Ⅳ
教会の二階が私たち芳野家の『家』ということになる。
元々この教会を管理していた神父様が亡くなった頃に権利を引き継いだらしい。昔はマンション住まいだったみたいだけど、私は覚えていない。いかに熱心な信徒でも神父様の後を継ぐなんて本来あり得ないことで、お父さんと神父様が古くから友人として仲が良かったことや、色々な事情が重なって今の形になったそう。
強制されたわけじゃない。お父さんもお母さんも望んでこの生活を選んだから、どれだけ忙しくても不満を口にしない。
だから、いくら優しい二人だとしても、私が本心を打ち明けたところで共感されることはないと思う。
お父さんも帰ってきている。私の部屋と違って家族団らんのために必要な広さと便利さを揃えたリビングで待っているはずだから急ごう。
聖堂とロビーの灯りを消して、自動扉もオフにして、教会の大扉を閉めて終わり。
「今日も一日お疲れ様でした」と呟く。肩の荷が下りたことにより自然と溜め息が出る。
「お疲れ様、一華」
「お父さんも、お帰りなさい」
クラジーマン(男性聖職者の制服)を着用している時間が長いお父さんも、パジャマ姿に変身済み。皺の目立つ口角を上げて私を迎えた。
テーブルには私とお父さんの夕食をまとめたプレートがラップに包まれ置いてある。
お父さんは私と夕食を食べるため、テーブルから離れたソファーにもたれてテレビを見ながら待っていた。
両親の寝室に繋がる扉が開く。「鍋にシチューがあるから温めて食べな」と、額に冷却シートを貼ったお母さんが現れて言う。私は「うん」と返し、不穏なニュースに夢中なお父さんの分も準備を始める。
芳野家の二十二時は大体いつもこんな感じです。
「お客さんが来るなら先に言ってよ。分かっていれば色々用意したのに」
テレビに目線を釘付けながらも立ち上がるお父さんに代わり、ソファーへ移るお母さんがそう言う。
「うちはこういう家柄ですので、大したもてなしはできませんが、どうぞごゆっくり」
軽く会釈するお父さんは温厚で、怒る姿なんて見たことがないし想像もつかない。
いつも誰かの幸福を願っているような人だけど、家事を覚えるつもりは全くないようで、冷蔵庫から麦茶を取り出して注ぐ係に徹する。
「いえいえ、皆さんお構いなく! 家族水入らずの大切な時間ですから、俺に構わずいつも通りでいてくださいよ!」
彼は相変わらず愉快気。電話台の上に置かれたチラシや難しい書類、壁のカレンダーなどを順に眺めていった。
いつも通りで良いと言っているので、それなら遠慮なく。
世話好きの性分から両親は気が済まないだろうけど、私が何事もないように座るとお父さんも私と向き合う椅子に座り、お母さんも改めてソファーに腰を下ろした。
「神よ、平穏な一日と豊かな食事に感謝いたします」
「いただきま――」
祈るお父さんを置いて、私はすぐ食事にありつこうとした。お腹が空いていたし、清貧をモットーとする我が家では具がゴロゴロ入るシチューだけでも豪華ディナーに等しく、涎を食い止める必要があったから。
シキタリではなく癖として「いただきます」の際にも両手を組んでしまい、その瞬間に彼と目が合い、また照れる。
彼の視線を浴びながらの食事は喉を通るのか、本日最後の試練になりそう。
……そう。だから、ツッコミを入れるのなら、シチューにむせるより前の段階が最適なのでよろしくお願いいたします。
「「いや、あなた誰ですか⁉」」
お父さんとお母さんの驚きが重なった。
私は思わず立ち上がるも、膝をテーブルに撃ちつけて苦悶。涙目で俯く私に彼は「大丈夫?」と平然な顔で言ってから挨拶を始めた。
「初めまして、一華ちゃんのお父さんとお母さん。俺は……何にしようかな……一先ず神さまです」
「「はぁ?」」
次に呆けた声が重なる。ただでさえ痛い発言なのに、聖職者相手にそれはまずいんじゃないかなぁ⁉
私も彼の事情は教えてもらっていない。それよりもお腹を満たす道を選んでしまった以上、説明を求める眼差しを二人に向けられても逸らす他なかった。
「見ない人だなぁ。一華、彼は一体?」
「私も知らないよ。さっき初めて会って……」
「ではお客様かな? 申し訳ないがここは立ち入り禁止で――」
「ち、違うの! 私が案内したの!」
「一華が?」
達観しているお父さんは落ち着いた様子でも、お母さんは私の言葉にも驚いていた。リアクションとしてはお母さんの方が正しいはずだけど、私は更に気まずくなる。
聖堂を出る際に「遅い今日じゃなく、明日でも構わないよ」と気を遣ってもらったけど、何もなく彼を帰らせるのが不思議と悪いことのように思えたから連れてきた。
未来が変わる予感と、神聖な雰囲気を纏う彼との出会いにより舞い上がっていたのかもしれない。
私こそお父さんとお母さんの心を考えていなかった。これほど微妙な空気になることも、正直予想していなかった。
『責任』は私だけにある。でも、私も彼をよく知らない。
どうしよう……。両親の視線がこれほど怖く感じるのは初めてだった。
沈黙が息苦しい。泳ぐ目に蓋をした。
その直後、温もりを感じる彼の声が私を癒してくれた。
「小腹が空いていましてね。家も遠い。そう言うと一華ちゃんが『少しだけなら用意できるかも』と誘ってくれたのですよ。いやぁ、生粋の聖職者ですね、娘さんは」
そんなこと初めて言われた。聖職者なら施して当然という常識があるから。
どう考えても不審者! それも深夜いきなりとなれば通報も正当防衛も免れない!
……はずなんだけど、お父さんだけでなく、お母さんまでポカンと口を開きキヅナさんを窺っているだけ。神さまを名乗るなんて、信仰のない人でも「まずい」と気付くことだろうに、教会を預かる大人の二人からは怒りが微塵も感じられない。
服装は白ずくめ。細部には暗い色も施されているけど、特別さを演出する彼そのものにも独特の雰囲気があるように思える。
二人もさっきの私と同じく、本能的に彼を無視することができないのかもしれない。
「神。君が……いや、あなた様が?」
お父さん、本気にしてる……?
「いいえ、正確には天使でございます。自分で言うのは珍しいですがね」
「「天使ぃ⁉」」
今度は私とお母さんの驚きが揃った。
お母さん、眠たいだろうに大変だ……。お父さんなんてもう驚かないし……。
キヅナさんは三者三様のリアクションをフフッと笑い私の隣に移る。三人家族でもテーブルには椅子が四つあり、私の隣にはヒグマを可愛くデフォルメしたぬいぐるみが置かれている。キヅナさんは腰を下ろしてそれを抱えた。
「実は一華ちゃんのことで大事なお話がありましてね。けど今はご飯時のようですから、俺の話は後回しでいいですよ」
相変わらずニコニコと、ぬいぐるみの頬を摘まみながら簡単に告げた。
お母さんは呆然としているけど、お父さんは彼の言葉を正面から受け付ける。それこそ神の声に従う聖職者の本懐に沿って。
「お気遣いに感謝いたします。急用でないのなら私たちも遠慮なく。一華、お母さん、いいね?」
「いいねって、分からないわよ……」
「お父さん、本当に信じるの?」
私も彼を信じ切れない。
多分、キヅナさんのことが認められないんじゃなくて、これ以上自分の日常に負荷が掛かるのが嫌で憶病になっているからだと思う。
お父さんは既にキヅナさんを『大いなる存在』として見ているらしい。キヅナさんもお父さんと通じ合っているように生温かいアイコンタクトの後で小さく頷いた。
「少なくとも悪い人ではないのは明らかだ。私たちはまだ何もされていないわけだからね。一華だって、根拠もないのにそう信じられたからここへ連れてきたんだろう?」
「それはそうだけど……」
「それならきっと大丈夫さ。これもまた、導きなのだろう」
お父さんは結局私より先にシチューをすくい始めた。
お母さんは溜め息を吐き、それからキヅナさんのために動き出そうとしていたので慌てて制した。
私は鍋に残るシチューとコップ一杯分の麦茶をキヅナさんの前に持っていった。
「どうぞ」と言って私も着席。キヅナさんは、それこそ救われた側のように光を尊ぶ眼差しで「どうもありがとう」と言ってくれた。
ついさっき出会ったばかりで目的も知らない。お父さんが許してしまった手前、無理に聞き出す空気でもない。
人かどうかも怪しい存在が隣に座っている。
それなのに不思議と居心地が悪いとは感じられなかった。私が食事を摂る様子をずっっっっと観察してくるのは気になったけど……。
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