第9話 願望
ダンジョンは階層ごとに質が変わる。
道がゴツゴツとした岩から柔らかな土へ変化してきたということは、階層を一段降りたということだ。
先ほど戦った
「そういえばさ」
「ん?」
「さっき
シエラが不思議そうにまばたきする。
「え、なんでなんで?浄化って人には無害じゃないの?」
「だよな、普通はそうだよな。お前のあれ本当に浄化だった?」
「失礼な!正真正銘ちゃんとした浄化ですーっ!」
「ふむ……ひょっとしてそれは『魔法』と『スキル』の違いが原因ではないかな?」
会話に入ってきたアレックスが、身振り手振りを交えて持論を展開し始めた。
「『魔法』は訓練さえすれば誰でも同じ結果を出せるだろう?
「みんなが同じことをできるようになるのが『魔法』だね。だから魔法の学校もあるわけだし」
「その通り!一方で『スキル』はと言うと、実に個人差が大きい。例えば『空間』スキルなら無限に空間を広げられたり、同時に複数の空間を作れたり、または攻撃に使えたりもする。『火炎』のスキルであれば、もちろん
「『スキル』はその人次第で変化するってことだよな。……いやそれくらいは知ってるし。つまり何が言いたいんだよ?」
今さら常識を説明され、ユーリは困惑する。魔法とスキルの違いなんて、十歳児だって知っていることだ。
「つまり私が言いたいのは、シエラのは『浄化魔法』ではなくて『スキルとしての浄化』だったから、普通の人よりも威力が高かった。だからちょっと痛かったのではないか……ってね!」
渾身のウインクを決め、アレックスはそう結論づけた。
話の内容の正当性よりも、その堂々たる言動にユーリは感心させられる。
「あー、まあ、ありそうっちゃありそうな仮説だわ」
「すごい!アレックス、頭いいんだね!」
「なに、貴族たるものこれくらいの知性はなくては!そうでなければ領地の管理などできないだろう?」
その言葉を聞いて、ユーリは「どこぞの
まだアレックスのことはあまりわからないが、少なくともただ踏ん反り返っているだけの貴族とは、根本的に人としての格が違う。マイペースではあるものの、時に空気を読んだ発言をするなど、細やかな面もある。
そんな好印象のアレックスだったが、あることを聞いていないことに気がついた。
「そういえば、アレックスのスキルってなんだ?」
「私のスキルかい?ふむ……」
アレックスはキョロキョロと辺りを見回すと、その視線をある一点で止めニヤリとした。
なんの変哲も無い壁に近寄り、やや低め、腰の辺りを指差す。
「なるほど……。私の直感では、ここになんか良いモノが埋まっている!」
「なんだよ急に。て言うかなんか良いモノってなんだよ」
「それは私にもわからない!とりあえず掘ってみてくれ!」
堂々とドヤ顔で返され、返答に困ったユーリは黙って言うことを聞くことにした。短剣を取り出し、なんでも無いただの土壁を掘ってみる。
拳一つ分ほど掘り進めたところで、何かがポロっと転がり出てきた。
「なにこれ……宝石?」
シエラの手が慎重に、赤紫色の宝石を摘まみ上げた。
幾重にも層が重なって形作られたその宝石は、ゴツゴツとした表面の奥に、鈍い銀色の核がうっすら見える。そして顔を近づけた瞬間、強烈なバラの香りが鼻に刺さった。
その臭いを嗅いだ瞬間、唐突にユーリの頭が痛み、古い記憶が蘇る———
記憶の中で、当時の仲間である博識な男が、宝石片手に微笑みかける。
「いいかい、ユーリ、この宝石はね……」
———これは、
「……『ロザフェルム』か!?」
「ロザ……なに?」
「ロザフェルム。金貨百枚相当の価値がある宝石だ。だけど、どんな条件で作られて、どうしてバラの匂いがするのか。その仕組み解明されていない。……ていうかかなり貴重だし全然見つからないはずなのに!ダンジョンに百回潜っても見つからないって言われてるのに!なんでこんな浅い所に!?」
「ほほう、これがあのロザフェルムなのか!流石の私も初めて見たよ!」
興味深げに覗き込むアレックスを、ユーリは信じられないものを見るかのような目で見つめる。
アレックスは言った。
「これが、私のスキル『直感』さ!」
*
見つけたロザフェルムは、ひとまず発見者のアレックスの懐にしまわれることになった。
一攫千金、これぞダンジョンの醍醐味。
思わぬお宝の発見に、三人の足取りが軽くなる。湿った土の匂いを嗅ぎながら三人は「金貨百枚でなにをしたいか」と心踊る話を繰り広げた。
「私はおうちが欲しいな〜。庭いっぱいにお花と薬草を植えて、広い台所も欲しいなぁ」
「私は本を買い占めたい!剣の修行でなかなか時間が取れなかったから、読みたかった本が山ほどあるんだ!」
「俺だったら……まあ、飯だな。腹がはち切れそうなほど美味いもん食いたい」
しかしアレックス曰く、今回はたまたまいいタイミングで発動したものの『直感』は任意で使えるわけではないらしい。だからあまりアテにしないでほしいと本人は語った。
「それでも今日みたいなことも起きるし、困ったとき、悩んだときに、より良い選択を示してくれるから助かるんだけどね。例えばパーティを解雇された後、誰と組むべきか悩んだときとか!」
「ああ……それであんな強引だったのか」
「まあ、ちょうど前衛は探してたし……そっか、私たち『直感』のお陰で出会えたんだねぇ」
直感の恩恵を実感したところで、三人は食事を取ることにした。
*
探索者の生活は概ね規則正しい。
朝か夜かもわからないダンジョンの中でも、正常な体内時計を保ち、地上とのギャップを減らすためである。
それなら時計を持ち歩けば良いのではないかという意見もあるだろう。
しかし、部品の細かさや構造の複雑さからあまり多く普及しておらず、一部の貴族や金持ちのみ所持しているのが実状だ。
よって、三人は己の腹時計に従って昼時だと判断し、腰を下ろしたのであった。
やや開けた空間で、土壁に背中を預けて座り込む。
そしてユーリは静かにほくそ笑んだ。
概ね、計画通りだと。
ユーリには、サラに会いたいという願いの他に、小さく密かな願いがあった。
そしてそのためには、この空間にたどり着く必要があった。
前世の記憶をフル動員し、会話や休憩で微調整しながら、上手いこと長時間ここに留まる状況を誘導したのである。
固いパンと干し肉に食らいつきながら、ユーリは辺りに目を光らせる。
視界に入るのは、美味しそうにパンを頬張るシエラと、干し肉に悪戦苦闘するアレックス。周囲にも特に変化は見当たらない。
若干の不安も抱きつつ、その瞬間が来るのを今か今かと待っていた。
そして、
「あっ!かわいい〜!」
ついに現れた。
ユーリはシエラの指差す方向に全力で振り向き、目を見開いてその姿を脳裏に焼き付ける。
そこにいたのは、まんまるふわふわモコモコの生き物たち。
ダンジョンに住み着く、アナホリワタゲネズミ・通称『チラフィ』と呼ばれる生物だ。
茶褐色の体はふわふわの毛に覆われており、そこから短い手足がちょこんと飛び出している。小さい耳はパタパタと閉じたり開いたりでき、耳を閉じると完全に球体になってしまう。
手のひらサイズの体に丸い尻尾。つぶらな瞳に小さなピンク色の鼻。そして何より口周辺のむにっとしたパーツが愛らしい。
チラフィの群れがユーリたちに気がついたようだ。
ユーリはドキドキしながら、息を止めて小さな生き物を見守る。
「かわいいね〜、おいでおいで!」
「親子かな?そっちの白っぽいのは特に小さいね」
シエラがそっと手を伸ばすと、最初はビックリした様子で逃げてしまった。
しかし、しばらくすると、白っぽいチラフィは警戒しつつ手に登り始める。
チラフィはその姿から、探索者の中で『癒やし玉』や『上層の天使』などと呼ばれ、非常に愛されている。
視力はあまり良くないが嗅覚が優れており、そのお陰でダンジョン内でも食糧を確保できているらしい。
彼らは臆病かつ好奇心旺盛と、相反する性格を持つ。その性格通り、何匹かのチラフィが恐る恐る、しかし興味深そうに三人の周りをウロウロしている。
もしかしたら、ユーリたちの食事の匂いを嗅ぎ付けて現れたのかもしれない。
小さな一匹がパンくずに気がつき、ユーリのすぐ近く、手を伸ばせば届く距離まで近づく。
……来た。
ユーリの心臓が荒々しく鳴る。
前世でも、前々世でもその前でも、ユーリはこの場所でチラフィを目撃しており、ここが住処だということを知っていた。
そして今世こそ、かつての自分ではできなかったことを成し遂げようと息巻いているのだった。
小さな生き物を驚かせないように、ゆっくり、静かに手を伸ばす。
緊張が最高潮に達しながらも、カタツムリのようにゆっくりゆっくり迫り、指先がチラフィの毛先に触れ———
「ピギャンッ」
———られなかった。
触る直前、チラフィは怯えたような鳴き声をあげ、逃げてしまったのであった。
伸ばされたユーリの手が、行き場なく空中を撫でる。
「…………」
「あはは、ユーリ逃げられちゃったね〜。残念………って、ユーリ?」
「……泣いている……のかい?」
ユーリは静かに涙を流していた。
*
「昔から……昔からずっとこうなんだ」
自分の手を憎いもののように睨みつけながら、ユーリは呟いた。
「俺はただ、ふわふわかわいい動物が大好きなだけのに、動物側からはなぜか嫌われるんだ……ドウシテ………」
ふわふわの生き物に触りたい。
撫でたいし愛でたい。できれば匂いも嗅ぎたい。あと抱っこもしたい。めっちゃもふもふしたい。
ただそれだけなのに。
充血した目で虚ろに宙を眺め、過去を思い出す。
前世も、前々世もその前も、ユーリは何故かとことん動物に嫌われていた。
目が合えば逃げられ、近寄れば逃げられ、触ろうとすれば鳴き叫ばれ、そのふわふわに触れられることは無かった。
今世こそという思いもたった今へし折られてしまい、落ち込むしかない。
「そんなに動物好きだったんだ……泣くほど……」
「ま、まあ!そういう体質の人もいるさ!稀に!」
尋常じゃなく落ち込むユーリに、二人もどのように対応したらいいのかわからないようだ。
初めて『サラ』について語った時よりもドン引きした様子で、シエラがぎこちなく励ます。
「でもさ、ほら!まだチラフィしか挑戦してないしさ!別の動物なら触れるかもしれないよ?」
「そう、かな……」
「そうだとも!人生は挑戦だ!今後も諦めず、様々なふわふわに触れるよう挑戦していこうではないか!」
「……お前ら、優しいな」
ユーリはズズッと鼻水を啜り、頬を叩いて気持ちを切り替え、勢いをつけて立ち上がった。
「うん、そうだよな。チラフィだけがふわふわじゃないもんな」
「そうそう!」
「さあ、元気になったところで休憩終了だ!先に進むとしよう!」
三人は身支度を整え、歩き出す。
ユーリは、新たな動物との出会いと触れ合いを願いながら。
シエラは、動物好きという少年の意外な一面に少しだけ胸をときめかせながら。
アレックスは、近々彼は動物と触れ合えるに違いないという『直感』を感じながら。
緩やかな下り坂を、若いパーティは進んでいく。
巣穴から顔を出したチラフィたちが、その姿をそっと見送った。
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