第14話 安眠
『我々を信じてくれない者を連れていくわけにはいかない』
ユーリの頭に、ブラッドの言葉が蘇った。
結局自分は同じ過ちを繰り返していたのか、と後悔する。
だがしかし、後悔はあれど手は動く。
フワフワとした苔をかき集め、上に布を被せた。更にその上からテントを張れば、いつもより柔らかい寝床の完成だ。
疲れも相まって、今夜はきっとぐっすり眠れるだろう。
そうして三人分のテントを整えていると、夕飯を準備していたアレックスが声をかけてきた。
「そういえば、頭痛はもう大丈夫かい?」
「ん、大丈夫」
「ちょっと!大丈夫じゃないでしょ!ちゃんと病院で診てもらったら?薬とかポーションとかないの?」
結界を張っていたシエラが、その手を止めてまで口を出してきた。
きちんと結界を張ってもらわないと、寝込みを魔物に襲われかねないので作業して欲しいのだが……残念ながら彼女の意識は、完全にユーリたちの方へ向いてしまっていた。
まさに「プンプン」と言う擬音が似合う表情で、シエラは叱る。
「もし重い病気とかだったらどうするの!症状が軽いからって舐めてると、後で大変な目にあうんだからね!」
「というか君の場合、軽くもないよね。素人の私でも相当辛そうに見えたよ」
「あー……」
ユーリはここで、二つの選択肢を思い浮かべた。
ひとつ、治療していると言って適当に誤魔化して大丈夫だと思わせる。
ふたつ、病気ではないと理解してもらうために『前世を思い出すと頭痛がする』ということを説明する。
果たしてどちらを選ぶべきか。
その答えが出る前に、シエラから
「こんなに重症なのに、前のパーティはどうしてたの?」
「いや、前はこんなに酷くなかったんだよ。記憶がまだ………あっ」
「記憶が?」
「記憶が……えーと……」
ユーリ自身は気がついていないが、彼は嘘や言い訳が非常に下手である。クールな外見に反して中身は愚直なのだ。
誤魔化そうとしている気配を察した二人の白い目に晒され、ユーリは諦めて選択肢の二つ目を選んだ。
「実は、俺には前世の記憶があって……」
*
「なるほどね」
長い説明が終わり、全てを聞き終えたアレックスが腕を組んだ。
「うん、謎が解けたよ!君が道に詳しいのも、度々昔の知り合いが〜って言ってたのも、前世が由来だったんだね」
「そう。だから頭痛のことは心配しないでくれ。病気とかじゃないから」
「病気でないのなら、こちらもひとまず安心だよ。ね?シエラ」
「……事情がわかったからこれからも
「ありがとな。シエラには頼りっぱなしだし、気をつけるよ」
そう言ってユーリが微笑むと、シエラはわざとらしく声を張り上げた。
「もうユーリに関してはいろいろ驚かなくなっちゃった!前世がどうとか言われても、あ〜そうなんだ〜って感じ」
「同感だね。安心してくれユーリ。今後、君が如何に突拍子も無い行動を取ろうと、私たちはきっと受け入れることができるだろう」
「そりゃどーも」
力の抜けた顔で笑い、ユーリは目線を手元に落とした。
記憶を取り戻すきっかけとなった短剣を、指先が優しく撫でる。
安堵したような、泣き出しそうな、そして愛しさを隠そうともしない声が溢れた。
「……
刀身に刻まれた『SARAH』という文字が、その存在を主張するように鋭く光った。
*
アレックスお手製スープが、空腹を刺激する香りを漂わせる。
乾燥野菜と豆を柔らかくなるまで煮込み、複数のスパイスで味付けしたスープ。豆のまろやかな甘みにスパイスの刺激が加わり、一口食べただけで体が芯から温まる。
まさか、ダンジョンでこんなに美味しい料理が食べられるとは思わなかった。
「美味しい!美味しい〜っ!」
シエラが早くも完食し、二杯目をよそう。
最上級の笑顔にスープがどんどん吸い込まれていく。熱々なのに、そんな勢いで食べて火傷しないのだろうか。
心配しつつ、ユーリもその美味しさに賛同する。
「無限に食えるなコレ。料理人でも目指してたのか?」
「料理長から少し学んだ程度なのだが、喜んでもらえると嬉しいものだね!好きなだけおかわりしてくれたまえ!」
そう言って、上機嫌にお玉を振り回すアレックス。
鍋はあっという間に空になり、満腹になった三人は足を伸ばしてゆったりとした時間を過ごす。
しかし突然、眠そうにウトウトしていたシエラが「あっ」と声をあげた。
「色々ありすぎて忘れてたけど、本!見つけた本は!?」
「ちゃんと持ってるよ。飯食い終わったら読もうと思ってた」
「せっかくボロボロになってまで探したんだ。ぜひ私たちにも見せておくれ!」
二人に急かされ、ユーリは鞄から本を取り出し表紙をめくった。
表紙同様、中身もかなり古く、黄ばんだ紙に書かれた文字は擦れて読みにくい。それに加えて、書かれていた文字は見たことがあるような無いような、奇妙な形をしていた。
首を傾げていたユーリだったが、やがて微かな頭痛とともに答えにたどり着く。
「これ……旧王国文字か」
「旧王国文字?」
シエラが聞き返す。
「今の王国文字の元となった、昔の文字のことだね。しかし残念ながら私は全く読めない」
「俺、たぶん読める……自信はないけど」
ユーリはそう言うと、眉間にシワを寄せた。
博識な男性が優しく教えてくれた、朧げな記憶。遠い遠い記憶から、何とかして知識をかき集める。
「えー……昔、この国に、神聖な湖が、ある……あった。水の下?に、魔法の石が、……座る?女神は、驚きと、平和を渡した……??」
たどたどしい翻訳に、アレックスも思わずため息を吐く。
「これは全部読むのに十年はかかりそうだ。賢者を探し出して読んでもらう方が、よっぽど早いだろうね」
「おう、言ってくれるじゃねーか。じゃあ今から大賢者様に連絡してやるよ」
ユーリが不貞腐れる一方で、拙い翻訳を聞いたシエラは何かに気がついた様子であった。
「それ……たぶん、アレだね」
「どれだね?」
「ジャスパー王国神話。創生の章・湖の女神の物語」
シエラは頼まれてもいないのに『湖の女神の物語』を語り始めた。
「昔々、王国には聖なる湖がありました。その湖の底には魔力を宿す鉱石があって、その力で湖の女神様は奇跡とかを起こして平和を守っていました」
「なるほど。ユーリの翻訳と大体一致しているね」
「でしょ?……で、人々は女神様を崇めていたんだけど、だんだん信仰心が薄くなっちゃって、それが悲しくて女神様は死んじゃいました。そしたら人々の心に闇が生まれました」
「……そんな物語だったか?なんで信仰心が薄れたんだっけ?」
「わかんない。寂しかったからじゃない?」
適当すぎる返事に呆気にとられるユーリ。
しかし、シエラはそんなユーリの様子も気にせず話し続ける。
「ある日、湖のほとりに少女が現れて、実は少女は女神様の涙と鉱石から生まれた存在でした。で、少女のおかげで人々は信仰心と平和を取り戻して、少女は王子と結婚しました……ってお話」
「だいぶ端折ったねぇ。で、どうだいユーリ?神話を聞いて何か思い当たることはあるかい?」
首をねじ切れそうなほどに捻るユーリ。
何も思いつかず、とりあえず苦し紛れに答えを出してみる。
「……その女神とか少女が『サラ』って可能せ「ないよ」
全てを言い終わる前にシエラに一刀両断されてしまった。
「女神様にも少女にも、ちゃんと名前あるもん」
「じゃあ女神でも少女でもないかー。まあそうだよなー」
「でもわざわざ夢に出てまで『サラ』が導いたのだから、その本が彼女と関わっているのは間違い無いだろうね」
「そうだな。本の年代、持ち主、内容……」
新たな謎に、ユーリは背中を丸めて考え込む。
そうして包み込むような沈黙に支配される中、シエラから猫のような大欠伸が漏れ出した。
顔を赤らめるシエラに微笑みかけ、アレックスが優しく言う。
「よし、今日はもう寝るとしよう!眠りの女神に抱かれてしまっては、わかることもわからないだろうからね」
「そうだな。みんな疲れてるし」
「ユーリ、本が気になるからって夜更かししちゃダメだからね」
「わかってるよ」
各々テントに潜り、ランタンにカバーをかけて明かりを消す。
ほんの数分で、眠りの女神に抱かれた三人の、穏やかな寝息が流れ始めた。
*
意識が急浮上し、ユーリは目を覚ました。
幸せな夢を見ていた気がするのに、何かの飛び跳ねるような物音に邪魔されたのだ。
短剣を握り、テントからそっと顔だけ出して外の様子を伺う。
そこには五匹の
ウサギ程度の大きさで、背中を苔に寄生されており、日中は苔に紛れて眠っている。毒蛾のような直接的な害は無いが、雑食かつ大食いで、一度食料があると認識されると永遠に追いかけてくる。鬱陶しいことで有名な魔物である。
「……シエラめ、結界張り忘れやがったな」
小声で思わず愚痴ると、向かい側のテントからアレックスが顔を覗かせた。
目が合ったので無言で
アレックスは剣を片手に音もなくテントから出ると、一振りで三匹を屠った。
驚いた蛙たちが逃げる方向に先回りし、ユーリの短剣が一匹の頭を貫く。
それと同時にもう一匹をアレックスの方へ蹴り渡す。
蹴られた蛙は「ゴゲェア」と最期の鳴き声を上げ、真っ二つに切られた。
一瞬で魔物は片付き、平穏な夜が戻って来る。
「あらら、お姫様はお疲れのようだね。結界を張り忘れてしまうとは」
「……まあ、俺のせいかもしれんけど」
反省を口にしながら、ユーリは
「うわ、そんなの集めてどうするんだい?」
「『呪い』に使う」
「えっ?」
固まるアレックスに対し、ユーリは黙々を準備を進めた。
「結界がないのも不安だろ?だからとりあえず呪いで代用する」
「そんなことできるのかい?」
「結構勘違いされてるけどさ」
慣れた手つきで、
「呪いって、誰かを不幸にするためだけの儀式じゃねーのよ」
「じゃあ、なに?」
「『魔法』が『魔力』を使って結果を出すように、『呪い』は『対価』を使って効果を発揮する。根本的には違いはそれだけなんだ」
「へえ、それは知らなかった!呪いなんて後ろ暗い者が使うものとばかり思っていたよ」
「世間的にはそうだな。まあ、魔法と違って対個人に使う方が強いし、割と嫌な感じの儀式が多いし、失敗したら自分に返るし。不便であまり普及してないからそう思われてんだろうな」
描き終えた紋様の上にいくつかの
じっと作業を見つめていたアレックスが感心したように呟く。
「君は呪いを解くだけではなく、掛けることもできるんだな」
「そりゃ、解くには仕組みを知らないといけないし」
「ところで、その目隠の意味は?この前の『解呪』の時もそうしていたね」
「目を開いてると現実が見えちゃうだろ」
そう言いつつ、ユーリは空中で手を動かす。
指揮者のように呪いを操りながら、先ほどの言葉を補足した。
「目を閉じると呪いそのものが見えるようになるんだよ。この目隠しはその補助ってわけ」
「なるほどね」
アレックスの目には何も映らないが、その身体は確かに、目の前の空間から寒気と怖気を感じ取った。
徐々に空気が重く、冷たく、湿っていく。しかし、
「あ、やべっ」
ユーリの軽い口調で、空気が一気に壊された。
「どうしたんだい?失敗?」
「いや失敗はしてない。ただ、あの、そこらへんに蛙の頭ない?」
言われてキョロキョロと辺りを見渡すと、物言わぬ蛙の頭が無念そうに転がっているのが見つかった。
「頭……、私のすぐ側に転がっているけども」
「それも必要だったわ。悪いけど取ってくれ」
目隠ししているユーリの手が、アレックスの方へと伸びる。
その手に頭を渡そうとしたその時、アレックスの足が蛙の血を踏み、滑ってしまった。
大きくバランスを崩し、しかし倒れるまいと踏ん張る。
次の瞬間。
ふにっ
「ひゃ……っ!」
「ん?」
視界を塞がれたユーリの手の平に、ささやかながら弾力のある感触が押し当てられた。
なんだろうと考える前にその感触は引っ込み、ユーリは首をかしげる。
「……アレックス?どうした?」
「っすまないうっかりよろけて持っていた蛙の頭を君の手の平に押し当ててしまった!」
「ああ、そう?」
それにしてはふんわりしていたような気がしたが、しかし「まあいいか」と流すユーリ。
そんな彼に今度こそ蛙の頭を押し付け、アレックスはそこから少し離れた。
ユーリの呪いが完成し、触れると見知らぬ場所へ転送される『迷い子の呪い』が張り巡らされる。
「よし、これで今晩は安心だな」
「お疲れ様!そしておやすみ!」
「おう、おやすみー」
*
ようやく戻れたテントの中。
サラシを緩めた胸を押さえ、アレックスは顔を真っ赤に染めていた。
今までの人生で異性に触れることなんて、せいぜい握手くらいしかなかったのに。
事故とはいえ、しっかり触られてしまった。
ちゃんと誤魔化せただろうか。
女性だとバレていないだろうか。
心臓のドキドキが治らず、アレックスの眠れない夜が続いた。
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