても落ち着く部屋だった。


大人しくコトンと枕に頭を落としてみる。


ケータのにおい。

胸がぎゅうっと痛くなる。

そこはまるで、ケータの腕の中にいるようで。


切なくて苦しくて、じわっと涙が出てくる。


何だよ。

何で涙が出てくんだよ。

苦しいよケータ。

もう限界なのかな。

こんな気持ちでお友達でいられるのかな。


優しくして欲しくない。

優しくして欲しい。


そばにいて欲しくない。

そばにいて欲しい。


ケータを好きでいたくない。

ケータを好きでいたい。


こんなに苦しくても、このケータとの時間を失いたくない。


ケータのにおいがするベッドで、初めて眠った日。


ケータとの時間に、カウントダウンが始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る