第20話

解離性健忘かいりせいけんぼう解離性同一性障害かいりせいどういつせいしょうがい


准教授は先ほど言ったそのふたつの単語をホワイトボードへ書き、湊人へ説明を行った。

講義ではまだ習っていない内容だったので、湊人は頭をフル回転させて准教授の話す内容を理解しようと努めた。

「例えば、あまりにショックな出来事が目の前で起こったときに、眩暈めまいで気を失ったりすることがあるだろう。これがいわゆる『解離』という現象げんしょうだ。だが、この解離の際、その人の精神的苦痛せいしんてきくつうがあまりにも大きく、その人の心の許容量きょようりょうを超えたときに、記憶喪失という形でその苦痛くつうを切り離して自身を守ろうとする。これが解離性健忘だよ」

「はあ…、なるほど」

湊人は自然とノートにペンを走らせ、准教授の言ったことをメモし始めた。講義のときさえ、こんなに真剣にメモしたことがあっただろうかと思った。

「人間の防衛本能ぼうえいほんのうが成せるわざだね。だから、解離は防衛的適応ぼうえいてきてきおうとも呼ばれている。でもこの防衛的適応も長く続くと、やがて反作用はんさよう後遺症こういしょうともなってしまう。そのなかでももっとも重い症状が、この解離性同一性障害だ。切り離した感情や記憶が独自に成長を遂げ、別の人格として現れることを指す」

湊人はさらに准教授の説明をメモした。

「…じゃあ、北村さんはいま、この解離性同一性障害の状態にある、ということでしょうか」

「いいや、それは断定だんていはできない」准教授は首を振る。「先ほど言ったように、解離性同一性障害は解離による障害、いわゆる解離性障害の中でももっとも重い障害だ。ただ交通事故に遭ったという、外傷性の要因で引き起こされるような簡単な障害ではない。解離性障害の要因は心因性のものがほとんどで、いじめや虐待ぎゃくたい殺傷事件さっしょうじけんや交通事故などを間近まぢか目撃もくげきしたときのトラウマなどが挙げられる」

「それなら、いちばん最後のが当てはまりそうですね。北村さん自身が交通事故に遭ったときに、強いストレスを感じて、それが今回の記憶喪失に繋がった。そしてそのストレスの強さから、別の人格を作り出してしまった」

「うん、なかなかいい解釈だね。ただ、この解離性同一性障害は、さっきも言ったように、そんなに簡単に引き起こされるものじゃないんだ。それに、北村さん自身の外傷はかなり軽度なものだったと言ったね。それなら、北村さん自身が死を覚悟するくらいの大事故に遭うくらいでないと、解離性同一性障害を引き起こすまでのストレスというのは考えにくいな」

准教授はそこまで言って、あごに手を当てて考え込む。

珠月が准教授のいう、解離性同一性障害というのでないのであれば、いまの珠月はいったいどの状態になるのだろうか。

ただの記憶喪失だとするなら、あの珠月の様子はどうやって説明ができるのか。

「神林くん、ひとつ訊いてもいいかな」

「あ、はい」

突然話しかけられ、湊人は顔を上げた。准教授は眉間みけんしわを寄せ、なにやら難しい顔をしていた。そして、湊人へこう質問した。

「北村さんの記憶喪失の原因は、本当に交通事故が原因なのだろうか?」

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