第2話 理由
「これまで共に戦ってきたよしみだ。最後に飯でも行こう」
眩しい太陽光を背に、ブラッドはユーリを誘った。
目を細め刺激的な光量から目を守りつつ、ユーリは黙って頷く。二人は特に言葉を交わすこともなく、酒場を目指して歩き出した。
植物や空の新鮮な匂いが肺を満たす。その爽やかさとは対照的に、数週間ぶりの地上は相変わらず混雑していて、人の多さに辟易してしまう。
ユーリの荒んだ心は呑気な周囲の人間を羨んだ。
なんで楽しそうに歩いているんだ。なに陽気に歌っているんだ。こっちはようやく『目的』に限りなく近づいていたのに、それがパーになったんだぞ。
しかし一方で、冷静な思考がユーリ自身を諫めた。それはただの八つ当たりでしかないのだと。
拳を握りしめ心を落ち着けたユーリは、うっかり周りに当たり散らさないよう、ネガティブな感情をしっかり胸の奥に仕舞い隠した。
程なくしてたどり着いたのは、安さしか売りじゃない底辺酒場。
テーブルは投げ捨てたかのようにゴチャゴチャと並び、店内は絶え間なくガヤガヤと喧しい。運ばれてきた料理もまた酷く、ジョッキに注がれたハーブ水はエグみが強くて泥のように苦いし、焼いた肉はまるで木材のような硬さだ。
酷い。これは酷い。
塩の味しかしないスープを啜ったユーリは、眉間に深いシワを刻んだ。
ブラッドはどうしてこんな店を選んだのだろうか。怪訝な顔をするユーリに対し、ブラッドは静かに目を細めた。
「……お前が始めてうちに来たとき、随分と貧相な子どもだなと思ったよ」
「そりゃ、貧民街出身ですからね」
「ゴミ箱にあったクズみたいなパンを食べてたのには驚いた」
「あのときはアレですらご馳走でしたから」
「今はどうだ?この肉を不味いと思うくらいにはなれたか?」
「はい。とてもじゃないけど食べらんねえって感じですね」
「はは……それはよかった」
軽く笑ったブラッドの顔を見て、ユーリは昔を思い出す。
あの頃はとにかく、生きるのに精一杯だった。
食べるのを我慢して飢餓で苦しむか、腐ったものを食べて腹痛で苦しむか、毎日が一か八かだった。今こうして食べ物にケチをつけられるのは、スタート地点から考えると相当幸せなことである。
「……今も魔物の進行で、貧民層や孤児が増え続けているそうだ」
「みたいですね」
「俺は、この国の平和を願う者として、それを見過ごすわけにはいかないと思っている」
「相変わらず、正義感がお強いですね」
「正義感がなければ、お前を拾うことはなかったさ」
ハーブ水を一気飲みし、ブラッドは顔を顰めた。
彼は定期的に孤児を拾ってきては、『ロッジ』と呼ばれるパーティの共同住宅へ住まわせている。ユーリも拾われた孤児の一人だった。
初めて出会った時の、温かな表情と差し伸べられた手の大きさは今でも覚えている。
ブラッドはその時と変わらぬ大きな手で肉をちぎり、口に放り込んだ。
「本当はお前もロッジに住まわせて、そこで雑務をさせるつもりだったんだ。戦闘系のスキルでは無かったし、ダンジョンは危険だからな」
「でも俺はダンジョンに行きたかった」
「ああ。お前はダンジョンへ潜ることを熱望した。そして驚くほどの執念深さで、我々についてきた」
ブラッドが、静かな瞳で目の前の少年を見つめる。
かつて社会に見捨てられていた少年は、知識を付け、成長し、非戦闘員には過酷な中層でも必死に食らい付いてきた。心折れることもなく、ひたすらにひた向きに。
だからこそ不気味だったということを、当の少年は理解していない。一体何がそこまで、ユーリをダンジョンへ駆り立てたのか?
「なあ、お前の潜る目的はなんなんだ?……貧困からの脱出か?」
ブラッドの探るような言葉がユーリの鼓膜を揺らした。
初めてパーティメンバーと顔を合わせた時も、ダンジョンに潜った時も、幾度となく繰り返された質問。いつもなら適当に笑って誤魔化していた。
もし質問されたその時、「はいそうです」と答えていれば、何か変わったのかもしれない。
しかし、ユーリはそう答えることができなかった。
問いかけに答えようとしたユーリの口が、貼り付けられたかのように急に閉じる。そして脳みその根元が締め付けられるかのように、肯定の言葉を拒絶した。
「むぐ……っ!ふん、ぐぅ……っ、ぐぬぬ……っ!」
手を使って唇を引き剥がそうとしても、ユーリの口から「はいそうです」の言葉が出ることはない。爪を立て、首を振り、目を見開き、それでも体は一切の言うことを聞かず。
返事を諦めたところで、ピッタリ塞がれていた口はようやく解放された。
その異様な光景を、ブラッドは目を丸くして見ていた。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
「なっ、だ、大丈夫か……?」
「大丈夫、です……」
荒く息を吐き、ユーリはハーブ水を一口だけ含んだ。
その苦味で落ち着きを取り戻してから、改めて口を開く。
「俺呪われてるんですよ、たぶん」
「『解呪』のスキル持ちなのにか?」
ユーリは恥ずかしそうに頷いた。
呪いを解く力を持つものが呪われている。それはまるで、染物屋が真っ白な服を着ているだとか、料理人が味音痴だとか、そんな奇妙で滑稽な状況であった。
「ダンジョンに潜る嘘の理由が言えないんです」
「はぁ……。いや、嘘を吐かなけれはいい話だろう」
「本当のことを言ったら笑われるか、引かれるか、頭おかしいって思われるかのどれかですよ」
「そんなことないさ。少なくとも俺はな」
言ってみろとブラッドが促す。
少しだけ迷いを見せたユーリは、咳払いを挟み真剣な口調で理由を述べた。
「『あの人』に会いたいからです」
暫しの沈黙。
考えた末に、ブラッドはひとまず妥当な質問を繰り出した。
「……誰だ?『あの人』って」
「知りません」
「なんで会いたいんだ?」
「わかりません」
「その人はダンジョンにいるのか?」
「はい。ダンジョンのどこかに」
「……」
「………」
再び、暫しの沈黙。
酒場の喧騒が、現実以上に遥か遠くから聞こえてくるようだった。
どれ程時間が経過しただろうか。
眉間に深々とシワを刻んでいたブラッドは深く息を吸い込み、その気持ちをたった一文字で表現した。
「…………は?」
「まあ、そうなりますよね」
ユーリは少しだけ肩の力を抜いた。
どうせこの後は他人になるのだ、いっその事全てを話してしまおう。そんな気持ちだった。
「俺にもどうして『あの人』に会いたいのかはわかりません。『あの人』が誰で、どんな姿で、俺とどんな関係なのかもわかりません。でも、物心ついた時からずっとダンジョンへ潜りたい衝動があって、それは『あの人』がダンジョンに居るからなんです。それが理由なんです」
その時初めて、ブラッドはユーリという少年の『中』に触れたような気がした。
ユーリの言葉には、ダンジョン、もとい『あの人』への執念が込められていた。『あの人』について語るとき、ユーリの瞳は蛇のように鋭く、月のように狂った光を灯していた。
ブラッドの知るひたむきで年相応の少年は、そこにはいなかった。
背中を伝った汗が乾く頃、ブラッドはようやく息を止めていたことに気がついた。それらを全て吐き出して正面を見る。
先ほどの狂気は何処へやら。ユーリはどこかスッキリしたような表情でハーブ水を啜っていた。
ドッと疲れを感じたブラッドが天を仰ぐ。
「……よくわからない話だな」
「俺だってわかりませんよ。わからないけど、やらなきゃいけないんです。絶対に」
「正直理解はできないが……。最初からそう言ってくれれば、お前を追放することも無かったかもしれないのに」
呆れと申し訳なさの混ざったような、気の抜けた声が天井に向かって吐き出された。
「そのことについては、すみませんでした。でも、そもそも『
「……そうだな。本来なら中層に入った時点で、ロッジの事務員か教育係りになってもらうつもりだった」
「だったら同じですよ。俺はダンジョンに潜る必要があるんですから」
鋼鉄のハンマーでも曲がりそうにないその信念に、ブラッドがお手上げだと言わんばかりに両手を上げる。そして数回の深呼吸を挟むと、心配そうな顔でユーリを見つめた。
「……それで、これからどうするつもりだ?アテはあるのか?」
クビを言い渡し、なおかつ「他人だ」などと言っておきながらこの表情である。彼の正義感とお人好し加減に、ユーリは思わず笑ってしまった。
「はははっ!……そんなの、決まっているじゃないですか!俺ひとりでもダンジョンに潜るんですよ!」
「笑うな。こっちは心配してやっているのに」
「すみません」
頭を下げてもなお、ユーリの顔は笑っていた。
こういう人柄だから、若くしてパーティのリーダーになれているのだ。面倒見が良くて、お節介焼きで、正義感があって。いつだって誰かを救おうとしている。そんなブラッドのことが好きなのだと、ユーリは再確認した。
だからこそ『
しかしユーリの中で高評価を受けているとは露知らず、しかめ面をしたブラッドは拗ねるような口調で呟く。
「仕事でも紹介してやろうかと思っていたのだが……」
「大丈夫です。さっきも言ったじゃないですか。俺は『あの人』に会うために、ダンジョンに潜らなきゃいけないんですから」
「……お前、執念深いもんな。でも今のお前の実力じゃ、どれだけ頑張っても中層までが限界だろう。いや、上層のゴブリンだって倒せない可能性が高い。それなのにどうするつもりだ?」
「まぁ……鍛えるなり、新しいパーティに入るなり、なんとかしますよ」
ぼんやりとしたビジョンを迷いなく語ったユーリ。その回答に対し、納得できないといった風にブラッドが首を振る。
「そんな上手くいくものではないぞ。鍛えると言ってもお前は……まあ、生まれのせいもあるかもしれないが……、正直まだまだ細いし弱い」
「栄養あるもん食べて、今にブラッドさんを超えるムキムキになってやりますよ」
ユーリがふざけて見せるが、ブラッドの表情は固い。
「お前を迎え入れてくれるパーティがいるとすれば、それは十中八九、初心者パーティだろう。それでは中層に行くだけでも苦戦するのは、目に見えているではないか」
「それはわかりませんよ?意外とチームワークばっちりで、サクサク中層どころが下層……いや、深層にまで行っちゃうかも」
「あのな、俺はお前のことを真剣に心配して……!」
「わかってます」
自分が貧弱であることも、『解呪』のスキルが微妙なことも、きっと初心者パーティとしか巡り会えないことも。
探索者として生きて行くには実力不足なことも、魔物がどれだけ驚異的な存在なのかも、自分が語っていることはもはや自殺志願に等しいことも。他所から見れば頭がおかしいのだということも。
全部全部、わかっているのだ。それでも、
「わかってても止められないんですよ」
穏やかに微笑むユーリと、真剣な表情を浮かべるブラッド。
二人は言葉を止め、まばたきすることなく見つめ合う。
やがて、スープがただの冷えた塩水になる頃、ブラッドは負けを認めるかのように頭をバリバリと掻いた。
「さ。次に行くぞ」
「次って?」
支払いを済ませ、颯爽と歩き出すブラッドの背中を、ユーリは慌てて追いかけた。
ブラッドは足を止め、ユーリにようやく笑顔を見せる。
「ここで先に食べておくとな、次の店が最高に美味しく思えるんだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます