− 記憶 −

 ユーリはありふれた庶民の家に生まれた。


「あたし、おおきくなったら『たんしゃくしゃ』になるの!」

「ははは!そうか、じゃあたくさん食べてたくさんお手伝いして、強くならないとな!」

「うん!がんばる!」


 父親の大きな手が、ユーリの頭を優しく撫でた。


 純粋で真っ直ぐな少女は父親に言われた通り、毎日山盛りのご飯を食べ、小さな体で鍬を振り回して、懸命に家業を手伝った。

 その一方で『探索者になる』という夢に向けて、ダンジョンの勉強をしたり、男の子たちに混じって戦闘ごっこをしたりもした。


 そうした日々を過ごして数年。

 彼女に大きなチャンスがやってきた。


 ユーリの暮らす小さな町に、国一番の剣士と名高いレイモンド・ノーゼアンがやってきたのだ。

 その噂を耳にした瞬間、ユーリは鍬を投げ捨て、誰よりも早くその剣士の元を訪れた。


「レイモンド師匠!私を弟子にしてください!!」

「いやいや、待て待てお嬢ちゃん」

「私、探索者になりたいんです!強くなりたいんです!弟子にしてください!!!お願いします!!!!!」

「落ち着け、落ち着いてくれ!頼むから!」


 そんなやりとりはレイモンドが町にいる間、毎日繰り返された。

 結局、ユーリの執念深さに折れ、レイモンドは彼女を弟子として迎えることにした。


 レイモンドとしては、それはほんの気まぐれに過ぎなかった。

 ユーリの両親からはそれなりの教育費をもらったし、ただ強者と戦うだけの毎日にも少し飽きていた。

 それに、どうせすぐに根をあげて帰るだろうと考えていたのだ。ところが、


「ぐっ!」


 ユーリの細い体が吹き飛び、地面を転がった。しかし、彼女は口に入った砂を吐き出すと、すぐに立ち上がったのである。

 不屈の炎を宿した瞳が、自分を睨み付けてきた。

 

 ユーリは弱い。

 まだまだ子供だし、筋力もない。その体は女子の中でも小さい方だろう。

 しかし、彼女は折れることなく挑み続ける。

 その姿を見たレイモンドに、今まで感じたことのない感情が湧き上がった。


 自分は、どこまでユーリを強くできるだろうか。


「ガッハッハッ!軽い軽い!」


 笑いながら、レイモンドの胸にも期待と好奇心の炎が灯った。


 *


「お前もついに十五か、十五歳かぁ」

「はい」


 返事をするユーリは出会った頃よりも背が伸び、体つきもかなり女性らしくなっていた。

 そんな姿を見て、目を細めるレイモンド。


「お前のおかげでノーゼアン流剣術にも、新しい型が生まれた。感謝だ、俺はお前に感謝しているよ」

「そんな、とんでもない。全てはレイ師匠の力ですよ」

「俺が教えたのは基礎だけだ。動物を観察して真似するのも、集中力を鍛えるためにわざと感覚を封じるのも、全部全部お前のアイデアだろう?」

「でも、それを形にしてくれたのはレイ師匠です!」


 かわいい弟子に持ち上げられるのは、悪い気分ではなかった。

 ユーリは何人か増やした弟子の中でも特に観察力に優れ、飲み込みも早い。なにより、狂気にも近い根気強さが彼女を強くした。


 細身の彼女でも戦えるよう生み出された剣術は、彼女が使うことによって磨かれ、洗練されていった。

 より鋭く、より早く、より正確に。

 ユーリの剣の腕は、やがてそこらへんの男では敵わないほどの強さになっていた。

 弟子の成長に胸を熱く焦がしながら、レイモンドは告げる。


「ああ、ありがとう、ありがとよ。お前は晴れて一人前の剣士だ」

「!」

「強くなったな。さあ、行くぞ。探索だ、ダンジョンに探索に行こうじゃないか」

「……っはい!」


 *


「これで何度目だ?何度目の挑戦だろうなぁ」

「そんなの数えてませんよ」


 師弟は横並びになり、目の前の大扉を見上げた。

 レイモンドの手には大剣が握られ、ユーリの手には『SARAH』と刻まれた短剣が輝いている。

 何度もダンジョンへ挑むうちに、ユーリは偶然『SARAH』と刻まれた短剣を手にし、めきめきと強くなっていった。

 そして十七歳になった今、ついに前人未踏と言われる『深層』の目前まで来ていた。


「みんな、準備はいい?」


 ユーリが振り返り微笑む。

 共に苦労と喜びを分かち合ってきた仲間たちが、力強く笑顔を返した。


 この大扉を超え『下層の主』に勝ち、誰も見たことのない『深層』へ。

 レイモンドはさらなる強敵を求めて。

 魔術師は見知らぬ神秘を求めて。

 聖騎士は国の安泰と平和を求めて。

 弓使いは絢爛たる財宝を求めて。

 そして、ユーリは『サラ』を求めて。

 それぞれがダンジョンへ臨む意志を燃やし、大いなる挑戦が始まる。


 大扉に触れるユーリの手が震えているのを目ざとく見つけたレイモンドが、フッと笑った。


「どうしたどうした。今さら怖いか?」

「いえ。レイ師匠もいますし、怖くなんか……」

「本当に?」

「……本当は怖いです、少しだけ」


 小さく「すみません」と呟き、ユーリは扉を押す手に力を込めた。

 ゆっくり開く未知の領域に向かって、レイモンドは明るく言い放つ。



「大丈夫だ。最強と呼ばれた俺の言うことを信じろ。信じるんだ。いいな?」



 しかし、ついにユーリが『深層』に入ることはなかった。


 扉が開ききった瞬間、仲間も、師匠も、そしてユーリも。

 みんな『下層の主』に頭を喰い千切られて死んだのだった。

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