第4話 前世
ギルドの中庭は、風が通り抜けて心地よかった。
清々しい空。花壇は手入れされ、ハーブや花が瑞々しく咲いている。
日向で昼寝をしている男や、ベンチで何やら相談中の老人とギルド職員。木陰でゆっくりお茶を飲んでいる少女に、中央演習場で素振りをする若者。
皆がそれぞれ、思い思いの時間を過ごしていた。
それらを通り過ぎ、ユーリは端っこの芝生の上に腰を下ろす。
先ほど手にいれた短剣を取り出し、そっと表面を撫でた。
ユーリの肩から肘くらいまでの全長で、鈍く太陽光を跳ね返す短剣。鞘に彫刻された百合の紋様は繊細で、相当腕のある職人に作らせたのだろうと想像できる。
表面の汚れを拭き取りながら、ユーリの口から自然と言葉が溢れた。
「……危なかった」
さっきまでのユーリは、自分でもわかるほど頭がおかしかった。冷静さを欠いていたのは自覚している。
しかし、あの時は本気で何もかもを失っても構わないと考えていた。……危うく退職金の全てを失うところだった。
金がなくてはこれからの生活もままならない。
冷静になったユーリは、先ほどまでの自分を鼻で笑い、短剣に意識を戻した。
そして迷いのない手つきで短剣をメンテナンスする。
磨き続けていた表面はようやく綺麗になり、ユーリはドキドキ胸を高鳴らせながら、ゆっくりと鞘を抜いた。
現れたのは錆ひとつない美しい銀色。
先ほどまで土に塗れていたとは思えない、刃こぼれもなく、手入れなど必要ないほどに鋭い刀身。
その刀身に、小さく文字が刻まれていた。
『SARAH』
揺らめく銀色。
頭を殴られたかのような衝撃。
反転する視界。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛———っ!!?」
『
眼から手を突っ込んで脳みそを掻き出してしまいたい。
神経と言う神経全てを千切ってでも感覚を遮断してしまいたい。
そう思うほどの激痛。
涙と涎が溢れ出ている事にも気が付かず、ユーリは芝生に倒れ込みもんどり打った。自分が正気か狂気かもわからなく、地面を殴り付けて地獄から逃げようともがく。
意味の無い言葉を撒き散らかして、芝生を蹴り乱して、自らの皮膚を掻き毟った。
苦痛に痺れる脳髄の奥から、黒い靄に覆われた何かが迫ってくる。
頭蓋骨を裂くようにして、ユーリに突如、ある記憶が溢れ出した———
*
———ユーリは貧■街で生まれ、自分で自分をユーリと名付けた。
窃盗や暴力に頼って■■を暮ら■、生まれ■■から感じていたダン■ョンへの渇望■生きる糧とし■きた。
そして十二歳にな■とダンジョ■に挑んだ。ダンジョンの中で様■■出会いと別■を繰り返し、多くの探■者から生■るイロハを教わった。
食べられる■■と食べられない■も■の見分け方。
迷宮■の逃走のコツ。
魔物をより高■で買い取っ■■らう方法。
そう■■■た知識でダンジョンを攻■していると、中層で短剣を■に入れた。
短剣に導かれ■奥へと進み続■たユ■■だが、下層の■前で大怪我を負ってしま■。心配し引き止める■■■を突き放し、ユーリは下層へと進■だ。
下層に入■■たった十メートル。
そこでユーリは、失血により命を落としたのであった。
———ユーリはあ■ふれた庶民の家に生まれた。
彼女は幼い■から探索者になる■■を夢見て、家の手伝■をしながら鍛練を重ねて■た。
ある日、ユーリの住む町に国一番の剣■が訪れたと聞き、弟子入り■■。
師■から教わった剣技は、修行を重ねる■■に磨かれ、洗練■れていった。
より鋭く、より早■、より正確に。
ユー■の剣の腕は、やがて■■に負けないほどの強さとなった。
十五歳で一人前と認められると、ついに念■の■索者になる。
そして師匠と■にダンジ■■へ潜った。
出会いや苦労を重ね、仲間■増や■■がらダンジョンを進み、何■も諦めることなく挑み■けた。
そして■然手に入れた不思議な短剣によって■■に■をつけると、次々と各階層を突破し、十■歳で■いにダンジョンの『深層』目■まで到達する。
しかし、ついにユーリが『深層』■■ることはなかった。
仲間も、師匠も、自分も、みんな『■■の■』に頭を喰い千切られ■死んだのだった。
———ユーリは■爵家の五男に生まれた。
ま■に悪徳貴族といった家で、ユーリは無関心の中で■った。
しかし、それはユーリにとって■■ろ好都合で、彼は好きなだけ魔法の訓練に専念でき■。金に■■を言わせて有名な魔術師を雇うと、朝から■まで魔法の勉強に励んだ。
ユー■の魔法の腕はメキメキと成長し、■歳にしてゴブ■■を倒せるほどにな■■。魔力■体は平凡なものだったが、■■力と執念深さがユーリの強さに繋がっ■。
そして十五歳の誕生■。ユーリは物■小屋に■■た短剣を掴むと、ダン■ョンの深層を目指した。心配してついて■た婚約者と共に。
しかし、中層にも■■り着かない浅い所で、ユーリは殺された。
利権■目が眩んだ婚約者に■され、その生涯を閉じたのであった。
こうしてダンジョンを目指す少年が、青年が、少女が、短剣を手に入れ、仲間とともに魔物を倒し、倒される。
誇り高い騎士の家の二男として。
普通の大家族の長男として。
農家の一人息子として。
また同じ顔、また同じ顔、また同じ顔。
自分と同じ顔の
そんな不鮮明で断片的な記憶たちが叩きつけるように、光よりも早く脳内に流れ溢れた。
*
「……っ、ぅあ゛、ぐっ」
苦くて酸っぱい液体が口から溢れ出す。
記憶の濁流で脳も、体も、何もかもがぐちゃぐちゃにされる。
———この記憶はなんだ?
当然の疑問。
しかし一方で、それらの記憶はしっかりと、自分の経験として体に記録されている。
———俺は俺として生まれるよりも前から、ずっと『あの人』を探し続けていたのか。
だから今世の自分も、当たり前のように生まれた時からダンジョンを目指していた。それはまるで、ユーリという存在そのものにかけられた呪いのようだ。
だがその呪いは恐ろしいものではない。
その呪いは生きる希望だ。
その呪いは存在意義そのものだ。
ユーリは前世と記憶を受け入れ、『あの人』を探し続ける運命を受け入れた。
そして記憶は、さらに奥、古い地点まで辿り着く。
*
———これはどこだろうか。
木々に囲まれた静かな場所。
視界に映る湖は透明で、底にはキラキラと鉱石が光っていた。
涼しい風が吹いて、サラサラと葉の擦れる音がくすぐったい。
人の気配はない。手足の感覚もない。静かで、少し寂しい。
体が湖に浸かっているということだけが、かろうじて理解できた。
不意に、湖に波紋が広がる。
波紋の源をたどり、意識を向けた。
そのシルエットは少女の形をしている。少女は湖に裸足を付け、遊ぶように水面をかき回していた。
静かな湖に波が立つ。波に揺られて、感覚のなかった手足がモゾモゾと動きだす。
「誰だ?」
ユーリの問いかけに少女が微笑む。
微笑んでいるとわかったのに、なぜかその顔は靄がかかって見えない。
月夜に舞う、星を纏った長い髪が風になびいた。
伸ばされる手に、俺は触れようとする。
「わた■は■■」
その声を聞きたいのに、聞こえない。声が遠い。手が遠い。彼女が遠い。
でも、その美しい瞳の持ち主の名前を、俺は知っている。
俺を呼ぶ君の名前は———
*
ザワザワと騒ぐ人に取り囲まれ、意識がわずかに現実世界へ戻る。
吐瀉物に塗れ、息も絶え絶えのユーリがか細く呟いた。
「………サラ」
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