第10話 解呪
ダンジョンは一階一階が非常に広く、探索には時間がかかる。
そのため最短で最適なルートを歩くユーリたちでも、それなりの時間を有していた。
時間とともに周囲を見渡す余裕が出てきたのか、ダンジョン初心者のシエラは興味深そうにキョロキョロとしている。
この辺りで出現する魔物は
シエラは土の壁に近寄り、拳大の穴がポコポコと空いているのを発見する。
それはチラフィの巣だ、とユーリは説明した。
「複数の穴を掘って、ここは食料庫、ここは寝床みたいにして生活してるんだ」
「へ〜。実はお風呂もあったりして」
「ははは、動物が入浴か!面白い発想だね!」
「そうか……?まあ、この辺は巣穴もいっぱいあるし、ひとつくらいあってもいいかもな」
「しかし、巣穴の数の割に姿や鳴き声が全然ないね。寝ているのかな?」
「確かに。実はぜんぶ空き家だったりして」
「巣の前にフンが落ちているし、それはないと思うが……」
そんな会話をしていた時だった。
ザワリ、とユーリの背筋に粟立つ感覚が走った。
暗がりの先を睨みつけ、ユーリは足を止める。突然立ち止まったユーリに対し、シエラとアレックスは何事かと顔を見合わせた。
「この先に何かいる」
「え?……
「魔物ではない、ということかな?」
「わからない。でも嫌な予感がする……たぶんもう少し先の方だ。行ってみよう」
その言葉から警戒を読み取ったらしく、アレックスは剣に手を掛け、シエラは
その嫌な予感をさらに強化するように、道の先から、人のものとは思えない
シエラがゴクリと唾を飲む。緊張した顔をしているが、ユーリが目を合わせると「大丈夫」と言うように頷いてみせた。
そうして神経を尖らせながら、三人は声のする方へと進む。
十メートルほど歩いたところで、突然、目の前にドーム状の空間が広がった。
入り口から顔だけ覗かせ、中の様子を伺う。
ドームの奥に、人影が見えた。黒いローブを纏っており顔は見えないが、体格から男性ではないかと思われる。男は膝をついて何か作業をしながら、時おり壁に向かって腕を伸ばしていた。微かに血の臭いが漂い、謎の声とも相まって非常に不気味である。
男の体が大きく動いたその時、ユーリの目に信じられないものが映った。
山のように積まれた茶褐色の塊。
柔らかそうな毛が赤黒く汚れ、重力のままにぐにゃりと横たわっている。
それはチラフィの死体だった。
男が大量のチラフィを殺している。
それを認識した瞬間、ユーリはすでに飛び出していた。
短剣を構え、男の足を狙う。
しかし距離があったため気づかれてしまったのか、間一髪で避けられてしまった。鋭い刃はただ空を切る。
逃すものかと、ユーリは続けざまに短剣を振りかぶった。
さらに男の背後からはアレックスが迫り、挟み撃ちする形で迎撃する。
それに気がついた男が小さく何かを呟いた。一瞬にして影に包まれ、溶けるように消える男。
二人の剣は、手応えなくただの闇を引っ掻いた。
「……くっ、
アレックスが悔しそうに呟く。
一方でユーリは慌ててチラフィの死体の山に駆け寄り、その内の一匹に触れた。わずかに生温さの残る体は、驚くほどに軽い。
わずかな期待を込めて、ユーリは隣にいるシエラと目を合わせるが、首を左右に振られてしまった。シエラの手は血と土に汚れており、彼女が生存者を探してくれていたことがわかった。
シエラの瞳が哀しみに潤む。
「ごめんね……助けてあげられな「待って待って待って待って!」
大声を上げ、アレックスが慌てて駆け寄ってきた。そして腕をグイッと二人の前に突き出す。
「この子、生きてる!」
「!!」
片手に収まるほど小さなチラフィの、赤く汚れた腹が微かに動く。パックリと裂けた傷口から、生命の証が絶え間なく流れ出ていた。それでも、まだ生きている。
シエラの表情が一変した。
「
チラフィを包み込むように手をかざし、そこにあらん限りの魔力を集中させる。
柔らかな光が、幼いチラフィを包み込んだ。
しかし、ただそれだけだ。
いつまで経っても傷は塞がらず、小さい体は震え続けている。その姿にシエラは狼狽え、アレックスは泣きそうになる。
「な、なんで効かないの……!?」
「ダメ!死んじゃダメ!がんばって!」
一方でユーリは、怪我が治らないと知るや否や辺りを見回し、あるものを探した。
そしてそれはすぐに見つかった。
男が膝をついていた辺りの壁に、暗がりの中、姿を隠すように描かれた紋様。おそらく殺したチラフィたちの血で描かれたのだろう。ぬらりと濡れて光るそれは、正円の中にミミズがのたくったような線が重なり合う。
その紋様の意味を、ユーリにはすぐに理解した。
「シエラ、もう少しだけ頑張って、
「……?」
「そいつが治らないのは、呪いのせいだ」
「呪いだって!?さっきの男が掛けたということか!でもどうしてそんなことを……!」
「わからないが、呪いが解ければ治すこともできるはず」
話しながら腕を捲り、目を閉じ、目隠しの布を巻いて準備を進める。
ここからが本職の腕の見せ所だ。
「
手をまっすぐ伸ばし、素手で呪いの紋様に触れた。
目隠ししているはずのユーリの視界に、呪いの形がはっきりと見える。
十七個の魂と引き換えに、対象を動けなくする《金縛りの呪い》
それはまるで蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
そして十六匹のチラフィの魂が『呪いの糸』に縛り付けられ、苦悶の表情を浮かべていた。
その表情に、ユーリの胸が痛む。殺される瞬間も、殺された後も、ずっと苦しみ続けるなんて酷すぎる。
湧き上がる男への怒りを抑え、ユーリは冷静に呪いを紐解いた。
しかし、誰が誰に対して呪いを掛けようとしていたのかまではわからない。というよりも、呪いの手順が未完了であった。
おそらく、あの小さなチラフィが十七個目の魂にあたるのだろう。
蜘蛛の巣のような呪いから一箇所、『呪いの糸』が長く伸びていた。
それを辿ってみれば、アレックスの手の上にいる、小さなチラフィに絡みついているのが見える。糸の先端は体を弄り、魂を引きずり出そうと蹂躙していた。
だが、あの子が生きている限り呪いは完成しない。
ユーリの指が『呪いの糸』を掴む。
掴んだ指先から、愛とも憎ともいえない腐り溶けた醜い感情が、嵐のように襲いかかってきた。しかしそれを物ともせず、ユーリは思い切り『呪いの糸』を引っ張る。
スルスルと呪いが解け、一本の糸へと変化していった。
それに伴い、縛られていた魂が次々と解放されていく。
苦痛から解放され、キョトンとした表情で天に召されていくチラフィを見送りながら、ユーリは黙々と『呪いの糸』を手繰り寄せ続けた。
最後の一匹が解放され、手元には真っ黒な『呪いの糸』だけが残る。
ユーリはそれをクルクルと毛糸のように巻き、ギュッと圧縮して纏め、自分の胸に押し付けた。
言い表しようのない苦味とエグ味が胸に広がる。
それでも強く押し付ける。どろりとした呑み込み難い塊が、ゆっくりと肌を過ぎ、肉を過ぎ、胃を過ぎていく。
解いた呪いをどうするかは、解呪師によって異なる。
浄化の魔法で消し去る者。自然消滅するまで封印する者。アイテムに憑依させて転売する者。
しかし、ユーリみたいに『呪いを吸収する』者はまずいないだろう。
呪いを吸収するとはつまり、他人の作った毒物、もしくは他人の吐瀉物を飲み込むようなこと。それだけ奇怪で恐ろしいことなのだ。
だがユーリ自身はそれを問題視していなかった。きっかけは思い出せないが、前世でもその前でも、彼は『解呪』のスキルを持って生まれ、同じよう吸収していたからだ。
そうして呪いが体内へ収まったのを感じたところで、ユーリはようやく目を開いた。
目隠しを外すと、呪いの紋様は消え去り、ただの壁だけが目の前にあった。
ユーリは何度も瞬きを繰り返す。ずっと目を閉じていたせいで
「やった、やったぁ!目を覚ましたよ!」
「生きてる……っ!助かったんだ……よかった!」
アレックスの手の上で、チラフィがキョロキョロと辺りを見渡している。傷は塞がり、小さな体はきちんと呼吸していた。
思わず泣きそうになるのをグッと堪え、ユーリはチラフィに近づく。
どうせ逃げられるだろうと思いつつ、手を伸ばしてみた。
「よかった、生きてくれて」
ふわり。
指先から、柔らかな感触が伝わる。
チラフィはユーリの指に小さな体を擦り付け「ピピピ」と鳴いた。
そのあまりの柔らかさに、ユーリの目から滝のような涙が流れた。
*
チラフィたちの死体は土に埋め、聖女見習いのシエラが祈りの言葉を捧げた。これで彼らも安らかに眠れるだろう。
それから昼食をとった場所へ戻り、すっかり回復したチラフィを放つと、小さな生存者はすぐ側の巣穴へと駆け込んで行った。
その姿を見送り、三人の間にしみじみとした空気が流れる。
たった一匹を救って何になるのか。
ユーリは自問する。
何にもならなくてもいい。何もしないよりマシだ。
ユーリは自答した。
自分たちだって魔物を退治するし、身を守るためなら動物だって攻撃する。
しかしあの男のように、無抵抗な命を奪って利用するような人間にはなりたくない。
それに身勝手な理屈だが、自分が好きだと思うモノには、できるだけ幸せに生きて欲しいと思う。可愛い動物だったり、尊敬する人だったり、仲良くなった仲間だったり。
ああそうだ。好きなモノを守って何が悪い。
そうして自問自答にカタをつけると、隣でしゃがんでいたシエラがゆっくりと立ち上がった。地面に顔を付けてまでチラフィの行方を追っていたようで、頬には土がついている。
「あの子、家族は全滅しちゃったんだろうけど、大丈夫かな……」
「チラフィは共同で子育てするらしいから、きっとあそこに住む家族が世話してくれるさ」
「へえ、そうなんだ。ずいぶんと動物の生態に詳しいようだね」
「別に動物に詳しいわけじゃねーけど」
ユーリの耳に、小さな「ピピピ」と鳴き合う声が届いた。
それが愛情表現の鳴き声だということを、ユーリは知っている。
「好きなものを知りたいって思うのは、普通だろ」
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