第8話 浄化
あのゴブリンの襲撃はなんだったのだろうか。
疑問はさておき、その後は魔物に出会うこともなく、三人は複雑な道を進み続けた。
無数の分かれ道を、迷いなく、スイスイ泳ぐようにユーリは先導する。
「……というわけで、私は試練として魔物を百体浄化しなくてはならないのです」
「ははあ、なるほどね」
歩きながら事情を説明するシエラ。
話を聞いたアレックスは頷き、大仰な仕草でシエラを讃えた。
「そんな厳しい試練を一人で、その小さな手で乗り越えてきたとは!君はなんて強い人なんだ!」
「いやいやそんな……えへへ」
「そこまでして聖女を目指すとは……きっと崇高なる理由があるんだろう?小さい頃に聖女に救われて憧れたとか?」
「あ〜、まあ、そうだね……」
シエラが目を泳がせる。
先頭を歩いていたユーリは、チラリとシエラの様子を伺った。
誤魔化すような笑みを浮かべる彼女を見て、かつての自分もこう見えていたのだろうと察する。ここまであからさまに誤魔化してはなかったが、確かにこれでは不信に思われても仕方ない。
少し悩んだ後、ユーリは口を挟むことにした。
「……俺は、『サラ』に会いたいからダンジョンに潜っている」
「え?」
「急にどうしたんだい?」
二人の目線を受け止め、ユーリは真摯な姿勢で向き合った。
「『サラ』がどんな姿で、俺とどんな関係で、どうして彼女に会いたいのか。それは一切わからない。でも彼女に会いたいという抑えきれない衝動がある。だからダンジョンに潜って『サラ』を探している」
「あまりよくわからないけれど……、なるほど。つまりユーリの目的は『愛』の探索ということなんだね」
「愛……。まあ、広い意味ではそうかもしれないけどさ」
照れくさいのを誤魔化すように肩をすくめ、アレックスに目線を配る。
「アレックス、お前は?」
「君のような美しい目的の後で申し訳ないが、私は単に名誉のためだよ。中層のボスと言われているドラゴンを退治するのが一番の目的さ!」
「名誉も立派な目的だろ。貴族なら尚更な。俺と比べる必要はねーよ」
「ふむ、それもそうだね。志に優劣など無かったか」
アレックスはうんうんと首を縦に振り、シエラの方を向いた。
見つめられたシエラがわかりやすく狼狽える。
「あ、わ、私は……」
「あ、いや、悪い。無理に言わせるつもりはなかったんだけど……というかそんなに言いづらい事なのか?」
「言いづらいっていうか……ドン引きされたら嫌だなーって」
「見ず知らずの女性を追いかけてダンジョンに飛び込むユーリより、引くことがあると思うかい?」
「アレックスお前、言い方」
ユーリが小突くと、アレックスはカラカラと笑った。その様子を見て、シエラは顔の緊張を緩める。
「まあ、そうだね。私だけ言わないのもズルいか」
ギュッと祈るように組まれた手。
数回の深呼吸を挟み、シエラはゆっくり語り出した。
「私、逃げたいの。家族から逃げたくて、だから聖女になりたいの」
「家族?」
「実は私の家は……待って!」
突然、目を閉じ集中し始めるシエラ。眉間にしわを寄せ、魔力の余波が彼女の服を微かに揺らした。
雰囲気が急変したことにユーリとアレックスは目を丸くする。
「どうした?」
「近くになにかいる!」
目を開いたシエラは、進行方向とは逆側を睨みつける。
「さっきのゴブリンの件で反省して、ずっと
「……今どれくらいの距離にいる?」
「だいたい八メートル」
ユーリは短剣を構え、アレックスが剣を抜く。
二人でシエラを庇うようにして警戒しながら、魔物の来る方向へ意識を集中させた。
「あと三メート……ル……」
ウゾウゾとワサワサと、不気味な音が下から這い上がる。
暗がりから現れたソレを見た瞬間、シエラが鼓膜を突き破りそうなほどの絶叫を上げた。
「うぎゃーーーーーーーーーーっ!」
あまりの音量に、耳の奥からキーンと異音が鳴る。それに耐えつつ、ユーリは目の前の魔物を睨みつけた。
現れたのは巨大な
ユーリと変わらないほど大きな
要するにめちゃくちゃ気持ち悪かった。
ダンジョンに慣れているユーリですら、その姿を醜いと思うし、できれば触りたくないと思う。こんな魔物に大切なサラの短剣は使いたくない。
隣を見てみれば、アレックスは薄目でなるべく見ないようにしているし、シエラに至っては完全にユーリの後ろに隠れてしまっていた。
「シエラ、ほら、魔物だぞ。浄化のチャンスだチャンス」
「無理無理無理無理ぃ!」
「大丈夫だって。キモいけど動きは遅いし」
「そそそそそうだよシエラ!あああんなヤツは君の浄化の力でたたたっ、たっ、倒してしまおう!」
「剣先震えてるぞアレックス」
「武者震いというヤツさ!!」
ユーリから呆れのため息が漏れた。
シエラはともかくアレックスまでこうだとは。この少年が仲間で大丈夫なのだろうか。
しかし、これからも一緒に潜る以上、こんな雑魚ごときでギャーギャー喚いている場合ではない。
魔物といっても
やれやれと首を振り、ユーリはシエラに問いかけた。
「なあ、このままだといつまでたっても試練は終わらないぞ?」
「わかってる!でも虫はイヤ〜〜〜っ!」
「泣くほど嫌なのかよ……それならここから浄化したら?」
「ある程度ダメージ与えないと効かないし、かける相手がどこにいるか見てないと狙えないんだもん……でもアレは見たくないんだもん!」
「ある程度って?」
「動けなくなって虫の息になるくらい……」
「もともと虫だけどな」
そう言うとユーリは
近くで見ればより一層気持ち悪い。
鳥肌が立つのを感じながら、ユーリは片足を上げ、半身を捻り、そして思い切り足を踏み下ろした。
ぶぢゅっ
回転を加えた踏み付けが真ん中に命中する。不愉快な悲鳴と共に、
ぶぢゅっ
ブーツに粘液が纏わりつき、嫌な臭いが立ち昇る。しかしユーリは少し眉を顰めただけで、続け様に魔物の体目掛け何度も足を踏み下ろした。
ぶぢゅっ ぶぢゅっ ぶぢゅっ ぶぢゅっ ぶぢゅっ
七〜八回ほど蹴ったところで、
そう判断しユーリがシエラたちの方を向くと、二人はドン引きした様子でこちらを見ていた。信じられないといった様子で首を振るアレックスに対し、ユーリは少しだけ腹を立てる。
なんだその目つきは。前衛のお前がビビっているから代わりに虫退治したんだぞ。
フンッと鼻を鳴らして気持ちを切り替え、ユーリはシエラへ呼びかけた。
「シエラ、そこからでいいから、俺に向かって浄化しろ」
「え?」
「虫は嫌でも、俺の顔なら見れるだろ!ほら、俺狙って浄化かけろって」
「わ、わかった……!」
シエラが両手を組み、ユーリに目を向ける。
虫に怯えていた目は、瞬きした瞬間に真剣なものへと変わった。
「……水鏡の女神よ、万物を映し出す者よ。枯れ果てた心に、再生の雫を満たしたまえ。彼の者の魂を洗い清め、新たな生を授けたまえ」
ユーリの足元、そして
あれ?と、ユーリは少し焦った。
かつて『
しかしそう考えている間にも光はますます強まり、人体には無害なはずなのに、なぜかユーリまで息苦しくなってきた。
だが、今下手に動いて浄化の邪魔をしてしまったら元も子もない。
溺れそうな感覚に耐えながら、ユーリは静かに、祈りを捧げる姿を見守った。
神威が最高潮に高まり、シエラが叫ぶ。
「
ゴッと、風が吹き抜けた。
体内に洪水が流れたかのような衝動が走る。
「いっ………てぇ!?」
あまりの衝撃に体の力が抜け、全身が細かくピリピリと痺れた。ユーリは思わず地面に尻餅をつく。
一方、背後にいたはずの
ほんの数刻沈黙が流れ、そして歓喜の声が響き渡る。
「や、やった……やったー!!」
頬を赤らめ、興奮した様子でシエラが跳びはねた。
「できた!浄化成功したよっ!」
「素晴らしい!完璧な浄化だったよシエラ!」
誰のおかげだ、という言葉を飲み込んで、ユーリは無邪気に喜ぶ少女を見つめた。せっかくの成功体験を邪魔するほど、無粋ではないつもりだ。
痺れの抜けきらない体を持ち上げ、シエラに近づく。
「よかったな、シエラ」
「ありがとう、ユーリ!」
振り向く屈託のない笑顔は、どこかで見たことがあるような気がして、ドキッとした。
*
シエラの初陣を祝い少し休憩しながら、話はシエラが聖女を目指す理由になった。
「私、マラカイト帝国出身なの」
「ああ、隣の国の」
「そう。で、うちの家は昔から『魔王崇拝教』なの」
その言葉に全員が固まり、一瞬にして空気が冷え込む。
「『魔王崇拝教』だって!?それは、それは本当なのかい!?」
アレックスが弾かれたように身を乗り出した。
目を合わせることなく、ただ無言で頷くシエラ。彼女の長いまつ毛が、僅かに震え動いた。
『魔王崇拝教』
それは文字通り魔王を崇拝し、魔王の力で新たな秩序を築こうとする宗教を指す言葉である。
この世界にダンジョンが出現したのとほぼ同時期、魔物を産み出す存在=魔王が現れたという噂が流れた。噂はやがて絶望を抱いた人々を集め、魔王という噂上の存在は、偶像として形造られ、そして宗教と相成った。
それだけならば、ただの虚無主義集団として放置されていただろう。しかし、そんなことを絶望の集団は許さない。
魔王崇拝者たちは、敬愛する魔王へ忠誠の証として、悪事を捧げ、生け贄を捧げ、呪いを捧げたのである。
確かに魔王がいないとは言い切れないが、魔王を崇拝とは頭が痛い。
ユーリは不気味に思うと同時に呆れた。そして、どこかで耳にした、狂信者たちの忌まわしい風習を思い出す。
「噂で聞いたことある。魔王崇拝者は産まれてくる子供を生け贄に捧げるって……」
「私もだ。なんでも身内同士で子供を作るとか、伝統的な呪いの儀式があるとか……。それは本当なのかい?」
アレックスの問いかけに、シエラはコクンと人形のように頷いた。以前見せた無感情さを再び纏い、淡々と話しは続く。
「私の姉は十歳の時に生け贄になったらしいし、お母さんは祖母と祖母の弟から産まれたらしいし、魔物は食べてたし。家族みんな狂ってるの」
「魔物を……!?」
「信じられないでしょ?でも本当なの」
口を押さえたアレックスの顔が真っ青に染まった。
魔物を食べるということは、生ゴミを食べるよりも悍ましく、人を食べるのと同じくらい恐ろしい行為とされている。
「それに私の兄は……いや、なんでもない」
シエラが何かを言いかけて言い淀む。
一瞬見えた嫌悪の感情は、ため息と共に吐き出された。
「とにかく、そんな家なのに『浄化』のスキルを持って生まれちゃったから、私は家族から嫌われたの」
ギュッと爪を立てるように、自身の手首を掴んでいるシエラ。顔に感情を出さなくても、体はしっかり怯えていた。
「『浄化』のスキルってわかったとき、家族は私を生け贄にしようとした。もし教会からの通知がなければ、たぶん死んでた」
ギチギチギチ。
震えるほど力が込められ、爪が食い込み、手首が赤く変色する。
見かねたユーリがシエラの手を掴むと、彼女はハッとした表情を見せた。
剥がされた手の下から、痛々しい爪痕が浮かび上がる。シエラはその爪痕を見つめ、ユーリの顔を見つめ、また爪痕を見つめると、誤魔化すように下手くそな笑顔を浮かべて見せた。
「……シエラ」
「あはは……。それでね、教会の神父様に言われたんだ。『家族が今でも私を探している』って」
「どうして?」
「わかんない。でも、神父様の『透視』のスキルに間違いはないから。とにかく私は家族から逃げ切らなきゃいけないの。あんな人たち、もう会いたくもないし」
小さくため息を吐き、シエラが手首に
淡い光に包まれて、たちまち白く瑞々しい肌が蘇った。
「きっと私は『浄化』を持って産まれたから、魔王崇拝教なんかに染まらなくて済んだんだと思う。きっとこれは、神様からのプレゼントなんだ。だって聖女になれば教会が保護してくれるもん。護衛もつくし、住む場所もくれる」
ゆっくり花が咲くように、シエラに表情が戻ってきた。
影を背負いながらも眩しく、無邪気ながらも芯がある、美しい表情。
暗いダンジョンに、彼女の明るい声が響く。
「だから私は必ず聖女になって、この国で保護してもらうの!」
ユーリとアレックスは目を合わせる。
ややバツの悪そうな顔をしていたアレックスが「よしっ」と気合を入れ、勢いよく立ち上がった。
「あと九十九体……、私たちならあっという間さ!シエラは大船に乗ったつもりで任せるといい!」
「そうだな。気合い入れて討伐しないと」
ユーリたちの言葉にシエラは、可愛らしく、いたずらっぽく「にひっ」と笑って見せた。
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