第6話

 都内の大学からいつも二時間かけて精神科に通院している。なんの思い入れもない診察での通院だとしたら、二時間もかけるのは苦痛でしかたないだろう。実際、風邪などの内科の受診は、徒歩で行ける近所のクリニックで済ませている。

 精神科の先生も、毎回私が二時間かけて通院していることを知っている。そのことがまるで先生と私の共犯のようで心地よい。そこまでして通院することを常識的な医師だったら推奨しないだろう。

 その二時間をかけ、私は診察室にいた。

「大学生活はいかがですか。」

「周りの人に話が通じません。周りの人が愚かなんです。」

 先生は黙って話を聞いている。

「私が頭の中で考えたことをそのまま言葉にしても周りの学生は理解できないので、理解できるような言葉に翻訳して話しています。その翻訳作業がとても疲れてストレスです。」

 私は早口で説明した。

「大学の先生はいかがですか。教授にも話は通じませんか。」

「大学の先生と直接話す機会はありません。」

「大学の先生が担当する相談窓口のようなものはありませんか。そういったところで話してみると良いかもしれませんね。」

「先生は私の話を聞いてくださらないのですか。」

「わたくしにも話してほしいと思っています。それと同じように、あなたに必要なのは診察以外の場所でも周りの人に頼ることです。」

「今申し上げたように、周りの人には話が通じないんです!周りの人が愚かなんです!」

「……実際にあなたの周りの人が愚かであるという可能性もあるとは思います。しかし、わたくしは、あなたが周りの人のことを愚かだと思ってしまうのはあなたの病気の症状だと思います。」

「先生はどうしているのですか。」

「どういうことですか。」

「先生にとって周りの人は皆愚かだと思うのですが、先生は周りの人とどう接しているのですか。」

「わたくしは、周りの人のことを愚かだとは思っていません。」

 先生は語気を強めていった。その目こそが私のことを愚かな者とみなしているように思えた。

「私のことを愚かだと思っていますよね。」

「あなたのことも愚かだとは思っていません。」

「では、私はどうしたら良いのですか。具体的にどうしたら良いのか教えてください。」

 先生は俯いた。俯いて考え込んで苦しんでいるようだった。私は先生が能力の限界を迎えて苦しんでいる様を見るのが好きだった。

「あなたは調子が悪いように見えます。わたくしの診察が上手くいっていないようなので、転院したらどうですか。」

 私は身の毛がよだつような感触を覚えた。先生に転院の話をされることが私はこの世で最も嫌なことのひとつだ。私は絶対に転院したくなかった。転院させるつもりなら先生に対して訴訟を起こします、と言うこともできたが、そうしなかった。

 こういうときにどうすれば良いのか、私は知っていた。

「先生、どうして転院の話になるんです。私が周りの人のことを愚かだと感じてしまうのは病気の症状だとおっしゃいましたね。そのように、私の病状について具体的に説明をしてほしいんです。」

 強い口調で訴えた。

「思ったことは言わなきゃわからないじゃないですか!」

 このように、「思ったことは言わなきゃわからない」などと、ごく常識的なことをはっきりと主張すればよいのだ。

「わかりました、申し訳ないです。」

 先生は観念したように私に謝ってきた。

 私は先生のことを言い負かしたくなんかない。でも、転院の話をされたら、そうせざるを得ない。

 

 

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