第12話

その後しばらくして、珠月の両親が病室に戻ってきた。

「じゃあ、おれはそろそろ」

湊人はふたりが戻ったので、腰を上げた。

「北村さん、お大事にね」

病室をあとにする際、湊人は珠月へ声をかけた。

「うん、またね」

珠月はそう言うと、湊人へひらひらと手を振った。


病室を出ると、先ほどの珠月との会話を思い返しながら病院の廊下を歩いた。

記憶を無くした珠月は、まるで少女だった頃へ戻ったように、無邪気むじゃきに自分自身の過去のことを知りたがった。記憶を失う前の大学での珠月を知る湊人としては、多少の違和感いわかんがあった。だが、記憶があっても無くても、やはり湊人が好きな珠月には違いなかった。

湊人は病院の廊下を歩きながら、顔がにやけそうになるのを必死でこらえていた。


それから数日後、湊人はやはり珠月の病室を訪れていた。

珠月は目覚めたすぐのときと比べ、ずいぶんと顔色も良くなり、記憶がないこと以外は常人じょうじんのそれとほとんど変わりがない。

だが、やはりこの数日の間に珠月が以前の記憶を取り戻すことはなかった。

珠月の話によれば、この数日の間にいくつかの精密せいみつな検査を受けさせられたということだった。検査の結果はまだ出ていないが、医師にも珠月の記憶喪失の原因が特定できないでいるようだった。

「そっか、検査ばっかで大変だったね」

「うん。なんか大げさな機械を使った検査がいっぱいで、ちょっとこわかった」

珠月はそういって身をすくめた。

「体のほうはなんともないの?」

「全然へいき」

珠月から話を聞いたところ、身体はじゅうぶん元気なため、来週には個室から複数人ふくすうにんの部屋へ病室を移る予定ということだ。湊人自身、たしかにいまの珠月なら退院しても問題がないように感じられるくらい、珠月は健康そのものだ。

このまま検査結果が良ければ、退院して大学復帰ということになるのだろうか。

だが、そこで湊人はひとつの疑問ぎもんが浮かんだ。

仮にこのまま珠月が退院し、大学復帰したのならば、当然、珠月は記憶を取り戻さないまま授業を受けることになる。そうなると、記憶が戻ったとき、珠月の頭の中はどういうことになるのか。以前の記憶と、この記憶喪失している期間の記憶とが混同こんどうしてしまうのではないか。それはそれで記憶が戻ったときの珠月は混乱こんらんしてしまうような気がした。自分の知らない自分が、珠月という脳と体を動かしていたことになるのだ。それは例えるなら、お酒を飲んで記憶を無くし、突如とつじょその記憶がよみがえったときのような気分だと湊人は想像した。

湊人は、そのときにはそれ以上深くそのことを考えることはしなかった。のちに、湊人はそれによって大きな選択を迫られることになるとは、このとき知るよしもなかった。

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