第8話
8 ケータという人
嘘だ。
そんなはずない。
こんな偶然が、奇跡が重なるはずない。
ホワイトボードに書き出された名前を一同呆然と見つめる。
あれ程、ゆいにゃんを望んでいた佐々木はどんな顔をしているのだろう。見物なのだろうが、佐々木を笑う程の余裕が、今の私にはなかった。
Sun crush
「え?まじ?そんな大物くんの?」
「サンクラ!?嘘でしょ!」
「本当なら、みんなに言いふらしたい!」
「ちょっと、ビデオとかカメラとかの規制しなくちゃダメなんじゃないの?」
「いや、セキュリティー的に無理じゃない?」
サンクラの名前に動揺しているのは、私だけじゃない。
「毎年候補に名前だけは上がっていたサンクラが来てくれる事になりました~!!拍手~!!」
まだ、実感していないのか、拍手はまばら。
「これは凄い事なんだぞ。我が社が20周年という節目であるという事、我が社の主力商品のCMにサンクラが起用された事、今年はサンクラのスケジュールがあいていた事などが重なって実現しました~!」
みんな、段々実感してきた様で、女子社員からはきゃ~!なんて歓声まで上がっている。
思わずケータとの時間を思い出してしまう。
ほのかな汗のにおい。
優しく静かな声。
温かい料理。
真っ直ぐな眼差し。
「今年は例年以上に、セキュリティーが大変になります。もちろんプロは入れるけど、みんなも会場内外の見回りを強化して下さい!」
みんなのざわめきは収まらない。あんなにゆいにゃんを楽しみにしていた佐々木でさえ、まじかよ~なんて興奮ぎみだ。
改めて。
サンクラの人気は凄い。
ツアーのチケットだって、全然取れないってニュースになっていたっけ。そんなサンクラがお祭りに来てくれるんだ。
また、ケータに会えるんだ。
そうだ。
そういえば、サンクラのCDとかDVDとか、タクシー代のおつりで買ってはみたものの、まだ一度も見ていない。見てしまったら、またケータに会いたくなってしまいそうで、見れなかった。
また、会える。
その安心感を胸に、私は家に帰るなりサンクラのDVDをプレーヤーに突っ込んだ。
そして、見入ってしまった。
想像はできていたんだ。
かっこいいんだろうな。
凄いんだろうなって。
でも想像以上だった。
あれだけ有名なグループだから、シングル曲ならほとんど知っていたし、サビなら一緒に口ずさめた。だけど、それだけが理由で見入ってしまった訳じゃない。サンクラの力に圧倒されてしまったのだ。
テレビでおちゃらけキャラのマサは、誰よりも汗をかいて動き回っていたし、誰よりもファンのみんなに手を振っていた。
努力もせずに何でもできてしまうように見えるショウは、真摯に曲と向き合い、パフォーマンスのレベルが半端じゃない。見ているこっちまで力の入ってしまうようなパフォーマンス。
何となくやる気がなさそうに見えていたヒロは、ステージ上ではまるで別人のように生き生きしている。
そして。
いつもは大人で、どこか一歩を置いたような態度のケータは、まるで少年の様にはしゃいでいる。
この人達、サンクラが好きなんだな。ステージが好きなんだな。それが見ているこっちにまで伝わってくる。
サンクラってこんなにかっこよかったっけ?
サンクラの歌って、こんなに良かったっけ?
どうして今までこの人達の魅力に気づかなかったんだろう。それが不思議で仕方ない。
この人達がどうしてこんなに人気があるのか、十分にわかった。
わかってしまった。
それは他人の為に手を差し延べられる強さと優しさが、この人達にあるからだ。
大勢の人を一瞬で幸せにできる力、それは一種の特殊能力だと思っていたけれど、その裏には多大な努力や精神力が必要だった事だろう。
DVDを見終わっても、私はしばらく放心状態だった。
こんなに人気のある人が、私みたいに素性の知れない一般人に、あんな話をするなんて相当のリスクがあったはずだ。
でもこの人は、ただ笑って、私に頑張ったと言ってくれた。傷つかなくていいとい言ってくれた。
「ケータ」という人と、『近藤圭太』という人が初めて一致した気がする。
駄目だ。
私。
サンクラのファンになってしまった。
ケータももちろん素敵だけど、ほかのメンバーもかなり素敵だ。
それからは、狂ったようにサンクラの曲を聴いた。サンクラが出ている番組は全て録画して、サンクラが表紙の雑誌は全て買った。
そして見れば見るほど嵌ってしまう。
不意にサンクラの話をしながら幸せそうに笑っていた里美の顔が浮かんだ。今なら里美と出来る話がたくさんあるかもしれない。
…でも、もう話す事はないけれど…。
サンクラを見たら、里美と優一の事を思い出して、嫌な気持ちになるかと思ったけど、意外にも全然平気だった。むしろ、ケータを見て、ケータにときめく時間が楽しくて仕方がなかった。
そんなサンクラづけの毎日を送っていたら、あっという間に季節は過ぎていく。
夏が終わり秋がきて、そんな秋ももうすぐ終わり。そろそろコートを出そうかと迷う初冬の朝。
ついにお祭りの日がやってきた。
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