第11話 言葉
正確な体内時計が、地上の朝を告げた。
どこまでも広がる暗がりの中で、太陽のような瞳が目を覚ます。
モゾモゾと手を動かし、
チラフィの件から三日。
結局、怪しい男の正体も目的もわからなかった。仕方なく、三人は探索を続けることにした。
シエラの魔物を浄化する試練は順調に進み、残りは九十一体。回を重ねる毎に戦闘の立ち回りにも慣れ、チームワークもよくなってきた。
この調子ならシエラの目標もすぐに達成できるだろう。そんな期待感とともに眠り、そして新しい朝を迎える。
布を張っただけの簡易テントの中、アレックスは服を脱いだ。
そして寝る前に緩めていたサラシをきっちり巻き直す。巻かなくてもバレないくらいささやかな胸ではあるが、念のため。
次は腹回り。
胸の膨らみは胸筋と言い張ればなんとかなるが、クビレや腰回りは誤魔化せない。だからグルグルと何重にも布を巻き、凹凸を徹底的に消す。
その上から再度服を着用し、さらに革鎧を纏えば完璧だ。
続いて長い髪を整え、あえて少し崩す。これは女性っぽさを消すための大事な行程だ。
最後に、全身を
よし、今日もアレックス・フィンリー・カーネリアンは格好良い。
準備を終えてテントの外に出ると、ユーリが黙々と短剣の手入れをしていた。
その姿を見て、アレックスは「ふむ」と考え込む。
アレックスには、自分が格好良いという自覚がある。
その上での判断だが(自分には及ばないものの)ユーリもなかなかに良い顔をしていると思う。
切れ長の目元に青紫の瞳。同じ年頃だというのに、その目に宿す光は妙に大人びている。全体的にシャープで冷たそうな印象だが、ふんわりとした毛質の髪が、それらを包み込み、中和していた。
こういうタイプは厄介な女性からモテるよね……などと考えつつ、アレックスは元気よく挨拶する。
「おはようユーリ!朝から武器の手入れとは熱心だね!」
「おはよう。お前、起きてから出てくるまで長いな。シエラよりは早いけど」
「あー。……朝は苦手でね!ついぼんやりしてしまうのだよ!」
「ふーん」
焦って適当に言い訳したが、ユーリは特に追求してくるわけでもなく、再び短剣へ目を落とす。
準備に時間がかかる=女だとバレずに済んだアレックス。
安心したところでふと、短剣を見つめるユーリの目が妙に据わっていることに気がついた。
「ユーリ、なんだか……なんだろう。もしかして寝不足だったりするかい?」
「いや、ぐっすりだったけど」
「そう?そのわりに目付きがこう……爛々としているというか、ぼんやり興奮しているというか」
「ああ」
言い惑うアレックスに対し、ユーリはニコリと無邪気に笑った。
「夢で『サラ』に会えたんだ」
ユーリの青白い頬に、僅かながら赤みが差す。
その目はアレックスではなく、どこか遠くを見つめていた。
謎の人物『サラ』。
彼女がどんな人物で、どうして会いたいのか。それはユーリ自身にもわからないらしい。
奇妙な話だと思いつつも、アレックスはそんなユーリを好ましく思っていた。
誰かのために全てを捧げる気持ちは、アレックスにも理解できたから。
「ユーリ、アレックス、おはよ〜」
「おはようシエラ」
そこへ準備と朝のお祈りを終えたシエラが、ようやく二人のもとへやって来た。
彼女を見た瞬間、アレックスの口は条件反射で動きだす。
「おはようシエラ!今日も
「もう、アレックスってば……」
口を尖らせ照れるシエラを見て、思わず撫で回したくなった。
弟を持つアレックスとしては、彼女から醸し出される妹感に、守りたくて堪らない気持ちにさせられる。顔立ちだは整っているし、人懐っこい性格もかわいい。
アレックスはニコニコと愛らしい彼女を見つめた。
ユーリが呆れたように呟く。
「よく毎度毎度、違う誉め言葉が出てくるな」
「美しいものを誉める言葉と、誉めるべき対象が無数にあるこの世界に感謝!だね!」
「お前、剣士なんか辞めて詩人になれよ」
「それも悪くないね!老後とか!」
*
三人は輪になって座り、質素な朝食をとりながら会話する。
話題は今日の行程について。
道に詳しいユーリが指針を示し、それに従うのがいつもの流れだ。
ダンジョンには三年潜っていたというユーリだが、それ以上に細部まで詳しく把握しているようだ。その知識量を頼もしく感じると同時に、不思議にも思う。
そんなユーリが、今日の段取りについてこう話した。
「今日は三階層下まで行こうと思う」
その発言に、アレックスとシエラは目を合わせた。
戦闘に不慣れだったからとはいえ、今までは一日に一階層程度しか降りなかったのに。急な急ぎ足に、アレックスが思わず突っ込む。
「おや、昨日まではゆっくりだったのに。今日は随分と急いで進むじゃないか。どうしてだい?」
「あ、ええと……ほら……」
その表情が揺らいだのをアレックスは見逃さなかった。
すぐに表情を取り繕ったユーリは、至極冷静に、いつも通りの顔で理由を話す。
「これまでの戦闘でシエラの立ち回りも板についてきたし、俺らも
「……危なくない?」
「危なくないわけがないだろ。ダンジョンだぞ?」
シエラの懸念は一刀両断された。
確かに、安全なダンジョンとはおかしな話である。納得させられたアレックスはユーリの表情のことも一瞬で忘れ、大仰な仕草で立ち上がった。
「なに、危険になったら私が身を呈して君たちを守るとしよう!前衛の私を信じてくれたまえ!」
「……だそうだ。まあ俺も後衛として付いているわけだし。シエラは安全なところから浄化と
「そっか、そだね。二人が守ってくれるもんね!」
一切曇りのない、シエラの眩しい笑顔が向けられる。
二人は思わず目を細めた。
*
土だけの空間に、徐々に緑色が見えるようになってきた。
細長い植物が絡まり合い、何かを探すように壁を伝う。
「ふむ、景色が変わってきた。……ということは、また一階層降りたようだね」
「そうだな」
周りを見ることもなく、前を向いたままユーリが返事をした。
一方でシエラは好奇心のままに、始終周囲を見回している。髪に引っかかった蔓を摘みながら、彼女は純粋な疑問を口にした。
「太陽もないのにどうやって育っているんだろう?」
「一説によると、地下水に乗って流れてくる魔力を吸って成長するらしい。だからダンジョンの植物は魔力を帯びていて、薬草としての価値が高いとか」
「へ〜。ユーリって物知りだね」
「昔の知り合いが言ってたのを思い出しただけだよ。俺じゃない」
足を止めることなく、ユーリは肩を竦めてみせる。
その肩を眺めながら、アレックスは「昔の知り合い」という言い方に引っかかっていた。
前のパーティにいた人物であれば、昔とは表現しないだろうし、その前にも誰かと組んでいたということだろうか?
しかしそう仮定すると、ユーリは十二〜十三歳よりも前からダンジョンに潜っていた計算になる。
ありえなくは無いのだが、小さい子供を連れて潜るとなると相応の負担がかかる。そこまでして連れて行く理由があったのだろうか。例えばユーリの両親も探索者だったとか。いやしかし、ユーリは孤児だと聞いていた。
一体誰が、いつ、ユーリと潜っていたのだろうか?
そんな疑問に耽っていたところで、ユーリの背中が小さくなっていることに気がついた。
アレックスたちを置き残し、何かに引き寄せられるように、ユーリは急いで進み続けている。
「待ってよユーリ!早いってば!」
「え?……ああ、悪い」
シエラの声に、ユーリはようやく足を止めた。
しかしまたすぐに進んで行ってしまい、また呼び止める。
そんなやり取りを何回か繰り返しながら、そして数匹の
*
「なあシエラ。今日のユーリはどこかおかしいと思わないかい?」
「そうだよね。アレックスもそう思うよね」
すっかり緑が濃くなり、土を蹴る音から、サワサワと葉の擦れ合う音に変化した空間。
先ほどの場所から二階層降りたところで、アレックスとシエラは小声で話し合う。
「いつもなら、ちょこちょこ振り返って様子見てくれるし、休憩する?って聞いてくれるのに」
「どうも急いでいるようだ。一体何が彼をそうさせているのか……」
そう言ったところで、ようやく先に行っていたユーリに追いついた。
シエラが
よく見るとそれは全て植物で、大小様々な無数の蔓が伸び、通路を塞いでいる。繭のように幾重にも覆われているようで、ユーリが何度も何度も短剣を突き立てるものの、切った先からまた新しい蔓が現れていた。
「……ユーリ?」
「!……あー、悪い。また置き去りにしてた」
「ねえ、どうしたの?今日ずっと変だよ?」
「いや、別に……。それよりもコレ!塞がれてて進めないんだけどさ」
必死な様子で蔓を引っ張るユーリ。
それはそれは、誰が見ても普通じゃないと判断できるほど、滑稽なくらいに焦燥していた。
「ここ以外の道から行くのではダメなのかい?」
「……っ、ほら、せっかくここまで来たんだし、その」
「やれやれ。いつもの冷静な君はどこに行ったのかな?」
アレックスが剣を片手に前へ出る。
そして切っ先を緑の壁に向けながら、鋭い目つきで睨みつけた。
「ふむ。私なら、この壁なんて一撃で切り倒せるね」
「じゃあ……!」
「で、この向こうには何があるんだい?」
「……」
押し黙るユーリに向かって、アレックスは諭すように言葉をかける。
「ユーリ。目的は違えど、私たちは互いに助け合う仲間だろう?だからこそ今日の君はちょっと見過ごせないね。あまりにも気持ちが先に行き過ぎている」
「そんなに俺、変だった?」
「ああ、とてもね。……まさかこんなに誤魔化す演技が下手だとは思わなかったよ。
「いらない
アレックスの軽口を、シエラがばっさりと切り捨てた。そんな冷たい対応に「おやおや」と笑って、アレックスはユーリに近寄る。
まるで親に叱られる子供のような表情の彼に対し、アレックスは柔らかく微笑んだ。
「まあ、なんだ。今朝の話を思い出したから、なんとな〜く予想はつくが……きちんと言葉にして伝えて欲しい。でないと私たちが不安になってしまうからね」
ユーリの口が小さく「言葉に……」と呟いた。
それに対して頷き、アレックスは問いかける。
「ユーリ、君はどうしてこの先に行きたいんだい?」
「……夢で、サラがこの先に、何かあるって言ってて……」
「やっぱりね」
溜め息交じりにシエラがぼやく。どうやら彼女も多少は察していたようだ。
バツの悪そうなユーリに対し、シエラは更に追撃する。
「もう、今日ずっと変だったから心配したんだよ!?別にお互い目的は知ってるんだから、はっきり言えばいいじゃん!」
「いや、夢で〜とかそんなこと言ってたら引かれるかなって……」
「うちの家のこと以上に引くことあると思う?」
「やめてシエラ。お前の家の話は自虐ネタだとしても笑えない」
「え?」
「え?じゃねーのよ」
ああ、いつもの雰囲気が戻ってきた。
安心したアレックスは満足げに頷き、改めて剣を構える。
「よしよし、これでわかったね!大切な仲間は『愛』のために焦燥感に駆られていたのだと!では私も張り切って、その愛の手助けをするとしよう!」
「うるせぇ愛って連呼すんな」
顔を赤らめ照れるユーリを笑い飛ばし、深呼吸して気持ちを切り替えるアレックス。
きつく柄を握る手に集中し、剣と腕とが一体化するイメージを浮かべる。
私は獣、剣は爪。
私の声に全ての生き物は恐れ慄き、私の腕は全てを破壊するのだ。
さあ喰らうがいい、ノーゼアン流剣術。
「
斜めに振りかぶった剣が、重い一撃を繰り出す。
切った、というよりも圧し潰したような斬痕が刻まれ、緑の壁がミシミシと悲鳴をあげた。
数秒の間を置いて、道を塞いでいた蔓は崩落する。
そして蔓の奥から、大量の
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