Ⅲ
「な、な、な……」
「こんばんは、一華ちゃん。会えて嬉しい!」
震える手を組んだまま振り向くと、今の騒音が勢いを増す雨音や神のお告げではなかったとすぐに分かった。
声の主は足を組むだけでなく両腕を広げて背もたれに乗せて、中性的な相貌をニコニコと笑い崩していた。
僅か肩にかかる髪は雪のように純白で、長さだけなら同じくらいなのに劣等感を覚えてしまうほど綺麗だった。
あれ、やっぱり女の子……?
疑ってしまうほどの美貌だけど、白基調のジャケットやズボンの上からでも少しゴツゴツした体質だと分かり激しく首を振った。
身長は百七十程度だと思う。私より二十センチは高い。自分よりいくらか年上の、多分高校生くらい。
それこそ女の子みたく円らな瞳で私を見つめていることから、手慣れているんだろうなぁ……と思うと、一気に緊張が押し寄せてきた。助けてください。
金縛りに合ったように組んだ手を解けないまま、お化けに遭遇したように『彼』の出方を窺うばかり。この場所を預かる立場として、何より聖職者が混乱するのもよろしくないと分かっているけど、喉はもうカラカラ。
彼の方は変わらず、ニコニコ笑顔を絶やさない。
安心感もあった。単に男の人に許されているのではなく、もっと偉大な……それこそ神に自分の存在を認められているような気分になれるのは、きっと気のせいのはずだけど。
彼が何も言わないので、私から切り出すしかない。
この空気でまたお腹が鳴ったら羞恥で爆発するかもしれない。すぐに彼の理由を問い、早めに切り上げるとしましょう!
彼がいつからそこにいたのかさえ、何も分からないのですけどね……。
「あの、あなたは?」
「俺? キヅナって名前があるけど」
「絆……ですか。素敵なお名前ですね」
「ありがとう。『す』に点々じゃなくて『つ』に点々だけどね」
「あっ! た、大変失礼を……」
「気にしなくていいよ。多分だけど、今回そこまで意味を為さないからさ」
「はぁ……」
率直に言って美少年な彼は、私の全てを受容するように目蓋を閉じて、私の瞳から脳味噌まで全てを見透かすように見つめ返してきた。
男子高校生(仮)にしては非常に落ち着いている。母性とも取れる甘い表情と声音も相まって、言葉を重ねるごとに警戒は緩み、同時に照れを感じるようになってきた。
もしかして……これがナンパ⁉
いやでも、何というか……突然現れたことも含めて、そんな軽い感じでもないように思えるけど……。
聖堂の最前席、祭壇に最も近い席で偉い態度を取るなんて、たまにやってくるマナーの悪い人たちですらやらないこと。
不満があるとはいえ、私だってシスターとして正しく振る舞ってきた。だから皮を被ることに苦悩する日々を送る。
曲がりなりにも聖職者としてのプライドはあるから、マナーの悪い人にはちゃんと苛立ちを感じるのに、今は違う。
これだけ無礼なのに、不思議と『彼なら仕方ない』と許せてしまう。それはどうしてだろう……?
「それで、キヅナさん。礼拝にいらしたのですよね?」
「いや、全然。崇拝されることはあっても、することはないよ」
聖堂で、修道服姿の私にはっきりと……。ここまで来ると清々しい。
「一体どのような要件でしょう? というより、いつからそこに……」
「君に会いに来た。理由は他にもあるけど、主題と言えば君に尽きる」
深く腰掛けた彼が不意に飛び跳ねた。彼の綺麗な顔が、私の飾った顔に接近する。
「ちょっ⁉」
ち、近い……!
上半身を反って逃れようとするも、彼の黄金の瞳から目を逸らすことができなかった。どんどん頭が熱くなっていき、キヅナさんはそんな私の様子を楽しんでいる。
「驚かせてしまったようだ。確か教会を閉める時間だったかな? いやぁ、今日中に君と対面するつもりだったんだけど、到着時間の調節が難しくてさ。けど、学校や君の部屋に突然現れるよりは不審者っぽくなくていいかなと思ってこの場所を選んだんだ」
「……よく分かりませんけど、外でも良かったのでは?」
「雨が降っていたからね。ほら、傘もレインコートも持ってこなかったから」
未だに目的を明かさない彼は、ポケットから手を出して降参のポーズを取った。「怪しい者ではありません」とアピールするように。
キヅナさんの服装には水滴が一つも付いていない。それどころか反して黒いロングブーツの裏にも水気はなく、彼の足跡は聖堂の床を一切汚していない。
これだけ不敬な態度を取りながらも、誰より聖堂の清潔を保っている。白い神父様のような姿の青年は、本当に一体どこからやってきたのだろう?
空腹も忘れて彼への興味が増す。教会を閉める時間なんてとっくに過ぎている上、早く二階に上がらないとお母さんが心配してこっちに来てしまうのに、今はこの時間が優先される。
浮世離れ、同じ人間のはずが雪のような髪色と黄金の瞳。無人だったはずの聖堂に前触れもなく現れたシチュエーションからして何か特別に思えてしまう。
それこそ漠然としたイメージだけど、私たちが信仰する『大いなる存在』のような……。
「君の想像は大体合ってるよ。神さまではないけどね」
「なっ⁉」
心を読まれた⁉
特別な存在だから凄く頭が良いのか、私が分かりやすいのか……。後者の場合、これまで繕ってきたシスター像が、彼だけでなくみんなにもバレていたのでは……と自信を失くすところだけど……。
「ただね、神かどうかは他者が決めることだから、君が俺を神として祭り上げたいのならそれでもいい。俺をそう捉える人もこれから大勢出てくるだろうからね」
私の揺れる内心まで全てを掌に乗せて可愛がるように、ニコニコ笑顔のまま特別な話を続けるキヅナさん。私は彼の意見の半分も理解できていないはず。
「俺は君たちが『神さまの嘆き』だと思っている『止まない雨』を解決するために来訪したのさ。とはいえ、それはついでで、さっきも言った通り君が最優先事項だけども」
「そ、そうですか」
頭が熱過ぎてクラクラしてきた。
男子高校生と接する機会が貴重で舞い上がっているから? それとも、もうやられちゃっている……?
わざと咳払い、浮かれる感情に蓋をして彼の話に関心を向ける。
「雨が降り続けている原因、分かるのですか?」
「これから調べるよ。理由なんてない自然災害かもだけどね。とにかく俺が来たからには解決可能だ」
「それは! 可能であれば是非お願いしたいところです!」
私は既に彼が常人ではなく、計り知れない使命を負って生きる存在なのだと受け入れていた。
「勿論。俺は協力するだけで、世界を救うのは君だけどね」
「……はい?」
屋根を打つ雨音がよく聞こえる沈黙。
いくつか言葉を交わしても彼については何も分からなかった。
それでも、特別に思える彼が私の前に現れて、私も『止まない雨を止める』という難問に既に巻き込まれていた。
何も特別じゃない。聖職者として慎ましく生きるつもりでいた私には、その責任がイマイチよく分からない。
首を傾げることしかできない私に、神さまのような美少年は目を細めて微笑んだ。
「まあ、ここで全てを語る必要もないだろう。とりあえずご飯食べたら? 腹が減っては何とやらって言葉があるんでしょ?」
「私は戦いをさせられるのですか?」
「そんな物騒なものじゃないよ。君の人生における重大な問題には変わりないけどね」
「どういう意味ですか? 雨は世界の問題でしょう? 私個人とは何も――」
「そう? 俺は世界も個人も同じだと思うけど」
キヅナさんの言い回しは難しく、私はやっぱり首を傾げることしかできない。
彼は笑顔を絶やさないけど、私の方はこれまで以上に世の中への疑念が深まり、よりスッキリしない気分。
ここに来てようやく彼が胡散くさく思えてきた……。
でも、今まで誰も気にしてくれなかった『私の心』を見抜いた彼を無視するわけにはいかない。
私の抱える孤独が世界的な問題だと言われても大袈裟に思えず、狭い世界に閉じ込められてばかりのこの体が大胆に躍動できる瞬間が訪れるかもしれないと期待してしまっているのが正直な気持ちです。きゃー!
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