第3話 邂逅

「またな」


 実に短い別れの言葉だった。

 笑うでもなく悲しむでもなく、ブラッドは静かに言った。そしてそれ以上言葉を発することもなく、足早に去る。

 小さく遠くなる背中に向かって頭を下げ、ユーリは胸がギュッとなるのを感じていた。それは切なく、まるで迷子の幼児のような気持ちだった。


 あの後、最高に美味しい食事を楽しみ、ギルドへ戻り、そしてパーティ脱退の手続きを行った。

 手続きは粛々と進み、たった数分で、ユーリは『六角の盾シェルハイヴ』のメンバーではなくなってしまった。その呆気なさに、身構えていた心は置いていかれる。


 そして足音が完全に消えた頃、ユーリはようやく頭を上げた。

 

 親でもなく、兄弟でもなく。

 たった三年だけど、それでもまるで家族のような存在だった。


「ありがとう、ブラッド」

 

 言葉に出すと、また涙が溢れそうになる。

 ユーリはゴシゴシと乱暴に顔を擦り、無理やり前を向いた。

 いつまでもつき纏う寂寥感を振り払い、渡された退職金を確認する。約束では金貨四十枚だったのだが、数えてみると五十枚はあった。

 最後までブラッドは優しすぎる、と思わず笑ってしまう。

 ユーリは金貨を大事に懐にしまい、自分の道———ひとまずはギルドの受付へと向かった。


「では再登録の手続きをいたします」


 受付嬢は眉一つ動かさず、事務的な口調でそう告げた。メガネの奥の無感情な瞳は、逆にプロ魂を感じる。

 彼女に言われるがまま、ユーリは黙々と書類に必要事項を記入した。


 三年前は文字の読み書きすらできず、全てをブラッドに任せていた。しかし今は、自分の名前も書けるし、計算だってできる。

 この三年でずいぶんと成長させてもらったなと改めてユーリは感じた。


 そんな感慨深さとともに、書き終えた書類を受付嬢に渡す。

 すると受け取った受付嬢は鬼のような手さばきで魔法を展開した。小さな魔法陣がいくつも浮かび上がり、色とりどりの光が受付嬢のメガネに反射する。花束を造り上げていくように、次から次へと、魔方陣が立体的に束ねられていく。

 その美しい光景がどのような効果をもたらすのかをユーリは知らない。一体何をやっているのだろうかと覗き込んだところで、溶けるように魔法陣は消えてしまった。


「大変お待たせいたしました。ユーリ様個人の探索者証明書でございます」


 ユーリとしては少しも待っていないどころが、その魔法の展開の速さに驚いていたくらいなのだが。

 有無を言わさぬ雰囲気で、手のひらサイズの銀色のプレートが差し出された。

 表面には左右非対称の複雑な紋章が、裏側には『ギルド・ジャスパー王国本部』という文字が刻まれている。


「あの……」

「はい」

「……」


 受付嬢はニコリとも笑わない。

 先ほど美しい魔法を見せてくれた人と同一人物は思えないほど、無機質で事務的な対応。その鉄仮面はいったいどうしたら剥がれるのだろうか。


「ご用件をどうぞ」

「えーと、ちょっと気になっただけなんですけど……この紋章はなんですか?」

「そちらは証明書の個人情報をギルド暗号に変換したものです」

「ギルド暗号?」


 聞いたことの無い言葉に、ユーリは首を捻った。


「例えばその紋章には『名前:ユーリ、年齢:推定16、ランク:F、職種:未設定、スキル:解呪、所属:無し』といった基本情報の他に、これまでの成果や犯罪歴といった様々なユーリ様の情報が刻まれています」


 受付嬢は証明書の表面を撫でる。すると、その動きに反応し紋章が仄かに光った。


「これらの情報は探索者を管理し、依頼の采配や予算の運用などに活用されます。しかし他人に悪用されてはならないため、ギルドで働く者にしかわからない暗号に変換しているのです」

「なるほど」

「もし、パーティメンバーを探すなどの理由で探索者の情報を見たい場合は、受付までお申し出ください。専用の魔方陣を展開して閲覧できるようにいたします」

「へぇ……知らなかった」


 ユーリは自分のカードを目線の高さまで持ち上げた。カードは黙って、その身に情報を隠している。

 カードを作り終えた今、ユーリの頭にいくつかのタスクが浮かび上がった。そのうちのひとつが、無意識に口から溢れ出る。


「パーティメンバーね……」

「ご覧になりますか?」

「あっ、いや、……今はいいや。ありがとうございました」

「ありがとうございました。お帰りをお待ちしております」


 ギルド特有の挨拶を背中に受け取り、ユーリは受付を離れた。


 さて、これからどうしよう。装備を揃えるべきか、仲間を探すべきか。

 とにかく最速でダンジョンの最下層へ行くにはどうするべきだろうか。

 考えながらギルド内をウロウロする。


 あてもなく歩いているうちに、気がつくと買取受付の前まで来ていた。ここはダンジョンで手にいれた道具や宝物、倒した魔物の皮や肉などを査定し買い取ってくれる場所だ。

 今日は比較的空いているようで、受付に座る女性は眠そうに延々と薬草の仕分けをしていた。


 そこへ、一人の男が向かって行く。

 装備の汚れや傷の具合から、つい先ほどダンジョンから帰ってきたのだろう。

 抱えた箱の中には山のように宝石や武器が積まれており、男はこれ以上ないくらいに口角を上げ上機嫌だった。

 嬉しそうだなぁ、と他人事だったユーリだが、次の瞬間、雷が落ちたかのような衝撃を受ける。


 そこにあったのは、短剣。


 目尻がちぎれそうなほどに見開かれたユーリの目には、一本の短剣が映っていた。

 それは男の抱える箱の横側に、今にも落ちそうになりながら存在していた。

 別に美しくもなく、強そうでもなく、ただの古びた短剣。


 しかしユーリは、それから目が離せなかった。

 男を、いや、短剣を追いかけるように、ユーリはフラフラと買取受付へ歩く。

 その異様な姿に気がついたのか、男と受付嬢はユーリの方を振り返った。


「なんだよにーちゃん」

「……その、短剣は」

「え?ああこれか?」


 男が箱から短剣を取り出す。

 百合を模ったモチーフが彫られている鞘。持ち上げた拍子に表面の砂汚れがパラパラと落ちる。


「それを、一体どこで?」

「中層の死霊レイスが守ってた部屋だよ。適当に奥に向かっていたら偶然見つけてな。いやー、たぶん五十体はいたと思うぜ!でも俺はこう見えて『聖唱』スキル持ちだからな、死霊レイスども相手でも楽勝だったんだ!」


 顔からはみ出そうなほどに自慢気な表情を浮かべ、男は力こぶをつくって見せた。

 まだまだ自慢話が続きそうなところに、様子を窺っていた受付嬢の口が挟まれる。


「あの〜〜〜買い取り希望なんですよね?さっさと鑑定したいんですけど〜?」

「おう、じゃ頼んだ」

「ま、待ってください!」


 慌ててユーリは男の前に割り込んだ。

 ギルドに買い取られた武器類は状態が良ければそのまま武器屋などに卸されるが、悪ければ解体され融かされ、原型がなくなってしまう。

 それだけは阻止しなくてはいけない、今ここで手にいれなければいけないと、ユーリは必死に懇願する。


「その短剣、俺に売って欲しい!金額はいくらでも構いませんから!売ってください!」

「……ほーう?」


 男はニヤリとイヤらしく笑った。


「じゃあ……そうだなぁ……金貨五十枚でどうだ?」

「ちょっ!それはボッタクリ過ぎで「うるせー受付は黙っとけ!……どうだ兄ちゃん、高いかもしれないが買うか?」

「わかりました」


 ユーリは懐から退職金の入った袋を取り出すと、男に手渡した。

 中身を数えた男が、驚愕の声を上げる。


「はぁ!?ちゃんと五十枚あるだと!?いやいやいやいや!正気か!?」

「さあ、金は払ったんだから短剣それを」

「待て待て待て待て!まさか本気で出すとは思ってなかったんだよ!」

「そうですおかしいですよ!ちょっとチラ見で『鑑定』しましたけどそんな価値はな「お前は黙ってろ!」


 男が慌てふためく一方で、ユーリはひどく落ち着いて見えた。

 外側だけは。


 その内心は抗い難い衝動に荒らされ、暴れ狂い、今にも発狂しそうな嵐が巻き起こっていた。

 その衝動が何処から来るのかはわからないがその短剣が欲しいその短剣が欲しいその短剣が欲しいダンジョンに潜る理由と同じだとユーリは感その短剣が欲しいその短剣が欲しいその短剣が欲しいじていたその短剣が

 それは説明のつくようなことではなく欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい呼吸するのと同じくらい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい本能的で必然的な事だった欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい


 欲しい。その短剣が欲しい。

 手に入れなくては。その短剣が俺を呼んでいる。


「俺は、本気です」

「本気だって!?この汚れた短剣だぞ!?金貨五十枚って、古くて小さい家くらいなら買えちゃうんだぞ!?」

「別に構わないです」


 ユーリは一見落ち着いて見えたが、だんだんと言葉の端々に苛立ちが見え隠れしてきた。その目に爛々とした光を灯して自分の意思を語る。


「それは俺の今の手持ち全てだが……もし金貨五百枚とか、千枚とか言われれば、俺はここを襲撃して強盗してでも金を払います」

「ひぃっ!」

「いやお前頭おかしいって!」

「わかってる」

「オリハルコンでも聖剣でもない、ただの鉄クズみたいなもんだぞ!?」

「いいから。売るのか?売らないのか?」


 ぞわり、と男の全身に鳥肌がたつ。

 ユーリの目を見た男は、自分が大蛇に巻き付かれているのではないかと錯覚した。

 ただの少年、いや、どちらかと言えば弱そうな少年なのに、この狂気はどこから湧いてくるのだろうか。

 息をするのも苦しくなり、男はユーリから目を逸らした。


「なんでこんな古臭い短剣なんか……」

「で?売ってくれないのか?」

「売る!売るよ!売るけど……嘘だ嘘。五十枚なんて嘘」

「なら、いくらなら売ってくれるんだ?」

「ま〜、私的にはぱっと見、銅貨五枚ってかんじ「黙ってろ!」


 口を挟んだ受付嬢がしょんぼりと頭を下げる。

 男は煩悩と本能の間でさ迷いながら、ユーリに金額を提示した。


「そうだな、金貨二……あ、いや金貨三枚でいいよ。それで売ってやる」

「ありがとう。これは感謝の気持ちです」


 金貨五枚を男に手渡すと、焦ったように短剣が強く押し付けられた。

 ユーリはそれを、赤子を抱くかのように丁寧に持ち上げ、優しく狂おしい瞳で見つめる。

 短剣はユーリの手によく馴染み、まるで最初からそこにたどり着きたかったかのように収まった。


 微笑むユーリに向かって、男が警戒心を隠す努力もせずに話しかける。


「ほら、それはもうお前のものだ……だから、頼むから暴れるなよ?」

「理由がないなら暴れないですよ。ありがとう、それじゃ」

「お、お帰りをお待ちしてま~す……」


 立ち去るユーリの後ろで、男と受付嬢はほっと胸を撫で下ろした。

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