第13話 仲間

 空気を塗り替える存在感。

 王冠のような触覚がおもむろに揺れ動く。

 そこにいるだけで恐ろしく、そこにいるだけで悍ましい。

 平伏してしまいそうなほどの女帝の風格。



「……!女帝毒蛾エンプレスヴェノモスだ」



 ユーリが呟き、目を見開く。

 暗闇から這い出てきたかのように、先ほどの毒蛾ヴェノモスよりも巨大な存在が現れた。


 女帝毒蛾エンプレスヴェノモス

 毒蛾ヴェノモスの親玉であり、人前には滅多に姿を現さないと言われている魔物である。

 圧倒的な威圧感とその強さから女帝の名を冠する毒蛾は、女帝然として、三人を見下すように頭上を飛び回った。

 より毒々しく、より禍々しい模様が描かれた羽から、紫銀の鱗粉が舞い散る。黄色い目がギョロギョロと蠢き、大きく膨れた白い腹が、ブルンと不気味に揺れた。


 アレックスは気絶しそうになるのを、なんとかすんでのところで堪えた。

 虫嫌いのアレックスにとっては、何よりも恐ろしい相手である。

 必死に自分の中の勇気をかき集め、震える手足を抑え込む。無意識のうちに逃げ腰かつ内股になっていたが、そこまで気を回す余裕は、今のアレックスにはなかった。

 手持ちの中で一番大きな剣を抜いて構えながら、傍のユーリへと話しかける。


「ふ、ふふ。どうやら私たちは魔物に愛されているようだね!どうしてなのかな?!」

「知らねーよ。誰か魔物に愛されるフェロモンでも出してんじゃねーの?」

「勘弁してくれ!モテるのは人間の女性だけで十分満足さ!」


 たとえ性別がメスでも、虫は無理である。

 泣きたい気持ちを我慢して、自分の何倍もある虫と対峙するアレックス。その横からユーリの合点がいったような声が上がった。


「あっ、いや違う!あいつら虫だから光に引き寄せられるんだ!」

「シエラ!光灯魔法ライトニングを消して!今すぐ消してっ!」


 アレックスが叫ぶと同時に、女帝毒蛾エンプレスヴェノモスが襲いかかる。

 その巨体からは想像できないほどのスピードが迫る。

 すんでのところでその体当たりを躱すと、アレックスは剣を振りかぶった。

 しかし、相手は既に空中へ帰り、剣では届きそうにもない。

 完全に優位に立つ女帝毒蛾エンプレスヴェノモスに見下され、アレックスは悔しさを吐き捨てた。


「くっ!こうなるのであれば弓使いも仲間に入れておけばよかった!」

「シエラ、お前攻撃魔法とか使えないのか!?」

「私は防御と回復専門なの!それに誰かさんを全身治療したせいでまだ魔力が回復してないんですーっ!」

「それはマジで大変申し訳ない!」

「喧嘩は後で好きなだけしてくれ!とりあえず今は逃げるよ!」


 全力で走りだす三人と、それを追いかける女帝毒蛾エンプレスヴェノモス

 相手に上を取られている以上、自分たちが反撃に出るのは難しい。

 地面を這う蔓に足を取られながら、敵が入れないような狭い道はないかと目を光らせる。

 しかし残念なことに、空間はどこまでも広々と続いていた。そして、


「うぁ……っ!」

「ユーリ!?」「どうした!?」


 誘導するように先頭を走っていたユーリが突然頭を押さえ、呻いた。

 焦ったシエラとアレックスがそれぞれ呼びかける。

 ユーリは一瞬足元がふらついたものの、すぐに体制を立て直し、変わらぬ速度で走り続けた。

 そして険しい目つきで辺りを見回し、小さく舌打ちをする。


「っ……、ここは、女帝毒蛾エンプレスヴェノモスの、巣か……!下に、こっちに、逃げるぞ……っ!」


 唐突にそんなことを言い出したユーリは、流れる汗もそのままに、勢いよく方向転換した。

 アレックスとシエラもその後ろに続き、明確な意図を持って走り進める。


 目を細め、喘ぎ、必死の形相で走るユーリ。

 その姿を見て、先ほどまで怒っていたはずのシエラの顔に、心配そうな表情が浮かんだ。聖女見習いとしてはやはり、急病人を放っておけないのだろう。

 我慢できないと言った様子で、ユーリの身を案じる言葉が飛び出した。


「大丈夫?もしかしてまた頭痛なの?治癒魔法ヒールしようか?」

「いや、いい」


 辛そうな声で拒否するユーリ。

 なおも食い下がろうとするシエラを制し、闇に溶ける道先を睨みつける。

 遠くを見つめる目が、鋭く細められた。


「巣の出口は、まだ遠い。倒した方が、早い……かもしれない」

「それは、私たちでも倒せる可能性があるということかい?」


 アレックスの問いかけに頷き、ユーリは毒蛾の特性について説明し始める。


「ああ。あいつら毒蛾の粘液は、体を守る役割がある。粘液は聖水で流せる。あいつらにとって、聖水は毒同然だ。だから……」

「……聖水」


 シエラが手を閉じたり開いたりする。

 眉間に深いシワが寄る。彼女は少しだけ考え込んだ後、結論を出した。


「魔力をかき集めれば、頑張れば一回くらいは出せる……かも」

「しかし相手は空中の支配者だ。自由自在に飛び回られてしまっては、私たちが戦うには分が悪すぎる!」

「ああ。だから、なんとかして、一箇所に留まらせる」

「どうやって?」


 当然の疑問に、ユーリは壁を見ながら答えた。


「蜘蛛の巣……」


 *


羆の咆哮グリズリースクリーム!」


 光源魔法を背負ったアレックスの一撃は、女帝毒蛾エンプレスヴェノモスには届かず、壁際の蔦を切り裂くだけに終わった。

 ハラハラと蔦が舞い、毒蛾の起こす風に翻弄される。

 嘲笑うように地面すれすれを飛ぶ女帝毒蛾エンプレスヴェノモスに対し、今度はユーリが斬りかかった。

 しかしユーリのことを脅威と思っていないのか、はたまたアレックスの背負う光に夢中なのか。女帝毒蛾エンプレスヴェノモスは背中を向けたまま、ひらりと攻撃をかわした。


 ダメージを与えることはできなかったが、構わずユーリとアレックスは攻撃を繰り返す。

 アレックスが突撃し、ユーリが奇襲をかける。

 刃は届かずとも、何度も何度も。ぐるりぐるりとフィールドを動き回りながら。

 そんな行動を繰り返すこと数回。


 アレックスの一撃が外れ女帝毒蛾エンプレスヴェノモスが避けた瞬間、不意にユーリが叫んだ。


「よし、シエラ!」

聖水魔法ホーリーウォーター!」


 アレックスと入れ替わるように現れたシエラが魔法を使う。

 真正面から聖水が降り注ぎ、危険を察知した女帝毒蛾エンプレスヴェノモスは、逃げるために宙返りした。

 しかし、逃げることは叶わなかった。


「縺ゅ≠闍ヲ縺励>!鬲皮視讒倥↑繧薙〒!」


 人声のように聞こえる不明瞭な絶叫が響く。

 全身に聖水を浴び、悲鳴を上げる女帝毒蛾エンプレスヴェノモスの目の前。


 そこにあるのは、蔦でできた巨大な蜘蛛の巣。


 最初にアレックスが放った攻撃によって切り裂かれた蔦を、突撃と見せかけてユーリが編んでいたのだ。そこへ攻撃を繰り返しながら追い込み、罠にかける。

 アレックスの腕力と、ユーリの機動力、そしてシエラの魔法があったからこそ成し得た作戦であった。


 幾重にも張り巡らされた複雑な網目は、毒蛾の行く手を阻み、聖水から逃れることを赦さない。

 聖水を浴びて苦悶する女帝毒蛾エンプレスヴェノモスが、弱々しく地面へ滑り落ちた。


「鬲皮視讒倥h、遘√r蠢倥l縺ヲ縺励∪縺」縺溘°」


 アレックスとユーリが近寄ると、女帝毒蛾エンプレスヴェノモスは何かを訴えかけた。

 命乞いだろうか。それとも、我々への怨嗟の声だろうか。

 なんらかの意図を持って発せられているだろう魔物の言葉を無視し、二人は女帝を見下した。


「アレックス、頼んだ」

「任せたまえ」


 アレックスの剣が閃き、その顔面は真っ二つに引き裂かれた。


 *


 長い道程の末、ようやく毒蛾の巣を抜ける。

 地面は草から苔へと変化し、湿った匂いが静かに漂っていた。

 ひんやりとした空気が火照った体を冷やす。


 三人は急にドッと疲れを感じ、その場に座り込んだ。


 静かに、互いの呼吸音だけが聞こえる時間。

 まるで苔が疲れを吸い込んでくれているようで、眠気すら感じられた。

 このまま眠ってしまおうかな、とアレックスは目を閉じる。ふわふわの苔に包まれて、すっと意識が遠退く。それほどまでに疲労していたようだ。

 本格的に寝そうになったその時、ユーリがボソボソと語り始めた。


「さっきの戦闘、俺ひとりだったら何もできなかったと思う」


 返事はなく、無言のうちに言葉の続きが促される。


「二人がいたから勝てたんだ。さっきの俺は、確かに酷かった。申し訳なかった」

「……いや、君の作戦があったからこそだよ、ユーリ。君の知識がなければ、私たちはただ逃げることしかできなかっただろう」


アレックスが励ますようにユーリの功績を讃える。

しかし穏やかな言葉に、ユーリは却って決まり悪そうに目線を逸らした。


「あの知識は昔の知り合いに教わったというか……ベテランの探索者なら誰でも知っていることだし……」

「でも私たちは聖水のことなんてまるで知らなかった。君は知ってた。そうだろう?」

「それでも、いや、なんていうか……、とにかく申し訳なかった」

 

 ユーリが深々と頭を下げる。

 その表情は伺えないが、きっと言葉通り申し訳なさでいっぱいなことだろう。


 アレックスが「どうする?」とシエラに目線を送ると、彼女はやおら立ち上がり、ユーリの手をがっしりと掴んだ。

 ダンジョンの下層よりも深いシワを眉間に寄せて、シエラは目の前の頭部を睨み付けた。

 

「私ね、自己犠牲とか滅私奉公とか自殺行為とか、そーゆーのをやっちゃう自分を省みない人が大っっっ嫌いなの!馬鹿馬鹿しいもん」

「はい」

「それから、治癒魔法ヒールって気軽そうに見えてけっこう魔力使うし、治せないものは治せないし、いろいろ大変なの!わかる?」

「はい」

「だから今回の暴走のバツとして、地上うえに戻ったら私たちのお願い事をひとつずつ聞いてもらいます!拒否権なんてないからね!」

「はい。………できれば叶えられる範囲でお願いします」


 その姿を見て、アレックスは思わず笑ってしまった。

 まるでお説教する先生と生徒のようだ。シュンとするユーリの体が、いつも以上に小さく丸まっている。

 そこまできてシエラもようやく溜飲が下がったのか、声のトーンが抑えられ、いつものように穏やかになった。


「それから……もう無茶はしないって、約束してよね。ボロボロのユーリなんて見てらんないの」


 顔を上げるユーリ。真剣な顔のシエラ。

 見つめ合う二人を蚊帳の外から眺め、アレックスはふと考えた。


 『直感』が選んだから共にいるものの、果たして彼らは自分の『目的』を叶えてくれる存在なのだろうか?

 一人は知識豊富で実力もあるが、情緒不安定な後衛職。

 一人は優しく医療の心得はあるが、全く戦闘力を持たない回復役。

 この二人が仲間で、本当に中層のドラゴンを倒せるだろうか。もしくは、ドラゴンを倒すための足がかりになるだろうか。

 仄かな不安が忍び寄る。しかし、


「悪かった。もう無茶はしない」


 そう言って反省するユーリの表情は力強く、その瞳には、どこか惹かれる色を宿していた。アレックスの中に、その正体を探りたい、知りたいという気持ちが湧き上がる。


 心拍数が上がり、不安は胸を吹き抜ける強風にかき消される。


 アレックスの『直感スキル』ではない直感が「きっと大丈夫」と判断した。

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