第9話

9 1メートルの距離



Sun crushという名前を冷静に眺めていた昔の自分はもういない。


サンクラの楽屋として使われる部屋の扉に『Sun crush様』という紙を貼り付けるだけでドキドキしてしまう。


…楽屋の写真撮っていいかな。

名前の写真位なら平気かな。

い、いかん。仕事しなきゃ。

仕事なら山ほどある。

屋台の確認や、メインステージの見回り、ケータリングの準備もしなくちゃ。忙しくて目がまわる。


ざわざわっとした声と共に、向こうから佐々木が駆け寄ってくる。


「おい!サンクラ来たぞ!」


こそっと耳打ちしてくれる。確かに向こうから、わやわやと人がやってくるのが見える。

あっという間にそこは人だかり。


「係りの人以外は下がれ!」


佐々木がすかさず警備に回る。

こういうとこは、さすがに男子だ。私も邪魔にならない様に後ろに下がっていよう。

でも、サンクラは見たい!前の人の頭と頭の隙間から、頑張って覗いて見る。


するとちょうどマサの横顔が見えた!!!月並みな表現でごめんなさい…。


ホンモノだ~!!!


もう少し背伸びをしてみる。マサの後ろにはヒロ、その次はショウ。そして。


ケータ。


何か月ぶりかの生ケータ。


ケータはサンクラの中で一番背が高いから、背伸びをせずとも容易に確認できた。


ケータはあたりをキョロキョロと見渡した後、私の方を見て視線を止めた。


心臓が飛び跳ねる。


ドキンドキンという鼓動が自分でわかる程、痛い位に高鳴っている。


ケータ、気づいた?

私を覚えてる?


でも、視線がぶつかったと思ったのは、ほんの一瞬で。ふいと無表情で、白い扉の向こうに吸い込まれていくケータ。


…違った、私だって気づいた訳じゃなかった。


そうだよ。

気づくはずなんてない。


だって、ケータは私がこの会社にいる事すら知らないんだから。


サンクラの楽屋の扉がパタンと閉じられると、わらわらと人ごみは消えていく。


はぁ…。

なんかもうすでに疲れてしまった。

ケータの視線があんな風に止まるから、期待してしまった。期待してしまったから、がっかりしてしまう。がっかりなんてする必要ないのに。


でも、初めて見たお仕事モードの生ケータは、今まで見たどのケータとも違った。髪の毛もきちんとセットされていたし、いかにも『芸能人』という感じだった。


「何ボケっとしてんだよ。早く見回り行け。」


佐々木が私の頭をこづく。そうだった。仕事をしなくては。


「おまえ、西側回れ。俺は東側まわるから。」


いつもなら、一言二言言い返す私が黙っていたので、佐々木は面白くなさそうに行ってしまった。


もう。

サンクラの事はちょっと忘れよう。

ケータの事を考えていると仕事にならない。


私は佐々木の指示通り、西側に向かう。西側はサンクラの楽屋がある事で、プロの警備員も多くいるため、見回りも楽なはず。


佐々木はその辺をわかっていて、私に西側を任せたのだろう。案外いい奴だな。


擦れ違う警備員さんに、お疲れ様ですと声をかけながら、見回る。不審者はいないか、不審物はないか。

今日は基本的にスタッフ以外の社員も、西側への立ち入りを禁止されている為、ほとんど人気はない。これで不審者がいたら、相当目立つはずだ。楽勝~♪と歩を進めていると、


「恩知らず。」


と、声が聞こえる。

ん?

空耳?


「おい。恩知らず。」


いや、はっきり聞こえた。空耳なんかじゃない。しかも、この声…。


私はこの声を知っている。

この数か月、何度も何度もしつこい程に聞いていた。


振り向くと、思った通りの人が立っていた。

ケータだ。


腕組みをして、なんでだか少し怒っている様子。


え?なんで怒ってるの?怖い。

そういえば恩知らずって何?


「何、あからさまに“きょとん”って顔してんだ。」


突然のケータの登場に頭は真っ白で、何をどう答えたらいいのかさっぱりわからない。


「まさかと思うけど…俺の顔忘れた?」


声は発せられなかったけど、かろうじて頭をブンブンと左右に振ることはできた。

ケータはハァ…とわざとらしいため息を吐いて、腕組みを解き、一歩一歩近づいてくる。


「…スタッフ名簿に“木下みのり”って名前を見つけてから、俺の知ってるみのりじゃないよな。あの、みのりなら連絡位よこすよな…なんて考えてた自分が情けない。」

「…すみません。」

「なんで連絡よこさない訳?前も言ったろ?元気でやってるか位、連絡よこせ。」


私との距離1m。そこでピタリと歩みを止めるケータ。


ケータだよ。

久しぶりのケータ。

胸が一杯になる。


「…優一とはもう決着ついたし、もう連絡しちゃいけないと思って…。」

「彼氏との事が終われば、友達とは連絡とれない?」

「と、と、と、と、友達??」

「もう友達みたいなもんだろ。」

「友…いや。いやいやいやいやいや。」


私はまた頭を左右にブンブン振る。


「お前、その反応は失礼だろ。」

「違う!違うんです!私ね、ケータの言う通り、あの後サンクラのCDとかDVDとか、一杯見たの!聞いたの!」

「おう。よくやった。」

「もう狂った様に見たの。」

「で、嫌いじゃなくなった?」


ケータがふっと優しい笑顔を見せる。そんな笑顔にでさえ、頬がかぁっと赤くなるのを感じる。


「き、嫌いじゃないどころか!すごく好きになったの。すごいファンになったの!サンクラの!だから、連絡なんてできなくて…。」

「でも、ファンになるより、友達になる方が先だったろ?」


そんな言葉をくれるケータがまぶしくて、胸がつまる。


「またメシ食いに来いよ。お前、うまそうに食うからな。食わせ甲斐がある。」


そう言って笑うケータの笑顔は、私の思考回路を停止させる程、破壊力のあるもので。


一回コクっとうなずくのが精いっぱい。


うなずいたまま、もうケータの顔は見れない。


もう一度見たら、魂を持って行かれる。


絶対。


「お前は連絡無精の恩知らずだからな。俺から連絡する。」


うなずいた頭にポンポンとケータの手。


「…嫌じゃないの?ファンになっちゃったのに友達するの。」


すると、じっと私を見つめた後、ニヤッと不敵に笑うケータ。


「サンクラの世界にどっぷり浸かって、ファンにならない奴なんているの?」


あぁ、もう土下座するしかない。こんな俺様なセリフが似合っちゃう人は他にいないかも。


「なんてな。ジョーク。ジョーク。」

「目が笑ってませんよ。」

「ジョークだって。」


なんて言いながら、ニヤニヤ笑うケータ。


そんなやり取りをしていると、大き目の紙袋を持った警備員が通り過ぎる。


「お疲れ様です。」

「お疲れ様です。」


挨拶を交わしてから、何か違和感。何かおかしい。何がおかしい?


この廊下を抜けると焼却炉しかないし、警備さんの控え室は東側だし…。


「みのり、どうした?」

「…なんか…今の警備さんおかしい…ちょっと追いかけてきます!」

「おい!一人で行くな!」


ケータの静止も聞かず、飛び出す私。

だって何かおかしいんだもん。もう一度、あの警備さんに声をかけてみよう。

裏口から外に出ると、ちょうど焼却炉の前に警備さんの姿があった。


「すみません!」

「はい?」


その人はメガネをかけた優しそうなお兄さんで、手に持った大きな紙袋を焼却炉に入れようとしている所だった。


「あ、その袋、ゴミが入ってるんですか?」

「あぁ、これですか?今、スタッフの人からゴミだから捨てて欲しいと頼まれまして。」

「そうだったんですか。失礼しました。」

「中、確認しますか?」

「いえ、大丈夫です。すみません。」


なんだ。勘違いか。私の第六感はあてにならない。

帰ろうとした時、私の背中にその人が声をかける。


「そんな事言わずに見て下さいよ。凄いんですよ、これ。」


その人は去りかけた私の背中に声をかけてくる。振り向くと目の前に紙袋が差し出されていた。


袋の中身は時計だった。時計に何やら線みたいなものがいっぱいくっついている。機材?故障でもしたのかな?


「これ、燃えないゴミなんじゃないですか?焼却炉には入れない方がいいですよ。」


どう見ても燃えるようなものじゃなかったから、なんの気なしにそう言うと、


「燃えない?燃えないか試してみます?」

「いや、駄目でしょ。試しちゃ。燃えないゴミは向こうの赤いゴミ箱ですよ。」

「燃えないものって、案外少ないんですよ。私、色々燃やしましたから。」


なんだか会話が噛み合わない。やっぱりこの人、何か変だ。


「色々燃えるんですよ。ガソリン撒いて、火をつけると。面白い程。」


私はユミコさんの言葉を思い出していた。


《この辺で続いてる不審火、放火の可能性が高いんだって。》


放火…。ガソリン…。


もう嫌な予感しかしない。


背中に嫌な汗がツーッと落ちる。


放火…犯?この警備さんが?


ちょっと、待って。なんなのこの展開。

怖いんですけど!


「あの、やめません?そういう事。」

「ちなみにこれね、爆弾です。昨日私作ったんですよ。時限爆弾にしたんですけどね、待ちきれないから燃やしちゃおうと思って。これね、焼却炉に入れてね、ドカンと行こうよ!花火みたいにさぁ!!」


ニヤ~っと気味悪く笑ったメガネの奥の目は狂気じみている。


そいつは足取り軽く、焼却炉に向かう。

もう言葉は出ない。

あろう事か足も動かない。

恐怖で足がすくむ体験なんて初めてだ。


「みのり?お前どこまで行ってんだよ。」


このタイミングで私を心配してついてきたケータが裏口から顔を出した。


「ケータ!来ちゃダメ!!」


私は咄嗟にケータを扉の陰に押し倒す。


あんなに動かなかった足は、ケータの為なら、反射的になんとか動いてくれた。


その瞬間。


凄まじい轟音と熱風が襲って来る。


あれ?私死んじゃうのかな?

折角、もう一度ケータに会えたのに。


感じるのは私の体を背中から取り巻く熱さと、ケータが私の腕を引く力強さ。


物凄い大きな音がしていたと思ったのに、もう何も聞こえない。


覚えているのはそこまで。


意識を失ったという感覚さえない。


私が次に目にしたのは病院の真っ白な天井だった。

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