第12話 恐怖

「「ぎゃぁぁぁああああああああっ!!!???」」 


 アレックスとシエラの絶叫が木霊し、そのせいで毒蛾ヴェノモスが一斉に羽ばたいた。

 二メートル近い羽から大量の鱗粉が巻き上がり、視界が毒々しい紫色に染まる。


 毒蛾ヴェノモス

 それは上の階層にいた芋虫ワームが羽化した姿であり『上層の第一関門』とも呼ばれる魔物だ。

 体からは大量の鱗粉と粘液を生み出し、そのどちらもが猛毒である。

 鱗粉は皮膚をかぶれさせ、体液は人の汗と反応し、火傷を負わせる。その上丈夫な歯を持ち、危害を加える者には容赦なく噛み付く習性がある。

 そんな危険生物が空を飛んで襲ってくるのだから、探索者からは忌み嫌われてた。


 しかし、絶叫する二人もひしめく毒蛾ヴェノモスも無視し、怪しく目を輝かせたユーリは躊躇なく中へ突っ込んで行く。


「!ま、待て、ユーリッ!」


 慌ててシエラを庇いながら退避していたアレックスが、ユーリの行動に気がつき叫ぶ。

 しかしユーリは足を止めなかった。

 アレックスの声なんて聞こえていなかったのかもしれない。


 鱗粉で肌はかぶれ、粘液で火傷し、それでも短剣を振り上げて次々と毒蛾ヴェノモスを切り裂く。

 興奮した毒蛾ヴェノモスに噛みつかれたのを物ともせず、暴れるように羽を引きちぎり、噛み付く毒蛾ヴェノモスの顔面を削ぎ落とす。

 ネバネバとした体液にまみれた短剣がきらめき、銀色の線を描いた。

 乱暴な剣筋に刈り取られ、毒蛾ヴェノモスはみるみるうちにその数を減らしていく。


 アレックスはゾッとした。

 ユーリの「サラのために全てを捧げる気持ち」を好ましいと感じていたが、それは自分の勘違いだった。

 正しくは「全てを捧げる」だったようだ。

 到底人間とは思えない、まさに獣のような凶暴さで突き進むその姿に、アレックスの脚が震える。

 

 毒蛾ヴェノモスが数える程に減ったところで、ようやくアレックスとシエラは我に返った。

 遠くの方に、ユーリが座り込んでいるのが見える。


「……追いかけよう、シエラ。私が残りの毒蛾ヴェノモスを切るから、君は生き残りに『浄化』でトドメを刺してくれ」

「……う、うん」

「鱗粉と粘液に気をつけて。さあ行こう」


 怯えるシエラの背中を叩き、二人で前を向いた。

 シエラが結界魔法シールドを展開し、僅かながら安心感を得る。守られる範囲は狭いが、無いよりもマシだろう。

 背中にシエラを庇いつつ、アレックスは慎重に歩みを進めた。


 襲いくる毒蛾ヴェノモスを切り払い、垂れ下がる蔦に絡まり捕らえられたシエラを救い出す。

 自身も蔓に足を取られつつ、絡まれつつ、無事にユーリのいるところまで辿り着くことができた。

 危険とはいえ、所詮は第一関門である。

 虫に対する恐怖心で手足は震えっぱなしだったが、乗り越えられた自分に拍手を送りたい。

 しかしそうする前に、アレックスの口から「うっ」と声が漏れる。



 ユーリの姿は、それはそれは、酷いものだった。

 


 右腕は粘液のせいで火傷し、皮膚が溶け、中身のピンク色がむき出しになっている。

 左腕には切り落とした毒蛾ヴェノモスの顔面がそのまま噛み付いており、断面からは得体の知れない臓器が垂れ下がっていた。噛み付かれた面からは血が滴っており、かなり深いところまで歯が刺さっているのがわかる。

 体のあちこちから黄色い体液が滲み出し、動くたびに半乾きのそれがペリペリと剥がれ落ちた。

 防御の魔法をかけた服も、粘液を浴びすぎたせいで所々溶けてしまっている。

 そして、アレックスが「なかなかに良い顔」と評した顔面も。

 白かった肌は鱗粉でかぶれて赤紫色になり、目は真っ赤に充血し、左目の目蓋は爛れて開いていない。


 そんな姿だというのに、ユーリはぐっちゃぐちゃの満面の笑みで二人を迎え入れるのであった。


「悪い、また置き去りにしちゃったな。それよりも見てくれ、これ!」


 無言で青ざめる二人の前に、一冊の古びた本が掲げられる。

 土にまみれたなんの変哲もない本がいったい何なのか、二人にはわからなかった。


「それは?」

「サラが夢で言ってたのは、きっとこの本のことだ!この本はサラに繋がる何かなはずなんだ!」


 興奮した様子で表紙をなでるユーリ。

 ボロボロになった手を見ながら、シエラは唇を震わせる。


「……これだけのために、そんな、大怪我をしたの?」

「これだけ、だと?」


 ギョロリと、右目が見開かれシエラを睨み付ける。

 しかしそれに負けじと、シエラは早口で応戦した。


「それだけ、だよ。それだけのためにあなたは熱傷に皮膚炎に咬傷こうしょう糜爛びらんを負ったの?って聞いたの。いつものユーリなら、冷静になればこんな大怪我しなくても済んだよね?」

「仕方ないだろ、サラが呼んでいたんだから」

「仕方なくないっ!」


 シエラが声を荒げる。その珍しい姿に、ユーリもアレックスも驚きたじろいだ。


「わ、悪かったよ」


 冷静になってきたのか、表情が落ち着いてきたユーリが何気なく左目を触ろうとした、その時。


「っ!催眠魔法スリープっ!!」


 シエラが叫び、青い光がユーリを包んだ。

 ドスッ、と重い音をたてて体が倒れ込む。

 魔法で一瞬にして眠りについたユーリを、シエラは器用に担ぎ上げ、そして手早く服を脱がせだした。


「ぅわっ!し、シエラ!いったいなにを!?」


 一部始終をただただ眺めていたアレックスだが、初めて見た男性の裸に、顔を赤らめ慌てて目を逸らす。


「あの手で目を触ったら最悪失明するかもしれないから。ちょっと寝てもらったの」

「あ、そ、そうなんだ」

「粘液に触れている時間が長いほど熱傷が進行しちゃうから、服も脱がせて全部洗い流す。治癒魔法ヒールも万能じゃないから、実は前段階の処置がすごく大事なの」


 そう話している間にもズボンが脱がされ、ユーリはパンツだけの姿になった。


聖水魔法ホーリーウォーター


 シエラの詠唱と同時に、清く光を含んだ水が空中に出現し、眠るユーリに降り注いだ。

 聖水はアルコール以上の殺菌作用があり、回復要員が取得すべき魔法の三つに数えられている。

 そんな聖水で粘液や汚れを洗い流したシエラは、自分が濡れるのも構わずユーリを抱え、ひっくり返して背中側も丁寧に洗い流した。続いて容赦なく顔も掴み、眼球を洗う。

 そうして全身がきれいになったのを確認すると、荷物から清潔な布を取り出し、慎重に傷口周辺を抑えた。

 水分を拭き取り終えたシエラは気合いを入れ、最後の行程に入る。


治癒魔法ヒール!」


 温かな光に包まれて、ユーリの傷はみるみるうちに治り、傷跡ひとつない姿に戻った。


 その手際の良さと完璧な治癒魔法ヒールに、アレックスは驚く。

 怪我の酷さに対する動揺もなく、手順に迷うこともなく、確実に治療を進める姿は、熟練の回復師にも負けない精神力を感じさせた。

 もしかしたら、シエラは歴史に残る聖女になるかもしれない。アレックスの『直感』がそう告げていた。


 *


「……ん」


 三時間近く眠っていたユーリが、ようやく目を覚ました。

 呻き声に気がついたアレックスが近寄り、ユーリの顔を覗き込む。


「やあ、お寝坊さん。調子はどうだい?」

「すげー快適。シエラ、治療してくれてありがとう………、シエラ?」


 返事がないことを不審に思ってユーリが上体を起こすと、シエラはそっぽを向き、見るからに不機嫌な様子だった。何度呼びかけても反応はない。

 困ったように固まるユーリを見かねて、アレックスはため息交じりの助け船をだす。


「ユーリ。君は今回、随分と無茶をしたね」

「……悪い。お前たちには迷惑をかけた」

「そうだね。とても迷惑だったよ」

「本当に申し訳な「でもね」


 アレックスはピシャリと、謝罪の言葉を遮った。


「それよりも、君が暴走して、大怪我をしてまで進んでいったのが問題だ」

「……」


 口を閉じ、バツが悪そうな表情を浮かべるユーリ。

 その姿を見るに、彼自身も暴走していたことは自覚しているようだ。

 今後のことも考えて、言うべきことを言わねばと、アレックスは厳しい口調でユーリに問う。


「ユーリ。私たちが出会ってからどれくらい経った?」

「だいたい……一週間くらい?」

「そうだね。まだ、たったの一週間だ。まだまだお互い知らない部分もあるし隠し持っているモノもあるだろう」


 アレックス自身も二人に、そして世間に隠している事実があり、それを後ろめたく思うところがある。だからユーリが『サラ』についての隠し事をすることを、怒るつもりはない。


「だがしかし、君の行動はあまりにも軽率で衝動的すぎた」

「それは、その、……すみませんでした」

「君の『サラ』への執着心……いや、情熱は別にあったって構わない。だが、君がそれに振り回されて衝動的に行動すると、私たちが困ってしまうんだ。君を助けたいのに、君は勝手にどこかへ行ってしまう。まるで信頼されていないように感じてしまう。そんなの寂しいじゃないか」


 パーティとして行動するということは、自分と他者が共存するということ。

 そこには損得勘定だけではなく、人間である以上、感情というものが付いて回る。


 認められれば嬉しい。

 意見が合わなければ腹立たしい。

 仲間が傷つけば悲しい。


 それらは単純なことでありながら、パーティのパフォーマンスに大きく影響する。

 そして今回のユーリの行動は、ようやく形になり始めていた『信頼』を、自らの『欲望』で崩したようなものだ。その結果『不信』という感情が発生してしまい、パーティはギスギスしている。

 ユーリの頭に『仲間と行動している』という意識があれば、こんなことは起こらなかったはずなのに。


「さっきの話を忘れてしまったみたいだから、もう一度言うよ。ユーリ、私たちは目的はそれぞれ違えど、互いに助け合う仲間だ。君独りではなく、仲間がいるということをどうか忘れないでおくれ」

 

 ユーリが素直に頷いたのを見て、アレックスは表情を柔らげた。


「……君は、体力のないシエラのために休憩をこまめにとってくれるし、私が戦いやすいように敵を誘導してくれるね。そういう優しさを私もシエラも信頼しているんだ。だから、えーと、つまり、なんだ、ほら、アレだよ」


 良いことを言ってまとめたいのに、うまい表現が出てこない。

 これでは詩人になれそうにもないなと苦笑し、アレックスは思ったままに言葉を伝えることにした。


「優しくしてくれる人が傷ついたら悲しいだろう?ってことさ」


 静かに項垂れるユーリ。

 その姿を見て反省していると判断したアレックスは、説教もそこそこに切り上げ、仲直りの方向へ舵を切る。


「ほら、シエラ!当の本人もこの通りだし、そろそろ仲直りしよう!そして次なる目標へ進もうじゃないか!ね?」

「あのねアレックス、私は……っ」


 頬を膨らませたシエラがようやく口を開いたその時、三人の頭上に突風が襲いかかった。


「……!女帝毒蛾エンプレスヴェノモスだ」

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