織愛 5
第5話
織愛は着ていたライダーズジャケットを脱いだ。背中側と袖の後ろに滑った時の痕跡が無残に残されている。擦りこまれた草の緑が生々しい。ふうっとため息をついた。こんなもので済むなら安いものだ。転倒を前提としているわけではないが夏でも革を着る価値はここにある。
ジャケットをタンクバッグの上に重ねて、一人掛けの椅子に座り天井を仰いだ。かつての仲間がバイクで走行中、半袖で転倒した時のことを織愛はまだ覚えている。自分の目の前で、粗い路面に生身の肌が擦り取られていくさまを。
「来客用だから、一応」
記憶の底に落ちている所へ、蓮が布団一式を運んできて言った。見るからに使用感がない。
「あ、ありがとうございます」
「いいから座ってろ」
立ち上がろうとした織愛を制して蓮はベッドメイクを始めた。
「何から何まで、お世話になるっす」
「だから、気にすんなって。性分なんだよ」
彼は本当にそうなのだろう。だからといって世話好きというのとも違う気がする。
「へえ、こんなんなるんだ」
織愛の寝床を整え終えたあと、蓮が痛んだライダーズジャケットに視線を留めて言った。
「お恥ずかしい」
「Tシャツとかでコケたら、悲惨だな」
「そうっすね……」
熱中症に配慮して風通しをよくするためにジャケットのジッパーを少し下げることはあるが、基本的に暑さは我慢する。
「あのさ、晩飯、インスタントラーメンでいい?」
「うわあ。いやあ、はい」
いきなり意識を転換させられて、感謝の気持ちがうまく形にならずに、しどろもどろで織愛は答えた。
「風呂場は部屋出て廊下なりに曲がったとこ。俺は飯の後にするから先使っていいぜ」
「すんません。お言葉に甘えます」
織愛は部屋を出ていく蓮の背中に礼を言った。素直に好意を受けることにする。
部屋まで蓮が持って来てくれた防水バッグを開く。大抵は、宿泊施設に備え付けのサニタリー用品を使うが、旅行用のコンパクトな風呂用具一式は持っている。織愛は着替えやらなにやら一式を空のレジ袋に突っ込んで片手に持ち、ゆっくりと風呂場へ向かった。
浴室はすぐに判った。細身の革パンツを脱ぐ時に案の定痛みが走る。膝に血が溜まっているかもしれない、と思った。むにゃっとした不快感はかつて経験したことがある。
──明日までに痛みが引くといいんだけどな。でも、これ、ちょっとやばい予感……
風呂場は畳三枚分くらいだろうか。洗い場には十分な余裕がある。低い椅子に座り、長い脚を伸ばしても窮屈さを感じない。なるべく左足を動かさないようにして織愛はシャワーを済ませた。
「ドライヤー借りました」
普段から念入りなセットはせず、前髪をふわりと手櫛で流す。小さめサイズのバスタオルを首に掛けたまま、織愛は蓮に声を掛けた。
「おう。ちょうどできたとこだ。座れよ」
システムキッチンの内側から蓮が言った。
織愛は指し示された方の椅子に腰を下ろす。蓮がすぐにトレイを運んできた。
「おお。具入り! シーフード?」
インスタントラーメンと聞いていたのに、この見た目は織愛の予想外だった。
「ああ、塩ラーメンに昨日の残りのアヒージョぶち込んだ」
「いただきます」
両手を合わせ親指の付け根に箸を挟み、一礼する。
「おう」
蓮も向かいの椅子に腰を下ろし、自分も食べ始めた。
先ずはスープ。それから麺。
「なにこれ、
織愛が思わず箸を止めて、蓮に注視した、。
「ふふん」
ちょっと得意げに連が笑う。
それから連が手で示して促すので、続けてゴロっとした鮭の切り身の入ったおにぎりを二人の間の皿から取る。握りの加減と塩加減が絶妙だ。ほおばるとほろほろっと崩れそうになる。
──ああ、ああ、幸せだ~
知らず笑顔になる。誰かと食事をするのは久しぶりだった。
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