第5話
5 悲しみのオリオン
(今夜、時間ある?メシ行くか?)
そんなメッセージが届いたのは終業間際の事だった。
(もう仕事終わるので、大丈夫です。)
(七時に店予約しておく。名前は近藤で。)
添付されたお店の名前を思わず二度見してしまった。銀座の超有名店。高級店に縁のない私でも知ってる。
...お金、足りるのか...?
ここまできて、私ぼったくられる??色んな悪い事が頭をよぎる。やっぱり安易に知らない人と繋がるべきじゃなかった。今からでも断わる???
いやいや。
いやいやいやいや。
オリオンにはお世話になったし。
ちょっと位おごってあげたっていい。ぼったくられる訳じゃない。お世話になったお礼だ。お礼。夏のボーナスも出た事だし。
とりあえず五万位は持っていって、足りなければ足りないと正直に言おう。そこでもし逆上されるような事があったら、お店の人に助けてもらおう。有名店ならもめごとを嫌うはずだ。
...待てよ。
あんな高級店なら、ドレスコードとかがあるんじゃないか?こんな服じゃ駄目かも。小奇麗な服を買いに行かねば!あぁ、もう出費がかさむ。
でも、いいんだ。
密かに貯めてた優一との結婚資金。この際パァッと使ってやれ!
洋服買って、美容院にも行って、そうだ靴も買わなくちゃ♪
...あれ?何だか楽しくなってきた。
終業のチャイムとほぼ同時に
「お疲れ様でしたぁ~!」
と会社を飛び出した。
今日は残業がなくて良かった。
いつもは見るだけだった憧れのショップに行ってみよう♪美容院も、いつもはできないスぺシャルなトリートメントをしてもらおう!足取りは軽い。
結局、店員さんにあれこれ質問しながら見立ててもらったのは、大人っぽいモノトーンのワンピース。大きめアクセも一緒に買ったから、落ち着きすぎず、子供すぎず。
そして普段とは違う私で約束のお店に到着した。果たして二回とも、あの汚いパーカーの私しかみていないオリオンは、私だとわかってくれるのだろうか。
少し極端すぎたかな?
煌びやかなホールを抜け、受付で近藤の名を告げると、にこやかで上品な店員さんが
私を先導してくれる。
こんな高いお店に来たことのない私はドキドキして、ちょっと恐縮してしまう。
ホールを抜け、
客席を抜け、
どんどん奥へと通される。
個室??いや、その個室通りも抜けて、さらに奥。二重扉の向こう側。
何?なんでこんな厳重警戒の個室?
私が案内されたのは個室の中でも特別な個室らしかった。例えば政界の大物だとか、大御所芸能人とかがお忍びで使っていそうな部屋…
「こちらです。近藤様お待ちです。」
店員さんはそれだけ言うと、そそくさと立ち去る。何か違和感を感じつつ、重そうな扉に手をかける。
思ったより扉は軽くすっと開き、その部屋にいる人物を容易に確認する事ができた。
「・・・・・・・・?????!!!!」
その人物は一瞬、私を見ると何か言いかけたけど、それよりも早く私が扉を閉めてしまった。
...違う。
部屋を間違えられている。
だからこんなトコまで連れて来られたんだ。
その部屋にいた人物は、一瞬だったとはいえ見間違うはずなんてない。どちらかと言えば、今はあんまりお目にかかりたくなかった人。
サンクラのケータだ。ケータだった。
ちょっとまずいよこれ。
ケータのデート現場なんじゃないの??
私、ケータの彼女かなんかと間違えられた??
もう、頭はパニック。
とりあえず、受付の人に伝えた方がいいよね。
あぁ、こんな素敵な服着てくるんじゃなかった。だから。誰かと間違えられるんだ。
急いで受付に戻ろうとした時、ふいに腕を掴まれる。振り返るとそこには、やっぱりやっぱり間違えなくケータがいた。
「あ、いや、あの、間違われちゃったみたいで。...えと、すぐにかえりますんで。あの、誰にも言いませんし...。」
自分でも何を言っているのかわからなくなるぐらいに動揺している。
「みのり...お前みのりだろ?」
ケータが初めて口を開く。
...ん?今、みのりって言った??
「直接名前聞いてないけど、友達表示にみのりって名前が出てたから。」
きっと傍から見たら、私は史上最強に間抜けな顔をしていたんだと思う。口をぽかんと開けて。
ケータの発する言葉の全てが理解できなくて。
「とにかく入れ。」
さすがに人目を気にしてか、そう私を促すケータ。
個室に入り、いやに座り心地のいい椅子に座ると、徐々に事態が飲み込めてくる。
つまり、オリオンは近藤さんで、近藤さんはケータだったと。
おぼろげに友達表示の名前を思い出す。
そうだ。
確かに近藤圭太とあった。
でも誰が近藤圭太をサンクラのケータだと思うっての??
会ったのは2回。しかも暗闇で二回とも顔は半分隠れていた。
でも今思えば。
あの幅が広く骨ばった口元はケータだと言われればそうだったかもしれない。
うん。ケータだ。
厚めの唇。無精髭。
「見違えた。最初、みのりってわからなかった。」
その人は初めて、明るい光の下で私に笑いかける。
なんか…なんていうか…芸能人ってすごいな。
別に全然ファンでもないのに、足がガクガクする。オーラに圧倒されて緊張を隠せない。
「...こんな…高級店に行くって聞いて...。もうどうせなら結婚資金に貯めてたお金パッと使っちゃおうと思って...。いい服買って、美容院にも行っちゃいました。...。」
「彼氏とちゃんと話はしたのかよ。」
「まだ...話してません。」
「誤解かもしれないんだろ?」
「そうかもしれないけど...もういいんです。」
まだ全然オリオンがケータだったという事が整理できていない私。優一の話なんてどうでも良かった。
と、いうか、この状況が非現実的すぎて、現実の話が理解できないと言った方が正しい。
「私...知らなくて。」
「何が?」
「近藤さんが、ケータだって。」
「そうだろうね。すげーサンクラの文句言ってたからね。」
「...そ、そんなこと言いました?」
「もう二度とテレビも見ないし、音楽も聞かない。見るだけで嫌な気分になる。大っ嫌いになったと...」
「いやいやいやいや・・・それはその、本心ではなくて、あ、本心なんですけども、サンクラが悪い訳ではなくて、嫌な事を思い出すからで...。」
あぁもう、消えてしまいたい。
「わかってる。」
ふっと鼻で笑うケータ。
ちくしょう。
かっこいいな。
何だかまるで現実感がない。あの煌びやかなホールの奥の個室に、ケータと二人きり。
私はサンクラのファンではないのに、目の前のケータはとんでもなくかっこいい。
「...そんなに緊張されても。」
「するでしょ!?緊張するでしょそりゃ!」
何故だかわからないけれど、思わず逆ギレをしてしまう。でも目は合わせられない。目の端にプッと笑うケータが映る。
「今まで通り、ケータと思わなくていいよ。近藤さんで。」
「思わなくていいって言ったって...。」
「とにかくメシ、食うか」
メシと呼ぶには、あまりに上品で豪華なそれは、今まで見たこともない程美しくおいしい。
「こんなの、いつも食べてるんですか。」
「まさかだろ。初めてだよ。」
「嘘だ。」
「ほんとだって。」
なんて言いながらも、意味ありげにニヤニヤ笑っている。絶対嘘だ。くやしい。からかわれている。
「...少しは落ち着いたか?」
「...はい。」
「じゃ、お兄さんが有難い話をしてやろう。」
「はぁ...。」
「俺さ、付き合ってる女がいたんだよね。」
「いっ!?そんな話しちゃっていいんですか!?週刊誌に売られますよ!?」
「まぁ聞け。」
「はぁ...。」
「まぁ...すっげーいい女で。本当に好きだった。」
ドキンとした。その女の人の話をするケータの目は愛し気で切なくて、目が離せなくな
る。
「三年付き合ったかな。そろそろ結婚も視野に入れて付き合っていこうと思った矢先、俺のスキャンダルが出たんだよな。」
あ~。何となく覚えている。何年か前、そんなニュースを見た気がする。里美がギャーギャー騒いでたっけ。
「浮気してたんですか?」
「浮気するように見えるか?」
「見えます。」
吹きだすケータ。しばらく笑ってコホンと息を整えると
「黙って聞いてろ。」
と軽く睨む。
はい。
すみません。
「俺はこの見た目の通り、浮気なんてする男じゃないから、もちろんそのスキャンダルはガセだった。でも、俺と彼女には決定的な亀裂が走ったんだ。元々忙しくて、会う時間もまともにとってやれず、不安にさせてたからな。」
テーブルランプのゆらめく光の向こうで、ケータが自嘲気味に笑う。
「だから別れようって言われた時、俺はなんの弁解もせずに承知した。それが彼女のためだと思ったからだ。」
私は想いを馳せる。
誤解で別れた二人。
本当は想い合っているのに。
あぁ、そうか、だからこの人は私に言ったんだ。
ちゃんと話せって。
「だけど、俺はずっと後悔してる。何回でも話して誤解を解くべきだった。誤解を解いた上で、改めて俺といるか、別れるか、彼女に決めてもらえば良かったんだ。」
ケータは一気に話し終えると、フーッと長めのため息をつく。
「俺の言いたい事、わかる?」
こくこくと頷く私。
「だから話せ。彼氏とも、友達とも。納得がいくまでちゃんと。」
「・・・・・。」
ケータがなんであんなに優しくしてくれたのかわかった。私と彼女を重ねていたんだろ
う。
「でも...。私怖くて。」
「怖い?」
「真実を知るのが。だからもうそれなら、真実を知らないまま、終わりにした方が楽なんじゃないかと思って。」
ケータは押し黙る。
「真実を知ったら、めちゃくちゃになりそうで、悲しくって、つらくって。あんな想いはもう嫌なんです。」
今だって。一瞬でも油断すると飲み込まれそうになる暗闇。もうあそこには戻りたくな
い。
「どう選択して、どう生きるのかを決めるのは自分だし、みのりがそう言うなら、これ以上、俺は介入できない。」
シンと鎮まる部屋。この奥まった個室には、どの部屋の音も響いてこない。
「だけどな?みのり。お前が真実を知るために勇気を出した結果、めちゃくちゃになってしまった時には、俺が受け止めてやる。」
ケータの瞳が真っ直ぐに私を捉える。今日初めて目を合わせたかもしれない。その力強さに目をそらせない。
「ごめんな。みのりに彼女を投影してるってわかってる。でもほっとけないんだ。」
「...近藤さんは...今からでも彼女と話そうと思わないんですか?」
「彼女、結婚した。二年前にな。それから強烈に後悔してる。」
私は息を飲んだ。
「それからずっと苦しい。後悔っていう苦しみには終わりがないんだ。みのりにこんな気持ち味わって欲しくない。」
「私...もう少しだけ、考えてみます。」
ケータは今まで見た中で一番優しく笑って、私の頭をクシャっとなでる。
「頑張ってみろ。俺がついてる。」
だ、だ、だ、駄目だ!!
こんな空気漂わされたら、ホレてしまう!!
危険を感じた私は、急いで話題を変える。
「でもあの日!あの日はなんであんなトコ歩いてたんですか?だって自分のコンサートの日なのに、あんなに無防備に歩いてたらファンに見つかりません?」
「あぁ、あの日?俺、結構やるよ。あそこから俺んち近いし。メンバー乗せた車はもうとっくに会場出てたし。お前は気づいてないだろうけど、お前以外、人っ子一人いなかったしな。」
「一人で...歩いて帰ったんですか?」
「うん。あのベンチ。あそこでよく彼女と待ち合わせてた。」
私が座っていた、あのベンチで。
「違うのはわかってたよ。彼女じゃないって。似ても似つかない汚いパーカーだったし。」
「本人目の前にして汚いは余計じゃないっすか?」
「でもドキッとした。目が離せなかった。それで良く見たら泣いてるし。ますますほっとけなくなった。」
ようやく合点がいった。ずっと不思議だったんだ。どうして私なんかに声をかけてくれたのか。
「あ...お金、返します!ここのお金も払わせて下さい」
「俺が払わせると思うか?年下の子に。」
「でも、良くしてもらってばかりじゃ悪くて...。」
「じゃ、こうするか?」
いつかのやりとりと同じ様に、ケータはニヤっと笑う。
「もう一軒付き合え。終電なくなるまで。そしたらそれ、タクシー代にしろよ。」
「でもそれでも余るもん。」
「残りは俺らのCD買って聴きなさい。嫌いじゃなくなるまでな。」
ケータは笑いながら、席を立つ。
その背中に聞いてみる。
「彼女の事...まだ好きなんですか?」
「好きに見えるか?」
「見えます。」
一瞬の沈黙の後、ケータは振り向かずに答える。
「じゃ、好きなのかもな。」
そんな言葉を聞きながら、ギリシャ神話を思い出していた。
確かオリオンは恋仲だったアルテミスとの仲をよく思わなかった人に嵌られて殺されてしまうんだ。しかもアルテミスがオリオンを殺すよう仕向けて。
愛する人に殺されたオリオンはどんな気持ちだったかな。
そして彼女は。
ケータに別れを告げて、ほかの人と結婚をして、後悔はしてないのだろうか。テレビの向こうで活躍するケータを、どんな気持ちで眺めているんだろう。
悲しいオリオン。
それでもあなたはあんなにも力強く夜空で輝いてる。
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