高校生になったらオシャレな喫茶店でアルバイトをしてみたいと言う小町ちゃんも、いずれああいう『お客様』を相手にすることになるのかな……。

 教会の入り口から聖堂(みんながお祈りをする場所。長椅子が沢山並んでいて、最奥には神にまつわる品が置かれている)へ行ける自動扉の他にもロビーには階段があり、私の部屋も二階にある。

 部屋は必要最低限の狭い正方形で、シングルベッドと学習机とタンスとクローゼット、あとは窓辺までの足場のみ。仮に友達を呼ぶとしたら隣の『リビング』が適切なはず。

 制服から修道服へ着替えて、靴もローファーからロングブーツに履き替える。『家』でも靴を履きっぱなしにしている習慣はみんなの興味を引ける。

 教会と言っても設備は古くなく、入り口は大きくて開くのに力がいる大扉だけど、聖堂への扉は自動開閉。

 ガラス製だから、ロビーからでも聖堂の様子がはっきり見えるのだけど、空席の方が少ないくらい礼拝に訪れている人が多かった。

 ほとんどが熱心にお祈りをする中、信徒のおじいさんがお母さんと壁際で話をしているのが見えた。大事にはならなくても、お母さんは明らかに手を焼いているようだった。近い席の人たちが煙たがっているのも後頭部の微動で分かる。

 どうしても「怒られたらどうしよう……」と思ってしまう。あのおじいさんが帰ってから聖堂に出よう……。

 部屋の窓から首を出して教会の出入りを窺いつつ、水筒に残る麦茶を飲んで構えていた。アルバイトと違って時間にルーズでも良いのはせめてもの救いだった。

 それならサボってしまえばいい。シスターなんてやめて、みんなのように普通の幸せを追いかければいいのに。

 ……どうしても、それは『違う』と感じてできずにいる。

 元より自分一人の部屋。心はより窮屈になる。

 屋根のおかげで風が弱い日は窓を全開にしても雨は入ってこない。

 それでも、出入りする人たちにサボりが見つかるリスクを考えると大胆にはなれない。「換気のつもりだろう」くらいまでしか窓を開けることができず、お母さんの事情を思い出すとすぐに換気もやめてウィンプル(シスターが頭に被る物)を被り部屋を後にした。

 


 私が聖堂の自動扉を機能させるのと、おじいさんが聖堂を出るタイミングは一緒だった。

 飛び跳ねる心臓を無理やり落ち着かせて、敬虔なシスターを演じてみせる。らしい微笑みを浮かべて少し頭を下げると、おじいさんは「ご苦労様」と言って私を横切った。

 だけど、大扉を開くために杖を震わせたり、傘立てから自分の傘を見つけ出すなどの苦労があるので、それを手伝う必要があった。

 おじいさんがねずみ色の空へ傘を開くまで心臓はドクドクと音を立てて呼吸を下手にしていた。

 避ける気でいた試練を乗り越えると、聖堂に来た私をお母さんや顔見知りの大人たちが次々「おかえりなさい」と言って迎えてくれた。こういう瞬間は素直に好きだった。

 体力の問題だけでなく、夕食や洗濯などの家事もあるため、私とお母さんの入れ替わりを誰も不思議に思わない。親子で教会を一つ預かればこういう形になるのだと、誰もがそれ以上の考えを持たずにいる。

「一華ちゃんは部活はやっていないの?」「遊び盛りだろうに可哀想……」「どうにかして教会の手伝いを増やせないものだろうか?」

 ……といった言葉は、これまで一度もかけられたことがない。

 中学一年生の少女が、学校にいる時間以外全てを神と信徒のために捧げることが当たり前になってしまっている。

 そして「おかしい! 私も普通の女の子として青春したい!」と叫び、反抗することができないこの私……。

 人一倍真面目なのだと思う。シスターも合っている。

 私を解放しない大人たちのことを『どうかしている』と感じ、さっきの怖い人も回避は可能だったのに、結局は私の方がみんなを嫌い切れず、今の生活に居心地を得ているせいで抜け出せないんだ……。

 こんな風に考え込むことも、ある意味で私のルーティンとなっている。



 常連の信徒さんとは通じ合っているようにアイコンタクトを交わし、勝手が分からず困っている様子の人には作法を教える。

 止まない雨に未来を憂う人々へ、主に代わり救いの言葉を送る。

 水溜まりのできたロビーや聖堂をモップで拭いていくと、あっという間に二十二時。終了の時刻となった。教会は毎日十時に開き、二十二時に閉める。

 決まって平日の閉館間際に訪れるスーツ姿のおじさんがいる。

 おじさんは必ず中央右の長椅子に座る。席は自由だし、このような場所だからそれぞれにこだわりがあるのも理解できるけど、やっぱり理由が気になるところ。

 でも、おじさんは濡れたカバンをタオルでしっかりと拭き、椅子ではなく足元に置くような人だから、怖いおじいさんが頭に残る分だけ紳士に見えて、半端な私が邪魔をしてはいけないと思い話し掛けられなかった。

 おじさんは、中学生で修道服が『馬子にも衣裳』な私にも深々と頭を下げてくれる。

 静寂を貫き教会を出るおじさんの背に「頭を下げ慣れているかな?」なんて失礼な考えがよぎる。神への失言を零した際にも感じなかった罪の意識が芽生えても、私を叱ってくれる人がこの場にはいないから自分で自分の頬を軽く叩いた。

「お腹空いたー」

 今日の務めを終えたシスターの第一声がこれ。

 永遠に止まない雨と、解決できない自分たち。自分たちの崇める神の心が分からず惑う信徒のみんな。

 みんな……普通の人たちと違って、これからも聖職者として祈り続ける人生を歩む私。

 悩みは人それぞれで、進む未来も違うけど、共通している問題もある。

 空腹では祈りを捧げられなくなるということです。

 みんなも気が済んだら教会を去るし、シスターの私も空腹が押し寄せてくると他の悩みなんて二の次となる。だって、生きて悩むためには、まず……。

 つい笑いが込み上げる。

 自分に、みんなに、世界に対して、そんなものねって。

 落とし物がないか確かめるため、中央の道を進みつつ各長椅子を目視し、最奥の祭壇に着く。

 私は誰も見ていないのに自然と膝を突き、目を閉じて両手を絡ませていた。

「主よ、感謝いたします。本日も雨が止むことはありませんでしたが、それでも私たちはこうして――」

 グウウウウウ!

 ……良いことを言おうとする途中、盛大にお腹が鳴ってしまった。

 おじさんにならうわけでもなく、神聖な場所とはなるべく静寂であるべきだと私も思う。……思ってはいるのです。

 それがこれ。消え去りたいくらい恥ずかしい気分になった。

 けど、不幸中の幸い。この時間、この場所には私の他に誰も……。


「アッハハハハハ! そりゃそうだ! 生きて悩むためには、まず生きないとね!」


「ひゃあっ⁉」

 誰もいないはずなのに……!

 祈る私の背後、聖堂の最前席から男の子のうるさい笑い声が聞こえてきたんですけどー⁉

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