− 記憶 − ②

 貧民街で生まれた少年は、自分で自分をユーリと名付けた。


 窃盗や暴力に頼って日々を暮らし、生まれてからずっと感じていた『ダンジョンへの渇望』だけを生きる糧としてきた。


 そうしてなんとか生き続けて十二年。

 ついにユーリは、ボロボロの安い剣を片手に探索者となる。

 探索者になれば魔物狩りなどで生計を立てられるだけでなく、ダンジョンの中から呼ぶ『誰か』に会えると思ったのだ。


 ダンジョン内での出会いはユーリを強くした。


「文字を知り、言葉を知りなさい。それらは、きっと君を助けるだろう」


 ユーリを荷物持ちとして雇った男・グレイシャは、そう言って読み書きを教えてくれた。教えられるがままにユーリは学び、グレイシャとともに古い図鑑や歴史書を読んだ。

 彼の知識は非常に有用で、特に最初に教わった『食べられる植物と食べられない植物の見分け方』などは、ダンジョン内で生活するのに、大いに活かされた。


「グレイシャ、なに読んでるんだ?」

「これは旧王国文字の、成り立ちと変化の、古い論文だよ。君も、読んでみるかい?」


 このように、グレイシャはいつもゆっくり喋る。白いヒゲに覆われた顔と相まって、ユーリは彼のことを祖父のように感じていた。


 彼はジャスパー王国の国王から正式に命じられ、ダンジョンの研究に来たと言う。

 そのため、彼は多くの時間を採掘や採集に費やした。一箇所に留まって、延々と土を掘り続ける。

 そんなゆっくりとした時間が、ユーリは好きだった。


「グレイシャ。そんな草採ってどうすんだ?」

「これかい?植物に含まれる成分や、魔力を調べると、ダンジョンが、いったいどうやって作られたのか、わかるかもしれないのさ」

「ふぅん?」

「この植物の中にも、ダンジョンの謎が、含まれている。……ロマンを感じないかい?」

「……命令されてやってるのに、ロマン?」

「はははっ。やらなきゃならない、頼まれごとにも、楽しみ・喜びを見いだすのさ。それが、豊かな人生の、コツさ」


 彼がいつもそんな心構えでいたから、いつもそうしてニコニコしていたから、グレイシャの側は心地よかったのかもしれない。

 ダンジョンへの渇望を忘れ、いつまでもこの安らぎの中にいたい。ふとそう思ってしまうほどに。


 しかし、グレイシャは研究の目的を終えると、ユーリとあっさり別れたのであった。


 *


 グレイシャの次にユーリを雇ったのは、アサシンの男・ラーヴァ。

 ラーヴァは骸骨のように細く、そしてよく喋る男で、聞かれなくても自分の武勇伝をペラペラと語った。


「オレサマは対人戦では無敵なんだぜ!とある国の王家にこっそり頼まれてこの国の貴族を殺したり、有名な学者様を静かに人生から退場させたり、あとは奴隷に頼まれて主人を亡き者にもした!」

「……どこまでが本当?」

「ぜ、全部だ!全部!」


 話の内容は怪しかったが、実力は確かなものだった。

 ラーヴァは己の技術を惜しむことなく教え、ユーリの成長を自分のことのように喜んだ。

 迷宮のような階層では逃走のコツを教わり、ギルドの買取受付では、より高値で買い取ってもらう方法を教わった。

 そうしてズル賢く、逞しく生きる術を身につけたユーリ。

 ラーヴァと過ごす時間は、スリリングで愉快だった。


「ユーリ、今日は実践兼トレーニングだ!つまり主役はお前!お前は仲間とはぐれた少年のフリをして、ターゲットに近づくんだ、自然にな!」

「自然に?」

「そうだ!お前が違和感なくターゲットに近づけたら、そのターゲットをオレサマが殺る!」


 ラーヴァは八重歯をむき出しにして楽しそうに笑い、骨のような指を突き付ける。


「いいか?暗殺の最初の一歩、初歩の初歩はな、ターゲットに警戒されず近づけるようになることなんだよ!殺意に気付かれずに半径一メートル以内に自然に入り込むんだ。そうすればもう暗殺は六十パーセント成功したようなもんだ!あとは殺す技を身につければいいだけだから、まずは近づく練習だ!」

「できればその『技』の方を先に知りたいんだけどなぁ……」

「ダ~メ~!」


 何だかんだでトレーニングは成功したし、後からきちんと暗殺の技も教えてくれた。

 ただ、その教え方はいろいろとダイナミック過ぎた。そのせいでユーリは、しばらくの間、師匠の血塗れの笑顔を夢で見続けることになる。

 そして悪夢と戦うこと二週間。気がつくとユーリは、立派なアサシンへと成長していた。


 ある日、ユーリに「なぜ自分を雇ったのか」と聞かれ、ラーヴァは照れたように笑った。


「オレサマ、一人でいるのが寂しくなっちまったんだよ。誰でもよかったんだ。誰か話し相手が欲しかった」


 そこから数ヶ月。彼が病気で亡くなるまで、アサシンの修行は続いた。


 ラーヴァの骨はダンジョンの一角に埋めてある。そこなら人もたくさん来て、彼も寂しくないだろう。


 *


 そうしてダンジョンの中で、出会いと別れを繰り返し、様々な探索者から生きる術を教わった。

 金品全てを盗まれたこともあったし、心優しいパーティに助けられたこともあった。

 貴族にバカにされることもあれば、同郷出身者といがみ合うこともあった。

 殺すことも、殺されそうになることも、良いことも悪いこともあった。


 そうして長くダンジョンで過ごしているうちに、『SARAH』と刻まれた短剣を手に入れ、ユーリは前世の記憶を取り戻した。



 次の雇い主は、ローズという女性。

 ダンジョン内で仲間とはぐれてしまったという彼女は、仲間と再会できるまで組んで欲しいとユーリに頼んだ。

 断る理由もなく報酬も高額だったので、ユーリはその依頼を素直に受ける。


「へえ、貧民街出身なの。それなら、きっと苦労してきたのでしょうね」

「嫌じゃないのか?」

「私は差別なんてしないわ。人間は平等だもの」


 貴族にしては珍しく、彼女はユーリの出身を聞いても見下したりしなかった。それどころが生い立ちを聞いて涙し、尊敬するとまで言ってくれた。

 今まで出身による差別を当たり前のように受けていたユーリは衝撃を受け、貴族にも良い人はいるのだと、認識を改めることになる。


 そんなローズと親交を深めながら、徐々に徐々に奥へと進み続けたユーリ。

 時に庇い合い、時に語り合い、彼女との日々は掛け替えのないものとなっていった。


 しかし、そんな日々も呆気なく終わる。

 下層の手前でユーリは、ローズを庇い大怪我を負ってしまったのだ。


「ねえ、お願い……!もう潜らないで!」


 ローズは抱きつくと、涙混じりの声で懇願した。

 散乱する魔物の死骸の中、彼女の濃い緑色の瞳が、血の赤によく映える。


「探索者なんて、こんなに危険なのよ!もうこんな仕事やめましょう……。ねえ、結婚して、子どもを作って、静かに暮らしましょうよ。普通の仕事して、普通の家を建てて、普通に幸せになりましょう……!」


 その声に込められているのは願望と恐怖。

 底の見えないダンジョン攻略への恐怖か、それとも、病的にダンジョンへ固執するユーリへの恐怖なのだろうか。


 今、ユーリの前には二つの選択肢がある。


 ひとつ。無謀だとわかっていても目の前のダンジョンに挑み、死ぬとわかっていてもより下の層へ進むこと。

 ふたつ。自身の呪いを解き、残りの人生を彼女と静かに送り、何もかもを今世で終わらせること。


 ひとつは険しく痛々しく、ひとつは甘く優しい選択肢。


 当然、ユーリは自分の実力を痛いほど理解していた。

 先ほど魔物に抉られた肉がジクジクと痛み、空気に触れる神経が悲鳴を上げている。思考は落ち着いていても、貧血と激痛で体はぐちゃぐちゃだった。

 対人戦での振る舞いは学んだが、魔物の前では役に立たなかったようだ。

 下層に入る手前でこんな大怪我をしているようでは、その先、もっと深いところなんて到底潜れっこないだろう。


 そんな現状に比べて、ローズと結婚し、平和に暮らす未来。

 ああ、それはなんて魅惑的な未来だろう。———


「ダメだ……。俺、もっと下に行かないと」

「なんで……っ、なんでそんなにダンジョンに執着するの!?私と子どもを作るのはそんなにイヤ!?このまま進めば死んじゃうのよ!!」


 喚くローズに胸を叩かれ、ユーリはよろめいた。

 しかし確固たる意志を持って踏ん張り、彼女の横を通り抜ける。


「ごめん」


 そのたった一言で、彼女は膝から崩れ落ち、首を振った。


 呆然とするローズを置いて、ユーリは満身創痍のまま歩き始める。血の道を残しながら、より深く、より深くへと進もうと足を進める。


「俺は『サラ』に会わなきゃいけないんだ」


 決意に満ちた独り言。


 それは、幼児が水溜まりを見たら飛び込まずにはいられないような。

 もしくは、飛んでいる虫を払おうとするかのような。

 そんな理由のない衝動。


 ……いや、それぞれ理由はある。

 幼児は楽しいから水溜まりに入るし、虫は気になるから追い払う。


 そしてユーリはただひとつ、『サラに会いたい』という衝動だけを頼りにダンジョンへ挑む。


 下層に入って、たった十メートル。

 そこでユーリは、失血により命を落としたのであった。

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