第5話 少女

 後頭部で柔らかな何かが動く感触。

 どうやら、いつの間にか気絶していたようだ。

 

 前世の記憶はまるで嵐のように過ぎ去り、今は頭の片隅に静かに居座っている。人格が入れ替わるだとか、記憶が塗りつぶされるだとか、そういう事はなさそうだ。


 自分のアイデンティティが保たれたに安堵すると同時に、ポカポカとした温かさが全身を包んでいることに気がついた。

 過去に何度か経験したことがあるような気がする、この温かさ。

 それがなんなのか思い出せないまま、ユーリはゆっくりと目を開いた。


「あっ!目を覚ました……!」


 視界いっぱいに、逆さまの笑顔が映る。

 笑顔を浮かべるのは、澄んだ青い瞳に、柔和で整った顔立ちの少女。柔らかな絹髪がユーリの頬に垂れ下がって、くすぐったさを感じた。安心したような表情の彼女は、太陽を背に神々しく輝いて見える。

 陽の光のように温かな指先が、ユーリの額や頬に触れた。


「大丈夫?痛いところとか苦しいところはない?」


 前世の記憶の濁流で、体はまだ混乱し、酔っ払っているような感覚が残っている。しかし死にたいほどの頭痛は綺麗さっぱりなくなっていたので、ユーリはゆっくりと頷いた。

 それと同時にむにむちとした感触が後頭部で動き、ようやく今自分が置かれている状況……即ち少女に膝枕してもらっているということに気がついた。

 ユーリは慌てて飛び起き、少女から距離を取る。


「あっ!ダメだよ、急に動いちゃ!」

「すっ、すっ、すみませんでした!膝をお借りしてえーっと」


 顔を赤くし慌てるユーリに対し、少女は落ち着くようにアドバイスする。


「はいはい、まずは深呼吸〜」

「……スー……ハー」

「落ち着きました?」

「落ち着きました」


 その時、ユーリは気がついた。

 深呼吸を促すと同時に、少女がさりげなく鎮静魔法セデーションを使っていたことを。プロの治療師がよく使う手だが、少女も手慣れた様子で使用していた。

 おそらく治療行為に慣れているのだろう。おかげで水を飲んだのと同程度には落ち着くことができた。


 最初はギルド専属の治療師かと思ったが、制服を着ていないので違うとわかる。能力的に後方支援職の治療師か、魔術師あたりだろうか。

 未だに混沌としている思考の片隅でそのように考えつつ、ユーリは感謝の気持ちを込め、少女へ手を差し出した。


「ありがとう。君が治療してくれたんだ?」

「うん、そう!ここで休憩してたら急にあなたが苦しみ出して、ビックリした!それで慌てて治癒ヒールしたの」


 しっかりと握られた手は小さく、そして柔らかい。

 ポカポカする感覚は、彼女がかけてくれた治癒ヒールの名残だったようだ。


「助かった。結構ヤバかったから本当に感謝している……えーと、それで治療費はいくらだ?」


 見知らぬ人に治癒ヒールしてもらったら、それ相応の謝礼を渡す。これはギルドやダンジョンでの常識である。……たまに押し売り治癒ヒールなんてことも起きるのだが。

 しかし、ユーリの申し出に対し、少女は目を丸くした。


「あっ、お金はいらないよ!私はただ助けなきゃって思っただけで……」

「いや、でも常識だし。金ならあるから心配しなくていいって」

「え?常識なの?……そうなんだ。いやぁ、でもなぁ」


 謝礼を受け取る事に、やたら抵抗を示す少女。

 反応からして最近ギルドに来たばかりだと推測できるが、せっかく儲けのチャンスなのに、何か事情があるのだろうか。ユーリは首を捻った。

 というか受け取ってもらえないと、こっちもこっちでスッキリしないのだが。

 しばらくの間「でもなぁ、でもなぁ」と呟いていた少女は、やがて押し黙ると、ユーリの上から下までじっくりと眺め始めた。


 なんとも言えない空気が続く。

 少女の品定めするような視線に晒されつつ辛抱強く待っていると、ようやく少女が口を開いた。


「……あなたって探索者でしょ?ダンジョンって慣れてる?」

「ああ、三年は潜ってた。つい最近ク……したけど」

「じゃあさ、お金はいらないからさ。お願い聞いてもらえないかな?」

「内容による、としか」


 少女は少し申し訳なさそうに、上目遣いで見つめてきた。


「私とダンジョンに潜ってほしいなー……って」


 *


 少女の名前はシエラ。

 あまり聞いたことのない『聖女見習い』という職業らしく、ダンジョンには修行と試練のために来たという。

 ピカピカの探索者証明書を大事そうに抱き、シエラは状況を説明をしてくれた。


「正直な話、見返りなんて全然いらないの。だって私は『聖女見習い』なんだから!私は本物の『無償の愛』を証明して見せるの!」


 謝礼を拒否した理由を、シエラはそう語った。

 その理屈がよくわからず、ユーリは「へえ」とだけ応える。


「でもなぁ。本当に金はいいのか?別に上層くらいなら付き添ってもいいんだけどさ。さっきも言ったけど俺、非戦闘員だったわけだし」

「でも三年もダンジョンにいたんでしょ?それに解呪って大事なスキルらしいじゃない!」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、せめて一人前衛がほしいかな」

「そっかぁ……もう一人」


 頬杖をついたシエラが、目だけキョロキョロとさせる。

 先程と比べて人の姿は疎らになり、今すぐ前衛を引き受けてくれそうな人はいなかった。


「つーかそもそもの話、なんで聖女見習いがダンジョンに行くんだよ」

「なんでって……効率がいいからだよ」

「なんの効率だよ」


 要領を得ない会話にユーリが突っ込む。

 するとシエラは首を傾げながら懐を探り出した。


「うーんと、六歳の頃だったかな?聖女の素質があるって認められて、私、聖女見習いになったの。見習いは他にも何人かいるけどね」


 一枚の紙がユーリの前に突き出される。

 そこには教会の公式文書である証と「シエラ・セラフィを聖女見習いとして認める」と記してあった。


「ふふ、聖女見習いに選ばれるのってすごい名誉なことなんだから!」


 シエラが自慢げに胸を反らす。

 それに応じて羽織っていたローブがグイッと持ち上げられ、意外に大きい胸がバルンッと存在を主張した。

 そして当然、ユーリの視線も自然とそれへ誘導される。


「……どうしたの?どこ見てるの?」

「いや、素晴らしいなって思って」

「えへへ、そうでしょ!それでね、選ばれたらまずは数年間勉強して、お祈りとか歌とかを覚えるの。で、そろそろいいかなって頃に試練に挑むの」

「ふーん。どんな試練だ?」

「二年間無償で治療院に務めたりとか、二週間山でサバイバルしたりとか、……つい最近までは、三年間誰とも会話せずに塔の中で祈りを捧げ続けるっていう試練を受けてたの。いやーさすがにあれはしんどかったな~」


 涼しい顔でさらっと恐ろしい経験を語るシエラ。

 おっとり優しげな見た目に反し、案外タフな精神をしているようだ。それとも精神的にタフな者が聖女見習いとして選ばれるのだろうか。


「それで、次の試練が『魔物を百体浄化する』っていうやつなんだけど」

「ダンジョンなら無限に魔物が現れるから効率がいい……ってことか」

「そーゆーこと!森とかでも出ないことはないけど、やっぱりダンジョンに比べたらすっごく少ないしね」

「だからダンジョンには行きたい。でも戦えないから俺に手伝ってほしいと」


 ユーリの言葉に、シエラは恥ずかしそうに頷いた。


「聖女見習いに選ばれる子のスキルって、だいたい『心眼』とか『結界』とかなんだよねー。私のスキルも『浄化』だから直接戦闘には向いてないし。でも三年間誰とも喋らない試練の後にコレだから……」

「一人じゃ戦えないし、知り合いもいないし、イチから新しく人脈作りをしなきゃいけないのか」

「うん。だからみんなこの試練に苦戦してるの……まあ、三年間の孤独に比べたら全然平気なんだけどね!」

「すごいな。俺だったら孤独は耐えられないわ」


 ユーリの誉め言葉に、シエラはいたずらっぽく「にひっ」と笑った。

 その表情はとても可愛らしく、親しみやすい。聖女なんかより給仕とか花屋とか、接客業の方が向いているように思えた。

 そう考えたところで、ふとユーリの中に疑問が浮かび上がり、目の前で呑気にお茶を啜るシエラに問いかける。


「……シエラは、なんで聖女見習いになったんだ?」

「なんでって……教会から誘われたからだよ」

「そうじゃなくて。目的だよ、目的。そんな大変な試練まで受けて、なんか聖女を目指すきっかけとかあったのか?」

「ああ〜。まあ、あんまり深くは言いたくないんだけど……」


 無邪気な顔から、ほんの一瞬光が失われる。

 温度も湿度もない無感情な声がユーリの鼓膜を震わせた。



「逃げるため、かな」



 端的に表された言葉の意味がわからず、ユーリは思わず眉根を寄せた。

 対面する少女はもうすでに、先ほどのニコニコと人当たりの良い表情に戻っており、一瞬だけ見せた寂寞感など欠片もない。本当に同一人物かと疑いたくなるほどに。

 ユーリは混乱のままに声を出す。


「は?……逃げる?何から?」

「いいじゃん別に。で、そういうユーリはなんで探索者になったの?」

「……」

「私のは教えたでしょ?ねー教えてよ」


 笑顔ではぐらかされ、なおかつ答えにくいことを聞かれてしまった。

 どう答えるべきか、ユーリは悩んだ。

 果たして「会いたい人がダンジョンにいるから」と説明したところで、シエラは引かずに受け入れてくれるだろうか。

 しかし、ここで言わなければまた不審がられ、その後の関係に影響するかもしれない。

 試練を達成すればシエラとはすぐ別れるだろうし、それならいっそ、言ってしまえ。


 そうして引かれてもいいと決意を固めたユーリだったが、口を開いたところで再び頭痛に襲われる。軽い頭痛ではあったが『会いたい人』という言葉に反応したのか、前世の記憶が再び湧き上がってきた。


 ―――サラの歌うような声が聞こえる。

 彼女は自分に手を差し伸べ、湖から引っ張り出し、目線を合わせる。

 俺とサラは何かを語り合い、笑っている。


 何を話していたのだろうか?

 彼女は何者なのだろうか?

 なぜダンジョンにいるとわかるのだろうか?

 サラもまた自分と同じように、転生しているのだろうか? 

 そもそも、どうして自分はサラに会いたいのか?


 断片的な記憶だけでは、答えはわかりそうにもない。むしろ思い出せた前世の分、余計に謎が深まったようにも思う。


 急に黙ったユーリを不思議そうに見つめるシエラにも気がつかず、彼は頭痛と思考に沈んでいく。しかし、



「おやおやあ?なんでこんなところにユーリがいるんだ?」



 完全に沈みきる前に、嫌味な声が勢いよく割り込んできた。

 非常によく聞き慣れた、聞くだけで腹が立つような声だ。

 ユーリは隠すことなく舌打ちすると、声のした方向へ振り返った。


「トレル……!」


 長い髪を揺らし、不遜な表情を浮かべたトレルが近寄ってくる。

 『六角の盾シェルハイヴ』を脱退したのが午前の事なので、別にトレルがここにいてもおかしくはない。しかし、わざわざ話しかけに来るとは思わなかった。

 露骨に嫌な顔をするユーリに対し、トレルはバカにしたような表情を浮かべる。


「てっきり町で仕事でも探しているかと思ったんだがなあ……まだここにいたのか?」

「お前こそ。今日から俺に押し付けてた雑務を自分でやらなきゃいけないんだ。とてもだろうに、こんなとこウロついてる余裕なんてあるのか?」


 皮肉たっぷりに答えると、トレルはフッと鼻を鳴らした。


「俺様はパライバル家の三男だ。子爵家だぞ?王族の血も入っているんだぞ?雑務だなんて、それは下の者の仕事だ。お前と違って、俺様は人の上に立つべき存在なんだよ」

「パライバルだかハラクダルだか知らねーけど、本当に性格終わってるな」


 自分の一方通行だったとは言え、『六角の盾シェルハイヴ』のことはちゃんと好きだったし、今でも印象は良いままである。


 だがしかし、トレルこいつだけは最初から最後まで大嫌いだ。もうパーティも抜けたことだし、思い出に一発殴っておこう。

 そう考えたユーリは、状況がつかめずオロオロしているシエラに向かって「ちょっと待ってて」とだけ言うと、立ち上がってトレルに近づいた。


「おやあ?仕事探しの前に女漁りか。随分と余裕そうだなあ!」

「違ぇよ、新しい仲間だ。ママにお願いしないと何もできないお前と違って、俺は自力でお友達を作れるからな」

「なっ!」


 どの部分が図星だったのだろうか。ユーリの挑発を聞いたトレルの顔が、真っ赤に染まった。

 拳を握りしめ、怒りで全身がブルブルと震える。それはそれは、実に滑稽な姿だった。


 シャッ、と金属音が鳴る。


 トレルは剣を抜き、ユーリに突きつけた。震える剣先が喉をかすったが、ユーリは黙って睨み続ける。

 周囲の人が何事かと二人を注目する中、トレルが声を荒げた。


「ふ、ふ、ふざけるなよっ!ああ畜生、その顔!お前を初めて見たときから、本能的に、ずっっっと気に食わなかったんだ!」

「奇遇だな、俺も人をコキ使うようなクズは大嫌いだよ!」

「……決闘だっ!お前なんか二度とギルドに来れないくらい打ちのめしてやる!」

「はっ!望むところだ」

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2024年12月2日 19:05
2024年12月5日 19:05
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君に会いたくて転生した - 前世の記憶で攻略無双、いつか至るダンジョン最下層 - 加賀七太郎 @n4_seven

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