第6話

6 フワフワのチーズオムレツ



翌朝、目が覚めて昨日の事を思い出そうとしたけれど、よく思い出せない。

それは決して、飲み過ぎたせいじゃなく、あまりにも現実離れした出来事だったせいだと思う。


休日とはいえ、少し眠り過ぎてしまった。

すでに日は高く、肌を差す光はかなりの熱を帯びている。汗ばんだおでこに張り付いた髪が気持ち悪い。

シャワーでも浴びてこようか。


昨日は...本当に色んな事があった。


信じられないけど、現実なんだ。あんなに有名な人が言いづらかったろうに、自分の恋愛の話までしてくれて、私を助けようとしてくれている。


私はその声に素直に従うべきだと思っている。だって彼の言う通りだと思ったから。

不完全燃焼で終わった恋は、必ず後に残る。だとしたら、とことん納得いくまで戦ってみよう。

そして、傷ついてもいいから、納得してこの恋を終わらせよう。


...そんな決心も虚しく、相手は手強かった。


優一に連絡をとろうと何度電話しても、一度も出てもらえない。これはおそらく着信拒否されている。


玉砕しようにもできないって、もどかしすぎる!!でも一度火が付いた私はしつこいのだ。あきらめてたまるものか。


優一にとって私はもう過去の人で、振り返る必要のない存在なんだっていうことは理解している。もう一度私を見てくれるなんて思ってない。


でもこれは、私が前に進むためにやらなきゃならないことだった。


あの日から立ち止まったままの私の心に区切りをつけるために。


そしてあらゆる人脈を駆使してやっと優一に連絡が取れたのは、肌をなでる風もだいぶ冷たくなった、秋の日の事だった。


最後に一度だけ話がしたい。


共通の友人を通じて、何とかそれだけは伝えてもらった。その友人の後押しもあってか、その望みは叶えられる事になった。


ある火曜日の仕事帰り、優一の会社近くのカフェで優一を待っている。優一を待つのなんて久しぶりだ。


でも緊張感は思った程、ない。


何度こうして彼を待ったんだろう。

待っている時間も楽しかったのに。


そして、優一が現れる。


久しぶりに見た優一は少し髪が伸びた位で、あまり変わっていなかった。ただ優一の顔を見た途端、忘れかけていた胸の痛みがちくちくと頭をもたげる。


「...あんまり時間取れないんだけど。」


優一は私の顔もろくに見ずに言い放つ。

彼にも良心があるんだろう。私に悪い事をしたという思いはあるんだろう。


その表情から罪悪感が見て取れた。


「きちんとごまかさずに真実を教えてくれたなら、すぐに話は終わる。」


優一はバツが悪そうに髪をかきあげる。


「そういう言い方するって事は、もううすうす気付いてるってことでしょ。」

「それでも、優一の口から全てを聞きたい。」


覚悟はしていたつもりだけど、優一が語り出した真実は、想像以上に私の心を切り裂い

た。


「…里美のこと、好きになった。」


頭の中が真っ白になる。


優一は頭をガシガシとかきながら話を続ける。


「俺さぁ。もっと甘えて欲しかったんだよ。」

「え...??」

「お前はさ、しっかりしてるし 1人でなんでも出来るだろ?全然俺の事頼ってくれないし。」

「そんなことないよ!私は…」

「里美はさ!」


私の言葉を遮るように 優一は言葉を繋げる。


「たくさん相談にも乗ってくれて 飲みにも行ってくれて 、俺を心配して、俺の味方になってくれたんだよ。そんな里美が愛しくなった。里美はみのりより、俺の事が好きだと言ってくれたし、俺もそう思った。お前は俺の事を必要としてないんだろうなって思ってた。お前は大丈夫だろ?俺がいなくても。」


もう言葉は出てこなかった。


優一はもう 私の言葉を必要としていなかった。


結局は私が悪いって事だ。

私が優一と、それだけの絆しか築けなかったって事だ。


「もういいか?行くな。」


振り返りもせず、足早に立ち去って行く優一。


これで本当に終わったんだ。


甘えたくなくて甘えなかったんじゃない。必要じゃないから、怒らなかったんじゃない。


一生懸命、甘えたいのを我慢していたんだ。疲れているだろうから、負担になりたくなくて。


声がどんなに聞きたくたって、電話のない夜はメールを入れて、不安をかき消した。


何だったんだろう。


あの時間は、あの我慢は何だったんだろう。


大丈夫なんかじゃない。

あなたに居て欲しかったんだよ。


嫌なのに、泣きたくないのに、あふれてくる涙。


泣きたくない。

泣くもんか。


必死に涙をこらえている時、これしかないっていうタイミングで携帯が鳴る。


(久しぶり。連絡ぐらいしろよ。その後、何かあったか。大丈夫か。)


それは久しぶりの、ケータからの優しいメッセージだった。


何よこれ。


何なのこのタイミング。


スターっていう生き物はどこまでタイミングがいいの?


あたたかい言葉に、涙がこらえきれなくなる。ダメだって。今は優しい言葉が響きすぎるんだって。


なおもあたたかいメッセージは続く。


(甘えたい時は甘えろよ。時間が許す限りは付き合う。)


そのメッセージを読み終えるか終えないかで、私はほぼ無意識にケータに電話をしてい

た。


甘えるよ。

甘えてやる。

もう一人で我慢なんかしないんだ。

思いっきり泣いて、甘えてやる。


《はい。》


電話の向こうのその人の声は、耳の奥から、ジンと胸に響く。


「私、みのりです!私、今、ちゃんと話した!」


言葉を発した瞬間、下瞼に乗っかっていた涙が零れ落ちる。最近泣いてばっかりだ。


《...泣いてんのか?おい、今どこにいる?》

「会社の近く...。でも大丈夫!ケータの声聞いたら、落ち着いた!」

《とりあえず、今から言う住所にタクシー捕まえて来い。》

「!?や、大丈夫!ごめんね!」

《大丈夫じゃないから、泣いてるし、俺に電話して来たんだろ。》


ケータの声は静かで、トゲトゲしていた私の心が徐々にまぁるくなっていく。


私は素直にケータの指示に従った。素直に従ったというより、色んな事が今は考えられなかった。頭も心をぐちゃぐちゃで。


何も考えられなかったから。

この力強い言葉に従うしかなかった。


でもケータの指示した場所は、あまりに高級そうなマンションのエントランスで、そこに着いた時、私は大変な事をしようとしてるんじゃないのかと思い始める。


もしかして、ケータの部屋なのかな。


それにしても、なんじゃこりゃと言いたくなる程のマンション。マンションという呼び方より、高級ホテルを思わせるそれは、ただただ私の前にそびえ立っている。


えい!


気おされるもんか。


ケータに教えられたとおりにロックを解いて中に入る。

中はやたらに天井が高い。エレベーターで最上階に向かう。


グンと体に圧を感じる。この感じは小さい頃から苦手だ。ふわっと浮く感じがどうしようもなく不安にさせる。


大人になったって、慣れる事はない。


「いらっしゃい。」


エレベーターが開いた瞬間、ケータが出迎えてくれた。


久々の生ケータはやっぱり圧倒される程にかっこよくて。いつもテレビで見るよりもラフな感じがまた新鮮でドキドキしてしまう。部屋に通されると、まず目についたのは大きな窓。その窓から見える夜景がまた素晴らしい。


「...こんなに窓が大きくて、誰かに見られたりしないの...?」

「ここは別宅だから、ノーマーク。公式では俺は他のとこに住んでる事になってるから。」

「はぁ...色々大変そうですね...。」


そして次に気になったのは、この空腹を刺激するいい香り...。思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。


「さ、とりあえずメシ食うぞ。食欲なくても食べられそうなもん、適当に作っておいた。」


そうだ!この人料理上手なんだ。テレビで何回か見た事ある。


「腹が減ってたら、思い切り泣く事もできないだろ。」


テーブルに並べられた料理はどれも美味しそうで、あったかくて。目頭がじわっと熱くなる。


「...いただきます。」


色とりどりの野菜が綺麗に細かく刻まれたコンソメスープ。ベビーリーフのサラダにはナッツが散らしてある。見るからにフワフワであろうオムレツからは、鼻腔にそのおいしそうな香りを届ける湯気がたっている。


何、このおしゃれ感。

泣き腫らして、ボロボロの私が余計に惨めに感じる。


でも、一口食べてみたら...。


そんな思いはぶっとんだ。何、これ、超うまい!!


スープをコクンと飲み下すと体の中にツーッと温かいものが広がっていく。体の内側が浄化されていく様な、作った人の優しさを感じられる様な、全てがそんな料理だった。


「食欲ないのかと思ったら、よく食うな。」


ケータはあきれて、でも嬉しそうに笑う。


「だって...おいしくて。」

「いいよ。食えよ。俺のも食え。」

「そんなん無理ですよ。」


なんて言ったものの、最終的にはケータの分もペロリと食べてしまった。私、別に大食いじゃないのに。


特にあのフワフワのチーズオムレツ。あれはもう私のオムレツ界 ナンバー1だ。

中のトロトロになったチーズがまた濃厚で。


「あれね、俺がチーズ好きで、モッツアレラだけじゃ物足りないから、パルミジャーノも使ったんだよ。」

「うん!丁度いい!私もチーズ好きだからど好み!!」

「やっと笑ったな。」


その言葉にハッと気づく。


い、いかん。

ここへ来た本来の目的を忘れていた。なんだ、この料理!魔性の料理か!!

いかん!いかん!


でもケータの言う通り、お腹が満たされると幾分心は落ち着いた。

切り裂かれた胸はまだじくじく痛むけど、それでももう涙は出ない。

ケータの出してくれたハーブティーを少しずつ飲みながら、私は優一の話をポツリポツリと話し始めた。


ケータは途中、口を挟む事なく、最後までうんうんと聞いてくれた。


「...だから結局、誤解でもなんでもなく、彼は私の友人と付き合ってるそうです。」


自分に言い聞かせるように、私はゆっくりとそう言い放った。彼は里美と付き合っている。

でも直接的な原因は私にある。私が彼の心を留めていられなかったんだ。

ケータが何かを納得した様に、うん。と呟く。


「ごめん。辛辣な事、言うけどいい?」

「...はい?」

「別れられて良かったじゃん。」


ケータは私の目を真っ直ぐに見ながら言い放つ。


「だって何なの。そいつ。最低じゃん。よく考えてみろよ。恋人の親友に心変わりしておいて、お前のせいだって言ってんだろ?一方的に別れを告げて、謝罪もなし。ろくな男じゃねぇ!」


初めて見た。ケータがこんなにも荒々しく人の事を批判している所。


「...ほんとだ。」

「だろ?」


ケータはイライラしたように 頭を掻くと


「お前は傷つかなくていい。そんな奴のために傷つくな。」


...ひょっとして、私の為に怒ってくれてるのかな。


窓の外、橋の上。車のテールランプがキラキラと流れていく。


「お前は頑張った。」


ケータの声が春の風みたいに、心地よく私を包む。数時間前とはまるで別世界にいる様な感覚。...私は頑張ったよね。ケータが私の頭をなでてくれる。


これでようやく、私と優一は本当に終われたんだ。


これで良かった。


ケータの言う通りだ。


楽しかった思い出や胸の痛みは、窓の外のあの海の底に沈める事にしよう。


それで終わりだ。

全部、全部。


今はもう、里美を信じたいとも思ってない。

全部、終わりだ。


優一とも。


里美とも。


優一と納得いく別れ方をするまで、支えてくれたケータとも。


もう会う事はないだろう。

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