第3話

3 返せなかったお金


フゥ~っと長めにため息をついてみる。いつの間にかこんなに綺麗な夕焼けも見慣れてしまっている。


人はまばら。


今日、ホールでは何のイベントも行われてないらしい。


あの日と同じベンチに座っている私。

あの日と同じパーカーを着て。


ここへ来るのはもう10回目...?それ以上?やっぱり簡単には再会できなさそうだ。


仕事が早めに終わった日には、必ずここに来ていた。さすがに終電は逃せないから日付が変わる前に帰っているけど。

昼はまだまだ蒸し暑いのに、この時間になると少しだけ風が冷たい。もうすぐ夏も終わるのかな。


オレンジ色の空が、だんだんと薄暗くなっていく。今日もこうして一日が終わっていく。


あの日から、こんな現実逃避を続けているだけで、一歩も前に進んでいない。でも今はそれでいいと思っている。


オリオンにお金を返せるまで。

それまでは、苦しさから逃げていたい。


うるさい位のセミの声。


もっと泣け。


もっと泣け。


うるさすぎて何も考えられなくしてくれればいい。


日が沈むにつれて、人気のなくなる公園。私だけが取り残された様な気分になる一瞬。


だめか。

今日もオリオンは現れない。

なんて奇跡の時間だったんだろう。


可哀想な私に神様がプレゼントしてくださったのかも。バースデーケーキと、こうして現実逃避ができる時間を。


そんなメルヘンな考えがよぎる。


そもそも、あれは現実だったのか。


あんな悪そうな怪しい男が、私のために話を聞いてくれたり、ケーキを買ってきてくれたり、タクシー代までくれたりするのだろうか。


私の妄想が具現化しただけかも。


日が経つにつれ、現実だったのかさえわからなくなっていく。


ポケットの中の一万円札を確認してみる。

いや、やっぱり、現実だ。


私は確かに、オリオンとケーキを食べたんだ。


すっかり暗くなってしまった公園。薄手のカーディガンじゃ少し肌寒くなってしまった。


さ、帰りますか。


ベンチから立ち上がろうとしたときの事。


「こんなトコに一人じゃ危ないって言ったろ?」


真後ろから聞こえた声に、動揺を隠せない。あんなに待っていた癖に、いざとなると声も出ない。


その声の主の気配が近づいてくる。


その人はあの日と同じように、私の隣に腰かけた。

それに従い、私も浮かせた腰を元に戻す。

声が出せない私は、思わずまじまじとオリオンを見つめてしまう。今日はキャップにサングラスをかけていた。


あの日と同じ口元。


少し幅広の骨ばった、ひげの生えた口元。


間違いなくオリオンだ。


「あ...あ、あの、これ...返そうと思って。」

「え?」

「タクシー代二万円!」


新しく封筒に入れて来た二万円を差し出す。


「いいよ。俺がタクシーで帰れって言ったんだし。」

「いやでも、話も聞いてもらって、ケーキまで頂いてしまったし...。」

「...もしかして、これ返すためだけに今日ここに来たの?」

「...はい...。」

「俺いなかったら、どうするつもりだったの?」

「また日にちを改めて来ようかと...。今までも何回か来てるし...。」

「何回か来てる?!」


オリオンがあきれたように顔をゆがめる。


「お前なぁ!こんな危険な事、何回もすんな!何のためにタクシーで帰したんだよ!」

「ごめんなさい!...でも、だって、どうしてもお礼が言いたくて...。」


あたりは静寂。


もうセミの声も聞こえない。


私とオリオンの声だけが、私の耳を支配していた。


「あの、とりあえずこれを受け取ってもらえれば、もうここに来ることはないので...。」

「・・・・。」


オリオンからの返事はない。


オリオンの後ろ3メートル。


電灯の光に集まる虫の影。


時折吹く、秋を感じさせる風。


私は、やっとオリオンに会えたんだ。


「...じゃ、こうするか?」


なかなか退かない私に業を煮やしたのか、オリオンがこう切り出した。


「今度、飯でも付き合えよ。」


サワサワと風で葉っぱのすれる音。


...これはどう答えるべきか...。

こんな怪しい男とお近づきになるべきじゃない。理性はそう判断する。

だけど。


《悪い人じゃない。》


何より、私の直感がそう叫んでいる。


「じゃあ...。わかりました。」

「何か連絡先くれれば連絡する。」


何故、私はオリオンに連絡先を教えてるんだろう。

何故、ご飯に行く事になったんだろう。


あの日から不思議がいっぱいだ。


今度オリオンに会えた時、お金を返してそれで終わるはずだった。


あの日、私の人生最悪の日。


ケーキを食べた人と、今度はご飯を食べるんだ。


返せなかったお金。


人生何が起こるかわからない。



チャララン♪と音がして、オリオンが私の友達に表示されたのは次の日の事だった。


そういえば、オリオンの名前を聞いてなかったが、そこに表示された名前によれば近藤圭太というらしい。当たり前だけど、オリオンじゃなかった。

近藤さんだった。


でもひとつだけミラクル。


近藤さんのホーム画面が星空だった。

ちょっと凄いかも。


近藤さん、すみません。


折角名前がわかった所だけど、オリオンの方が呼びやすいので心の中ではオリオンと呼ぶことにします。


...いいよね?

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