第39話

「それから」准教授は続ける。「いま示したのは、あくまでも専門的な機械で検査してわかることがあるかもしれないというだけで、その主治医が説明したことと同様に、やはりなにも発見できなかった、ということもじゅうぶんに考えられるから、それだけは承知してほしい」

「それはわかっています」湊人もそれは重々理解していた。だが、いまの状態を続けるよりも、新たな可能性にけることはできるかもしれないという希望を感じていた。

「もうひとつ」准教授は人差し指を立てる。「これだけの長く重い健忘けんぼうだ。仮に北村さん自身が抑圧よくあつされた記憶として自ら自分の記憶を封じ込めているのだとしたら、そしてそれが本当に解離性同一性障害かいりせいどういつせいしょうがいをも引き起こしているとしたら、それはもしかしたらパンドラの箱を開けるようなことなのかもしれない」

湊人は准教授が言った意味が理解できなかった。

「それは、どういうことでしょうか」

「失われた記憶が、それほどまでに強い意志で封じ込めている記憶だとするなら、彼女がそれを思い出すことで、彼女が自身の精神を保てないくらいのなにか事情や感情があるのかもしれない、ということさ」

「それはいったい…」

「さあ、それはぼくにもわからない。ただ、こいつは単なる交通事故による解離性健忘なんかじゃないということだ」

湊人は准教授の言葉を反芻はんすうしたが、やはりわからなかった。

交通事故による解離性健忘でなければ、いったいなんだというのか。

湊人にはそれがなにかは皆目見当もつかなかった。だが、珠月の記憶喪失の裏には、湊人の知りえないなにか大きな黒い影がうず巻いているように思われた。


「それで」珠月は湊人を見返す。「わたしにはもっと大きな病院で検査が必要ってこと?」

先日、准教授からきいた話をもとに、珠月の両親へさらに専門的な脳波の検査ができる病院で珠月を検査してはどうかと提案し、両親は珠月の記憶が戻る可能性があるのならと了解した。また、それについて多額たがくの費用がかかる可能性もあったが、珠月のことをいちばんに考え、金に糸目はつけないということだった。

だが、珠月にその話をすると、珠月は難色なんしょくを示した。

珠月はこれまで幾度となくいろいろな検査を行ってきたのだ、無理もないと思った。湊人自身、大きな機械で検査を行った経験はないが、CTスキャンのようにデカい筒のようなものに全身を通して身体の隅々までのぞき見られるようなことは、湊人も考えるだけであまり受けたくはないなと思った。

ましてや、記憶がないことを除けば珠月の身体は健康そのものだ。無理に検査ばかり受けろというのはこくというものだ。

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